4.実例の動向

4.実例の動向

本節では、以上の(28)(29)の基準を用いて、動詞の実例の動向を観察する。

4.1 観察の手順

4.1.1 動詞リスト

「日本語基本動詞用法辞書」から他動詞を抽出し、観察対象とする動詞のリストを作成する。今回の調査は和語動詞のみを対象とした。漢語動詞を取り上げないようにする。また、「受け取る」のような複合動詞も除外した。漢語動詞と複合動詞を今後の課題にしたい。


(30)他動詞リスト

a.無対他動詞
諦める、与える、扱う、謝る、洗う、争う、言う、致す、頂く、祈る、祝う、伺う、失う、歌う、疑う、打つ、訴える、奪う、選ぶ、得る、追う、拝む、置く、送る、贈る、行う、抑える、押す、恐れる、おっしゃる、覚える、思う、買う、飼う、限る、書く、嗅ぐ、囲む、飾る、数える、語る、悲しむ、構う、噛む、考える、感じる、着せる、嫌う、着る、下さる、配る、組む、比べる、くれる、削る、蹴る、試みる、擦る、断る、殺す、探す、避ける、挿す、差す、指す、誘う、叱る、敷く、縛る、示す、しゃべる、調べる、記す、印す、信じる、吸う、掬う、救う、勧める、薦める、奨める、捨てる、攻める、責める、剃る、炊く、焚く、抱く、確かめる、出す、尋ねる、訪ねる、叩く、畳む、楽しむ、頼む、食べる、騙す、試す、使う、掴む、作る、包む、務める、勤める、努める、連れる、手伝う、閉じる、取る、採る、撮る、捕る、眺める、殴る、投げる、なさる、為す、習う、握る、憎む、縫う、脱ぐ、盗む、塗る、願う、捻じる、望む、臨む、述べる、飲む、図る、測る、計る、量る、穿く、履く、掃く、運ぶ、話す、嵌める、払う、貼る、張る、引く、弾く、開く、拾う、拭く、吹く、含む、防ぐ、踏む、振る、干す、褒める、誉める、掘る、巻く、増す、待つ、招く、真似る、守る、磨く、認める、迎える、剥く、結ぶ、申す、用いる、持つ、求める、貰う、養う、雇う、遣る、譲る、茹でる、許す、止す、寄せる、呼ぶ、読む、忘れる

b.有対他動詞
明かす、開ける、空ける、上げる、預ける、温める、暖める、集める、当てる、改める、表す、合わせる、生かす、痛める、傷める、入れる、植える、浮かべる、受ける、動かす、写す、映す、移す、生む、売る、終える、起こす、興す、教える、落とす、驚かす、折る、下す、降ろす、卸す、返す、帰す、変える、代える、替える、換える、隠す、重ねる、貸す、傾ける、固める、掛ける、被せる、乾かす、聞く、決める、切る、崩す、暮らす、加える、消す、越す、転がす、壊す、裂く、割く、下げる、刺す、定める、冷ます、覚ます、醒ます、沈める、閉める、締める、知らせる、過ごす、進める、済ます、育てる、揃える、倒す、足す、助ける、立てる、建てる、溜める、貯める、縮める、付ける、着ける、点ける、伝える、続ける、繋ぐ、潰す、詰める、積む、照らす、通す、解く、溶く、届ける、飛ばす、止める、留める、泊める、治す、直す、流す、無くす、亡くす、鳴らす、並べる、逃がす、煮る、抜く、濡らす、残す、乗せる、載せる、伸ばす、延ばす、挟む、始める、外す、離す、放す、生やす、冷やす、広げる、ぶつける、増やす、殖やす、減らす、曲げる、混ぜる、交ぜる、間違える、纏める、回す、見付ける、向ける、戻す、燃やす、漏らす、焼く、妬く、休める、破る、止める、緩める、汚す、弱める、沸かす、湧かす、分ける、渡す、割る

※下線(  )を引いた語は、それ自身ないしそれに対応する自動詞が「日本語基本動詞用語辞典」に収録されていないが、本書はその自他対応を認めるため、観察の対象として動詞リストに入れた語である。

4.1.2 BCCWJにおける動詞の実例

以上の他動詞を『現代日本語書き言葉均衡コーパス・NINJAL LWP for BCCWJ』でその実際の用例を集める。ヒットした用例の中で、使用頻度の高い用法を、一番高いものから5位まで、用例を採取する。たとえば、「明かす」という動詞を検索したら、ヒット数は478件であった。中にヲ格目的語を取るもの(「-を明かす」)が301件であった。「~を明かす」の301件のうち、「(一)夜を明か~」という用例が一番多く、合わせて67件。その次は「ことを明か~」という用例で、42件。三番目に多いのは「うちを明か~」という用例で、12件。同じく三番目に多いのは「正体を明か~」という用例で、12件。そして、五番目に多いのは「秘密を明か~」という用例で、11件。これらの頻度の最も高い五つの例を「明かす」という動詞の実例として採取する。

4.1.3 [±cause]の判断について

(30a)のほとんどがCroft(1991)が述べているsimple event(単一事象)を表す。たとえば、「待つ」や「読む」などの動詞の実例は、ヲ格を取るにもかかわらず、対象の変化を伴わない。つまり、対象はものとしての対象だけであり、(下位)事象を構成しない。[±cause]の判断は下位事象間の判断であるため、simple event他動詞を判断対象から外す。

そして、simple evenでない他動詞の実例を上の(28)(29)という基準を用いて判断する。たとえば、用例数の1位の「夜を明かす」の具体例は、「場合によっては、わたし独りでここで夜を明かしてもかまいません」のようなものである。この例文のNP1の「わたし」が、「わたしは夜に何を働きかけたかというと、明かした」というテストに通らない。したがって、「夜を明かす」という用法の「明かす」の「主語の動作」という下位事象は「対象の変化」という下位事象と、[-cause]の関係にあると判断する。また、用例数の5位の「秘密を明かす」の具体例は、「おれは自分の仕事の秘密を明かさないよ」のようなものである。この例文のNP1の「おれ」は「おれは秘密に何を働きかけたかというと、明かした」というテストに通る。しかし、NP2の「秘密」は「秘密には何が起こったかというと、明けた」というテストに通らない。したがって、「秘密を明かす」という用法の「明かす」の「主語の動作」という下位事象は「対象の変化」という下位事象と、[-cause]の関係にあると判断する。実は、他動詞文の目的語名詞を主語にし、自動詞文を作ると、「夜が明ける」以外には、自動詞文は非文法的である。


(31)

a.夜を明かす。

b.夜が明ける。

(32)

a.ことを明かす。

??b.ことが明ける。

(33)

a.うちを明かす。

??b.うちが明ける。

(34)

a.正体を明かす。

??b.正体が明ける。

(35)

a.秘密を明かす。

??b.秘密が明ける。


4.2 分析

(28)(29)を用いて、他動詞の実例の下位事象間の[±cause]の関係を判断した結果、Croft(1991)の「すべての他動詞の各下位事象がcauseの関係で結びついた」という主張が日本語において正しくないとわかる。つまり、下位事象間に[+cause]の関係が観察されるものもあれば、[-cause]の関係が観察されるものもある。

[+cause]の関係が「割る」のような他動詞に観察される。


(36)

a.群衆がドイツ軍事務所の窓ガラスを割って、なかに侵入した。

b.そのとき、いきなり窓ガラスが割れた。


「割る」という他動詞は二つの下位事象に分割できる。「群衆が窓ガラスに働きかける」という下位事象と「窓ガラスが割れる」という下位事象である。「群衆が窓ガラスに働きかける」という下位事象は「窓ガラスが割れる」という下位事象を引き起こすと解釈できる。つまり、両者はcausal chainにはめ込むことができる。一方、(36b)の「窓ガラスが割れる」という変化事象は自立的な事象と解釈できる。(36a)と(36b)は(29)のテストにも通る。

一方で、[-cause]の関係が「明かす、過ごす」、「切る、直す」、「落とす、なくす」などの他動詞に観察される。これらの他動詞は三つのタイプに分けられる。

第一のタイプは「明かす、過ごす」タイプである。「明かす」について前にも述べたが、「夜を明かす」ことは「夜が明ける」ことを引き起こさないため、両下位事象は[-cause]の関係にある。

第二のタイプは「切る、直す」タイプである。


(37)ラオスの床屋で「おまかせ」で髪を切ったらこんな感じになった。…髪を切ってから街に出て愕然としたのは、こんな髪型の地元民は誰一人いなかったということです。

(38)修理工場で車を直したいのですが…。


(37)の実際に髪を切っ(てくれ)たのは床屋のおじさんである。事象構造の観点から見ると、「おじさんが髪に働きかける」という下位事象は「髪が(こんな感じに)切れた」という下位事象を引き起こすと解釈される。両下位事象は[+cause]の関係にあると判断できる。しかし、この二つの下位事象から構成された上位事象の上に、さらに上位的な事象がある。話者の「ぼく」がおじさんに依頼するという事象である。上記の[+cause]の関係にある両下位事象から構成された事象を単純事象と呼ぶことにする。単純事象にさらに上位事象が加わっている事象を複雑事象と呼ぶことにする。図で示すと、以下の通りになる。


(39)

alt

英語は、Croft(1991)が主張したように、上記の単純事象のみが一つの動詞の意味構造に収められる。上記の複雑事象を一つの動詞の意味構造に収められない。複雑事象を表すために、英語は「have」やヴォイス変化などの迂言形式を使わなければないない。英語の動詞そのものは、複雑事象を表すことができない。

本書の観点からみると、Croft(1991)が述べたsimple eventとcomplex eventという概念は、単純事象の下位分類である。simple eventは一つの事象から構成される。complex eventは二つ、あるいは、二つ以上の下位事象から構成されるが、各下位事象は一つのcausal chain、あるいは、semantic frameに収められる。一つのcausal chainに収められるcomplex eventは単純事象である。それに対して、複雑事象は一つのcausal chainに収められない事象である。

日本語は複雑事象まで一つの動詞の意味フレームに収められる。しかし、動詞の意味構造と直接的に関わる上位事象は一つのcausal chainに収められない。(39)を用いて説明すれば、「おじさんが働きかける」と「髪が切れる」という一番下にある二つの下位事象は、一つのcausal chainに収められ、[+cause]の関係にある。しかし、文の主語の「ぼく」と「おじさんが髪を切る」という単純事象という両者が、上位的な複雑事象を構成するが、[cause]の関係をなしていない。つまり、両者は[-cause]の関係にある。

(38)も同様に考えられる。実際に車に働きかけるのは修理工場の業者であり、業者が時計と[+cause]の関係にある。それより上位的な「車」の持ち主の「私」は、「業者―車」という単純事象と[-cause]の関係にある。

(37)(38)のようなタイプは「介在性の表現」と先行研究に名付けられている。本書は第四章で、「介在性の表現」という先行研究を踏まえて、[-cause]の関係という観点から、このタイプの動詞を改めて考察・分析を行う。

第三のタイプは「焼く、なくす」タイプである。


(40)田中さんは空襲で家を焼いた。

(41)前田さんは、幼いころ、父を病気でなくしていた。


このタイプの他動詞も複雑事象を表す他動詞である。たとえば、(41)の「前田さん」は「父」に働きかけて、父の死を引き起すわけではない。「父の死」を引き起こしたのは「病気」である。「病気」の意味役割は第二のタイプにおける「おじさん」の意味役割と異なっている。「おじさんが(ぼくの)髪を切る」という下位事象において、「おじさん」が動作主である。一方、「病気」の意味役割は動作主ではなく、原因である。しかし、前に述べたように、「動作主」や「原因」や「経験者」などは、initiatorという一つの意味役割にまとめられる。力を発して、対象の変化を引き起こすものとして考えれば、「動作主」は「原因」と変わらない。「病気が父の死を引き起こした」と考えれば、「病気―父」は一つの単純事象を構成し、両者は[+cause]の関係にあると考えられる。一方、上位的な複雑事象の「前田さん」と「病気―父」との間は[-cause]の関係にある。


(42)

alt

このような第三タイプは「状態変化主体の他動詞文」と先行研究に名付けられている。本書は第五章で、「状態変化主体の他動詞文」という先行研究を踏まえて、[-cause]の関係という観点から、このタイプの動詞を改めて考察・分析を行う。

以上の動詞の実例の動向をまとめると、以下の通りになる。


(43)

alt

「花子を待つ」のような単一事象(Croft(1991)のsimple eventに当たるもの)を表す他動詞と、「窓ガラスを割る」のような複合事象(Croft(1991)のcomplex eventに当たるもの)は一つのcausal chainに収められるものである。本書はこのような事象を「単純事象」とする。そして、下位事象が二つ、あるいは二つ以上あり、しかも、事象全体が一つのcausal chainに収められないものを複雑事象とする。「ラオスの床屋で髪を切った」「父を病気でなくす」「夜を明かす」などは複雑事象である。

注释

〔1〕Vol arcという。Vol arcは主にcausal chain上の動作主の節を指す。

〔2〕以下では、便宜のため、L&RH(1995)と略する。

〔3〕その代わりに、統語構造では、他動詞受身が生まれるのかもしれない。

〔4〕日本語の「切れる」という自動詞が表す事象に当たる。