Causal Chain
1.1 Croft(1990,1991)
本章はcausal relationの判断基準を明確に立てることを目指している。causal relationについての研究は多数あるものの、causal relationあるいはcausationそのものはいったい何のかということを明確に規定するものがまれである。Goldberg(2010)はcausationの定義づけについて以下のように述べている。
It is not clear that we should expect any categorical definition for "causation" since such definitions are rarely available in any domain (Rosch 1975; Lakoff 1987; cf. also Croft 1991; Espenson 1991 for relevant discussion in the domain of causation in particular) The general issue of causation has been debated for centuries, and we are not likely to get to the bottom of it here.
(Goldberg 2010:4)
定義することが難しいにもかかわらず、Goldberg(2010)は以下のことを述べている。
At the same time, it is possible to make some progress on the questions we set out to address by focusing on fairly clear cut cases.
(Goldberg 2010:4)
そして、Goldberg(2010)はcausation を以下のように定義している。
I will consider any event that is construed to be sufficient to lead to a new state or event to be a cause.
(Goldberg 2010:4)
Goldberg(2010)のcausationの定義は前件が必然的に後件を引き起こすという定義である。この定義は物理的な事象構造に基づいていると考えられる。本書では、物理的な事象構造をもっとも詳しく分析・記述したCroft(1991)のcausal chain説を採用する。以下では、本書の関心にかかわる範囲で、Croft(1991)を中心とした一連の研究を紹介する。
物理的な事象構造における各参与者間の力の伝達・移動の関係を研究対象とする説は、最初にTalmy(1976,1988)によりforcedynamicという名で提案され、そして、その後、Croft(1990,1991)、Jackendoff(1990),Langacker(1990,1991)などにより発展されてきた。その中、Croftの一連の研究はcausal chainを提案し、force-dynamic説を明確にモデル化したたため、重要な意味を持つ。causal chainとは、簡単に言えば、ある事象の各参与者(participants)の間の力の伝達・移動(force dynamic)で、各参与者が一つのchainに結ばれ、causal chainを構成するという説である。「太郎が花子を殺した」を例にして説明すると、事象の参与者は「太郎」と「花子」である。「殺す」という力が、太郎から、花子に伝達・移動する。花子がその力を受けて、「死ぬ」という変化を被る。図で表示すると、以下のようになる。
(3)太郎が花子を殺した。
力の発するもの、つまり、causal chainの開始点をinitiatorと記し、力を受けるもの、つまり、causal chainの終止点をendpointと記すと、(3)を(4)のように抽象化することができる。この抽象化は典型的な他動詞事象のモデル化でもある。
(4)Idealized Cognitive Model of a Simple Event:
(Croft 1991: 37)
(4)における点(▰)は参与者である。矢印(→)は力の伝達・移動関係(relationship of transmission of force)を表す。二つの参与者を組み合わせたら、節(segment)になる。非矢印の直線(——)は非使役関係(noncausal(stative)relation)を表す。( )に入っている点((▰))は、当参与者は前の節における参与者と変わらないことを表す。Croftは以下の具体例をあげ、(4)のモデルをさらに詳しく説明している。
(5)Harry broke the vase.
(Croft 1991: 38,(12))
1 「OBJ」は目的語を指す。
2 「###」は統語構造に現れる動作主と対象を標記する。
3 例文番号を含め、一部改変。
(5)のcausal chainには三つの節がある。三つはそれぞれ、(i)Harry acts on the vase,(ii)the vase changes state, and(iii)the vase is in a result state (i.e., broken)である。事象の参与者は二つある。Harry とvaseである。参与者の間の関係は、まずはHarryと vaseの間に、力の伝達の関係がある(Harry →vase)。そして、vaseの内部において、変化がある(vase→(vase))iii節においてvaseは変化しない((vase)——(vase))。
Croftによると、(4)をはじめとしたcausal chainには、以下の四つ特徴がある。
(6)
a.a simple event[i.e. what is named by the verb]is a (not necessarily atomic) segment of the causal network;
b.simple events are nonbranching causal chains;
c.a simple event involves transmission of force;
d.transmission of force is asymmetric, with distinct participants as initiator and endpoint
(Croft 1991:173)
causal chainというアプローチの特徴は、事象の参与者の間の(力の伝達)関係を明らかにすることである。また、Croft(1991)によると、causal chainは意味構造を決めるものであるため、参与者はcausal chainのどこに位置するかはとても重要である。参与者は、causal chain上の位置によって、その意味役割が決まる。力を発するものは、つまり、causal chainの開始位置にあるものは、通常、動作主体(agent)である。力を受けるもの、つまり、causal chainの終止位置にあるものは、通常、動作客体(patient)である。ある事象に動作主が存在すれば、動作主がinitiatorであり、文の主語にリンクするのも動作主である(例(3))。ある事象に動作主が存在しない場合、経験者が動作主体の代わりに、causal chainの開始位置にある。つまり、initiatorになる。この場合、主語にリンクするのは経験者である(例(7))。経験者も存在しなければ、原因がinitiatorになる。この場合、主語にリンクするのは原因である。(例(8))。さらに、原因さえも存在しなければ、道具がinitiatorになる。この場合、主語にリンクするのは道具である(例(9))。
(7)ジョンは、交通事故にあった。 | (経験者) |
(8)父の死が花子の運命を変えた。 | (原因)(天野 1987:151) |
(9)小石が蟻の巣穴をふせいだ。 | (道具)(田川 2004:9) |
causal chainには潜在的に、動作主、経験者、原因、道具という順番でinitiatorの候補者が並んでいる。これらの候補者はいずれも働きかけの力の発する能力を持つものであるため、事象のinitiatorになる可能性がある。順番の前の候補者が優先的にinitiatorの位置を占めるが、その候補者が当該する事象に存在しないと、次の候補者がinitiatorの位置を占める。
このように力の伝達・移動という観点からcausal relationを定義することは、原理的に説明力がある。物理的な世界で力の伝達・移動があれば、その力によって、前件は後件の変化を引き起こすので、前件と後件は[+cause]の関係にある。物理的な世界で力の伝達・移動がなければ、前件は後件を引き起こすことができなく、両者は[-cause]の関係にある。
1.2 Causal Chainというアプローチを取り上げる理由
まず、causal chainというアプローチを採用すると、リンキングの問題がうまく解決できる。Baker(1988)がThe Uniformity of Theta Assignment Hypothesis(UTAH)という仮説を提案している。UTAHはBaker(1988)によると、以下のようになる。
Identical thematic relationships between items are represented by identical structural relationships between those items at the level of D-structure.
(Baker 1988:46)
Baker(1988)のUTAHは、一つの統語成分は一つの意味役割から投射され、一つの意味役割は一つの統語成分にしか投射しないという仮説である。
しかし、第二章第3節で提示して心理動詞などの例はUTAHの反例になりそうである。たとえば、心理動詞の例において、同じ意味役割が正反対のLinkingパターンを同時に持つようである。心理動詞の例を以下の(10)(11)に再掲する。
(10)
a.John likes long novels.
b.Peter fears dogs.
c.Mary worries about the ozone layer.
(11)
a.Long novels please John.
b.Dogs frighten Peter.
c.The ozone layer worries Mary.
(10a)も(11a)も「ジョンは小説が好きだ」という意味を表し、Johnの意味役割が変わらないにもかかわらず、統語上ではJohnは(10a)において主語の位置にあり、(11a)において目的語の位置にある。(10)と(11)からみると、意味役割は統語成分と一対一の関係を保たないようにみえる。それで、UTAHの反例になる。
また、同じ「主語」という統語成分に投射する意味役割も違うようである。たとえば、
(12)
a.太郎が花子をなぐった。 | 動作主 |
b.霧が太郎の視界をさえぎった。 | 自然現象 |
c.小石が蟻の巣穴を塞いだ。 | 道具 |
d.過渡の野心が彼の寿命を縮めた。 | 原因 |
(田川 2004:9〔1〕)
(12)からみたら、主語という一つの統語成分に、「動作主」「自然現象」「道具」「原因」という四つの意味役割が対応している。意味役割と統語成分とは一対一の関係を保たないようである。(10)(11)や(12)のようなUTAHの反例はリンキングの問題となっている。
(12)のように、主語にリンクする意味役割は一見ばらばらなようであるものの、causal chainの観点から改めて見れば、それらの意味役割はすべてcausal chain上の initiatorという一つの意味役割にまとめられる。それでUTAHは保持され、リンキングの問題はうまく解決される。これがcausal chainというアプローチを取り上げる理由の一つである。
causal chainというアプローチを取り上げる二つ目の理由は、このアプローチが明らかなモデルを提示している。Levin&RapapportHovav(2005)がcausal chainというアプローチについて以下のように評価している。
that the causal chain approach is different from semantic role approaches in one very crucial way: it delineates an explicit model of event structure and organizes the relationships between individuals in an event in a way that semantic role-based accounts cannot.
(Levin & Rapapport Hovav 2005:119)
事象の各参与者がばらばらに存在するわけではなく、一つのチェーンに結び付けられることで、モデル化されているという点においては、causal chainというアプローチは他のアプローチより優れている。
causal chainというアプローチを取り上げる理由はもう一つある。言語表現は、文化や認知によって違う。しかし、物理的な力の伝達・移動は、客観的なものであり、文化や認知によって変わらない。そのため、物理的な力の伝達・移動というcausal relationの判断基準は客観的であり、操作しやすい基準であると考えられる。たとえば、Croft(1991)は、以下の各文を同じcausal chainを用いて分析している。
(13)I broke the boulder with Greg for Mary by hitting it sharply with a hammer.
(Croft1991:177)
1 Vol arcという。Vol arcは主にcausal chain上の動作主の節を指す。
2 Aff arcという。Aff arcは主にcausal chain上の被影響者(客体)の節を指す。
3 「OBL」は斜格を指す。
(14)Greg and I hit the boulder with a hammer (breaking it).
(Croft1991:180)
(15)A hammer was used by Greg and me to break the boulder for Mary.
(Croft1991:180)
(16)The boulder broke into two pieces from the impact of the hammer.
(Croft1991:181)
(13)-(16)の各文は、統語構造が異なる。たとえば、Gregという参与者は、(13)においては斜格(with Greg)、(14)においては主格(Greg and I)、(15)においてはby phrase(by Greg and me)として出現し、そして(16)においては出現しない。統語構造が異なるにもかかわらず、各文の背後にある物理的な事象構造が同じである。統語的にどう変わっても、物理的な事象構造が変わらなければ、causal relationが変わらない。また、統語構造はなぜ異なるかというと、事象構造のどの部分をプロファイルして言語化するかによって、統語構造が違ってくるからであるとCroft(1991)が主張している。
このような客観的な判断基準を立てると、各言語間の差違も処理しやすくなる。たとえば、
(17)
a.この番組はご覧のスポンサーの提供でお送りします。.
b.This part of the program is(was)brought to you by P&G.
c.本 节目 由 步步高智能手机 独家 赞助。
この 番組 によって スポンサー名 だけ 援助する・される
以上の三つの言い方は当該する言語において、唯一の言い方ではない。たとえば日本語では、「この番組はご覧のスポンサーが提供します」のような他の言い方を作って、英語や中国語に対応しようとすると、不可能ではない。ただし、(9a,b,c)は当該する言語において、当状況で一番観察される言い方である。言い換えれば、その状況の下で、当該する言語が一番自然に選択する言い方である。
日本のテレビ番組をみると、一番よく耳にするのは(17a)の言い方である。(17a)の文の述語は「お送りする」である。「お送りする」という動詞の動作主は何なのかを考えると、アナウンサーないしアナウンサーが代表するテレビ放送局がそれに当たる。同じ状況で同じことを表す際、英語は(17b)になる。(17b)の述語はbe broughtであり、bringという動詞の動作主は何なのかを考えると、スポンサーがそれに当たる。また同じ状況で同じことを表す際、中国語は(17c)になる。(17c)の述語は「赞助(援助する・提供する)」であり、「赞助」の動作主は何なのかを考えると、スポンサーがそれに当たる。
物理的な事象としては、(17a)(17b)(17c)には違いはない。まず、事象の参与者として、スポンサーがいて、そのスポンサーは経済的な援助などを出す。また、番組制作会社が存在するかもしれないが、その参与は今扱っている三つの言語ではどれも触れていないので、ここでは番組制作会社の存在を無視するようにする。そして、テレビ番組が制作などによってできる。さらに、テレビ放送局が参与者として存在し、番組を放送する。最後に、テレビ番組を見る観客がいる。スポンサーから観客までの力の移動はどの国でも同じであり、どの言語で表現しようとしても、その物理的な力関係は変わらない。しかし、言語的に報告しようとするとき、事象の中のどの参与者に関心をもち、どれを主語として選択し、またそれに応じてどの動詞を選択するのかは言語によってかなり違う。
英語の(17b)においては、スポンサーと番組と観客が選ばれた。最初の起動力(お金を出す)の発する実体のスポンサーはagent、番組はtheme/patient、また観客のyouは与格(oblique)として捉えている。英語のこの表現には、テレビ放送局について言及していない。一方、日本語の(17a)においては、番組、スポンサー、テレビ放送局と観客が選ばれた。最初の起動力(お金を出す)の発する実体のスポンサーは日本語ではagentとして捉えられなかった。スポンサーに「提供」を加えて、そして「スポンサーの提供」全体を原因・道具のデ格として捉えている。agentはテレビ放送局になる。番組は同じくtheme/patientであるものの、「提供する」のtheme/patientではなく、「お送りする」のtheme/patientである。また、観客は明確的に文には現れていないが、「お送りする」には「あなたにお送りする」という含意があるので、日本語のこの表現は観客まで言及していると思われる。一方、中国語の(17c)においては、番組とスポンサーだけが選ばれている。最初の起動力(お金を出す)の発する実体のスポンサーは、中国語ではagentとして捉える。そして、番組は「援助する(提供する)」という動詞のtheme/patientとして捉えている。中国語のこの表現には、テレビ放送局や観客について言及していない。
以上の各言語における各個別現象を統一的に比較・分析する際、三者の共通しているところから出発しないとできない。その共通しているところは何なのかというと、各参与者間の力の伝達・移動関係であると考えられる。つまり、「スポンサー→テレビ放送局→番組→観客」という物理世界における客観的な力の伝達・移動関係だけが言語によって変わらない。したがって、本書は、このような力の伝達・移動の関係を用いて、causal relationの判断基準とする。