宏道流十体とそれより派生した形について
格花が形式的には不等辺三角形をもって構成されていることは常識となっていますが、格花にとって特に大切なことは、この不等辺三角形がいかに空間を利用し、立体感を持つかということがあります。
この点について当流では、特に役枝とその高低疎密による効果を考えています。
次に大切なことは、枝の自然な趣(振り)をなるべく利用することと、器の水際からの腰(足)のそり上がりをできるだけ美しく見せるようにすることです。
当流の格花の特色のひとつに、腰の線を一木のように見せること、かつ腰が他流のそれよりもかなり低いことがあげられます。
枝振りによって、さまざまの不等辺三角形ができますので、当流ではこれらを十の体と大流し、留流し、二流し、中流し、逆留め、重いけ、株分け、轡留めという主要な形に分類しています。
十の体については、その名称を不等辺三角形の形で定めたものではなく、『瓶史』のもつ文人思想や草木の状況によって定めています。
以下にその要点を紹介していきましょう。
清操体(せいそうたい)
これは当流における格花の体の中で、最も代表的なもので、いわば格花の基本形にあたります。ですから、入門するとこの体から入り、どんなに上達しても常に立ち戻るべき体であるわけです。
年始の花や端午の花、重陽の花などの大事な節目の行事のときには、他の体は用いず、必ずこの体をいける決まりがあります。
器は古銅器が好ましいとされていますが、弱々しい草もの、葉ものをいけるときはこの限りではありません。
将離体(しょうりたい)
この体は袁宏道の思想をくみながら、花に対しての心得を中心に考えている体で、宏道流十体と、それより派生した形の精神的な柱となる体です。
その考え方は、名利や凡庸の気風を離れ、自然の草木をよくいつくしみ、その花の出生をよく考慮して、より趣深い花をいけるということにあります。
この体には、素材の制限もなく、いけ方などにも特別の指定はありません。一言でいえば、これはと思った素材と出会ったとき、その持ち味を最大限に生かし切った形でいける、ということになるかと思います。当流が最も大事にしている「生に入りて生を離れる」という考え方とともに、この体を理解してほしいと思います。
なお、当流が積極的に洋花を格花に取り入れるという発想は、この将離体の理念に基づいているともいえます。
澗翠体(かんすいたい)
「深山峨々たる巌のはざまに化工の時を違えず鮮やかなる花を見る挿方」と伝書にありますが、深い山の谷、その谷の岩の重なり合った陰のようなところにでも四季はまちがいなく訪れ、春になれば花を咲かせ、夏になれば葉を繁らせる、という自然の摂理に思いを馳せながらいけるのがこの体です。
この体には、一重伐りのような器がふさわしく、いけ口の狭いところに葉が茂り、その奥に一輪の花が見えるような花体です。この花を隠花と呼び、おもに留内のところに使います。
つまりこの体は、隠花を中心に考えている体で、趣の深いものです。
邱壑体(きゅうがくたい)
邱は峰、壑は谷という意味ですから、この地形における草木の情景をあらわす体です。
この場合、峰と谷とは地形の高低をあらわしていますから、いける器も二重伐りの竹器か木器を使用するのがよいでしょう。
しかし、この体は普通の二重いけではなく、俗にいう「峰の椿、谷の梅」という特殊な意味をもっており、この体に限っては、木ものを下窓に、草ものを上窓にいけるところに意味があります。また、二重伐りといっても、この体では掛け二重伐りを使うことが条件とされています。
瀟颯体(しょうさつたい)
この体は、花が狂い叫ぶような大風に吹きさらされたときに、その花の心持はどうであろうかを表現したもので、この体も『瓶史』の「洗沐」の章の「狂号連雨燄濃寒は花の夕なり」という一節を引用して説明としています。
この『瓶史』の一文でもわかるように、花はあまり朗快にいけることをしない特色をもっています。
この体は、行事の花(故人を偲ぶ花)のときに用いられるものですが、あくまで根元を締め、水際を美しく、逆そりや矢来立てにならないようにいけることが大切です。
惹雨体(じゃくうたい)
この体の名称は、『瓶史』の「使令」にある「夫山花草卉、妖艷寔多、弄烟惹雨、亦自便嬖、悪可少哉」という節の意味からとったもので、草木が夕立などを一雨浴びたあとの、生き生きとした様を暗示したもので、品のよい主人と美しい侍女が互いに寄り添って立つあでやかな姿に因んでいます。
具体的な形としては、一台の花台に丈の高い器と、口が広く低い器を並べて二種の花をいける、俗にいう二つ寄せのことです。
いける花は、丈の高い器に主人のような格式のあるものを挿し、低い器にはそれにかしずく侍女のような花を挿します。
例えば、梅に椿、木犀に芙蓉、菊に秋海棠、蠟梅に水仙、などというものです。
幽寂体(ゆうじゃくたい)
この体は名称の通り、静かにひっそりとした寂しい情趣をあらわすものです。
この体の名称は、『瓶史』の「洗沐」の「暈酣神斂、烟色迷離、花之愁也」という節の意味をあてています。
つまり、ぼんやりとして花に生気がなく、花の色つやがさめているのは花が愁いているということですから、なるべく生気のない、寂しそうな風情にいけることがこの体の特色といえます。
普通、いけばなは生き生きといけることが大原則なのですが、この体に関してのみは寂しくいけることになっています。そのためこの幽寂体は仏事など亡き人を偲ぶ花としていけます。
このときに注意しなくてはならないことは、格花はふつう陽数すなわち奇数にいけるものですが、この体に限り、八本という偶数にいけ上げる必要があります。
艶陽体(えんようたい)
この体の名称も『瓶史』の「洗沐」の一節「唇檀烘日、媚體藏風、花之喜也」に因んでつけられました。
つまり、花びらの美しい紅が陽光にはえ、そよ風にその体をなまめかしく媚びてなびかせているようなときは、その花が幸福な気分にひたっているときであるという意味ですから、この艶陽体はまず、華やかににぎやかにいけることが必要で、特に十五夜や十三夜の行事の花として使われてきました。
選ぶ花材としては、芒、めど萩、女郎花、菊など、秋の草ものがもっともふさわしいとされています。
杪茂体(しょうもたい)
杪は梢あるいは枝の先の末ということですが、この体においては、木が育っていき、その末に繁茂するという意に解釈しています。
たとえていえば、一家の主人はまだ健康であるけれども、すでに老境に入りかけた頃、その後継者ができ、勢い盛んに生長していくという情趣を表現した体です。
花木で一例をあげますと、梅の古木のあまり太くないもので、ところどころに美しい花の咲く小枝をもった木をいけ、これを一家のあるじ、つまり親木として、これに勢いの盛んなを挿し添えて後継者のようにしています。この気條はいけるべき場所が決まっていて、本数も二本と限っています。この体の花材は特に梅に限ったことではなく、椿、山茶花、海棠、伊吹などでも同じことで、親木が老木となり、気條の若枝が生まれ、だんだんと大樹となる精気を見せるというのがこの体の特色です。
しかし、祝儀の席でこの体をいける場合は梅に限ります。
重蔭体(じゅういんたい)
この体に用いられる花材は、伊吹、柏槙、檜、槇、松などの常盤木か柏か楓の類で、胴内、留内、小角のあたりを深く繁らせて、その部の枝や葉の間から向こうが見透かされないようにいける体です。
とはいっても、あまり多く枝を入れ、それを刈り込んだりすると、かえってきたならしくなりますので、この兼ね合いが必要です。
以上で十体の説明を終わります。次にこの十体から派生した主な形について要点を記します。
大流し
これは通常二重伐り、または三重伐りに用いられる挿法で、上の重から流した枝の先が花台のあたりまで届くように流したものをいいます。つまり、普通の二流しをいっそう派手やかにしたもので、釣りものや這柏槙などの木ものがよく使われます。
二流し
普通、2の枝は水平または多少枝先が上がります。しかし、この二流しいけは、2の枝を定寸よりいくらか長めにして、しかも2の枝は下方に流れ出すようにします。この形は、釣り舟いけや月いけ、二重いけ、三重いけ、五重いけのときに用います。
中流し
これは胴流しともいわれていますが、1の枝の梢と1、2の分かれとの中間あたりから、1の枝よりも後方に弧を描いて流れ出た枝で、普通この枝はわざわざ添えたものではなく、その木についた枝ですから、枝の出る場所を自由にすることは無理で、どこまでも自然の風情を生かすものです。
中流しの時は、その真下にある控えの枝も、留の部分も普通よりもずっと短く扱うことが全体のバランスをとる上で大事なことですが、反対側にあたる2の枝も常よりは上向きで短めに使います。
留流し
これは流しともよばれる形です。1の枝を立派に挿し、2の枝を胴の方へ寄せて短めに力強く挿し、3の枝を流す形ですが、3の枝は水が流れるように、たおやかに挿すのが特徴です。
この形も、見た目に均衡のとれにくい形ですので、十分注意する必要があるでしょう。
行事の花
いけばなは、昔から日本人の生活と密接な関係をもって発達してきました。行事や節目の折に、それにふさわしい花をいけるという習慣はいけばなの発生と同時に始まり、今もゆかしい習わしとして引き継がれています。
以下に、当流において伝承されてきたごく代表的な行事花を紹介してみましょう。
年始の花
新年をめでる年始の花は、すべて水引などを用いず、清操体にいけることが大切とされています。
花材としては、松、梅、丈、椿、福寿草などがもっとも好ましく、初いけの際などには、水仙や万年青なども好ましい材料とされています。
ただし、松でも若松は、松らしい風格に欠けるという考えから、あまり使わないほうがよいとされています。
上巳の花、雛の花
の日とは元来、陰暦3月初の巳の日のことをさし、後に3月3日に特定されてものです。主に女児の祝う節句で、雛祭りをします。桃の節句、重三、じょうみなどの呼び方もありますが、男児を祝う五月の端午の節句と並んで、古くから庶民の間でも祝われてきました。
本来は清操体でいける習わしですが、あまり堅苦しく考えないで、混雑しない程度に、にぎやかにいけてよろしいでしょう。
花材としては「桃の節句」という言葉からも桃が最適ですが、桃のないときは小桜(彼岸桜)を代用しても結構です。
端午の節句
は初めの意、
は五と同じ音を使ったもので、五月五日の男児の節句です。
これも清操体にいけ、菖蒲の節句の別名からもわかるように、花材は花菖蒲がもっともふさわしいでしょう。花菖蒲は燕子花と対比して、古来より花人の間では「男性的」な花と見立てられてきましたから、このことからも花菖蒲がふさわしいと思われます。花菖蒲を使わない場合は、夏菊もよいとされています。
七夕の花
これも清操体にいけますが、歌に詠まれている秋の七草などを全部一瓶のうちに挿すと、整然としませんので、二、三種くらいですっきりいけるのがよいでしょう。
花材としては、紫苑、萩、桔梗、女郎花、苅萱、菊、仙翁、秋の七草がよいとされています。
十五夜の花
これは月見の花ということで、艶陽体をもってにぎやかにいける必要があります。
器も籠の大きいものか、大砂鉢を使うことになっています。花材としては芒、紫苑、中輪菊、沢桔梗、浜菊、撫子などが適しています。
重陽の花
重陽は陽数(奇数)の9を重ねる意で、9月9日の節句をいいます。古くから「菊の節句」と呼びならわされてきました。
これも清操体でいけますが、花材としては白菊のみを用い、なるべく数いけを避けるようにいけるものです。
故人を偲ぶ花
仏事を中心とした亡き人を偲ぶ花は、瀟颯体か幽寂体でいけることになっています。これは先祖の霊を祭る年忌、法事などの折に、客を招き、そのときいける花をいいます。
これらの花体では、必ず陰数隠花を用います。陰数とは偶数のことです。また隠花とは奥深く物に隠れるような感じの花で、控えめな風情を秘めています。
なお、2つの体のうち、近い年忌のときには瀟颯体、年々忘れることなく年忌をする場合の花は幽寂体でいけます。いずれにしてもこの花は、亡き人への手向けの花ですから、形もさることながら、いける人の真摯な気持ちが大切です。
婚姻の花
目出たい婚姻の席にいける花は、唐銅器でしかも耳付の器を用いることが条件とされています。
花材としては松竹梅を用いますが、中央に竹を、向かって左側に梅を、右側に松を挿し、根元に金銀または紅白の水引きを結ぶことになっています。
以上、行事の花について基本的なことを述べましたが、これはあくまでも格花としていける場合の解説で、新花でいける場合には、以上のことにとらわれる必要はありません。現代の行事に合わせて、現代の感覚で、花材も洋花などもどしどし使って、思い思いの工夫をしていただければ結構です。