その他の先行研究

2.その他の先行研究

2.1 Langacker(1990, 1999)

Langackerの一連の研究は行為連鎖モデル(billiard-ball model)を提案している。行為連鎖モデルは、外界の存在物をすべてビリヤードボールのような「物体」に見立て、個々の存在物が力を伝達したり、他から受けた力によって変化を起こしたりすることで、連鎖的に事態が生じると見なすモデルである。Langackerのモデルは、その趣旨が、上記のCroftが提案したcausal chainにほぼ一致するため、その詳細を省く。

2.2 Jackendoff(1990)

Jackendoff(1990)は意味役割をthematic tier(dealing with notions of motion and location)とaction tier(dealing with actorpatient relation)という二つのtierにわけて処理する。Jackendof(1990)のaction tierでは、以下に示すように、ある要素が統語上の主語の位置にリンクするか、目的語の位置にリンクするかは、その要素のaction tierにおける役割によって決まるという。Croftのcausal chainと同様の解釈がなされている。


The actor, if there is one, is always the subject, and any nonfactor analyzed as a patient on the action tier is realized as a direct object

(Jackendoff 1990: 257–262).


ここに現れるactorとpatientの区別については、以下のようなテストを提示している。


(18)

action tier におけるactorとpatientの判断テスト

Actors:What NP did was…

Patients:What happened to NP was…
   What Y did to NP was…

(Jackendoff 1990: 257-62)


この観点は、ある事象において、参与者間force-dynamic関係、つまり力の伝達・移動の関係を取り上げる観点と本質的に一致しているので、Jackendoff(1990)に深入りしない。ただ、実際に動詞をチェックする際、(10)のテストの日本語版を使って、各下位事象の間の引き起こしの関係の是否を判断する。NP1は「NPは何を働きかけたかというと、…」に当てはまり、NP2は同じ事象において「NPに何が起こったかというと、…」に当てはまれば、NP1とNP2は引き起こしの関係にある。どちらか一方が当てはまらない、もしくは両方とも当てはまらない場合は、NP1とNP2の関係は引き起こしの関係ではないと規定する。

2.3 田川(2002,2004)

2.3.1 田川(2002,2004)のまとめ

日本語において、主語にリンクする意味役割は、「動因者」であるという説がある。田川拓海の『現代日本語における動作主の意味論と統語論』(2004)はこの説を提唱している。動因者動作主説はその趣旨がcausal chain説と同じである考えられる。田川(2002)は次のような動作主の下位分類を想定している。


(19)

動作主 太郎が花子をなぐった。
自然現象 霧が太郎の視界をさえぎった。
道具 小石が蟻の巣穴を塞いだ。
原因 過渡の野心が彼の寿命を縮めた。

(田川 2002:50)


そして、田川(2002)は、これらの要素の持つ、「事象(event)を引き起こす」という性質を重要であると考え、この性質を「動因性」と名付けている。つまり、「動因性」を持っていることが動作主の条件であるとする。

田川(2002)によると、「動因性」の定義は次のとおりである。


(20)動因性:当該の要素が事象を引き起こす第一要素であるかどうか。

任意の要素が動因性を持つとき、その要素は動作主としての資格を持つ。

(田川 2002:50)


この定義に即して、田川(2004)は「太郎が走った」という自動詞文における「太郎」のステイタスについて次のように分析している。


この場合の「太郎」は使役主とは考えられない。しかし、このような要素も「走る」という事象を引き起こしていると考えられるので、動因性は持つ(すなわち、動作主である)と分析されるのである。

(田川 2004:9)


田川(2004)は、動作主の構成要素には、「動因性」以外に、「現実性」と〈意志性〉という素性があると主張している。「現実性」とは、当該の要素が現実の世界において具体的な動きを伴うかどうかという素性であり、〈意志性〉とは、当該の要素が意志性を持つかどうかという素性である。しかし、この三つの素性の中、もっとも決定的な素性は「動因性」である。以下はまた田川(2004)からの引用である。


(14)動作主

a.動因性[+]

b.現実性[+]

c.意志性[+]

(15)自然現象、道具

a.動因性[+]

b.現実性[+]

c.意志性[-]

(16)原因

a.動因性[+]

b.現実性[-]

c.意志性[-]


(14)-(16)の表示では動因性と他の意味素性が同一に並べられており、かつ「動作主」「原因」などがあたかも独立した意味役割として存在しているかのような印象を与えてしまう。そこで、次のように表示方法を改定しよう。


(17)[動因者]:α

a.動因性[+]

b.現実性[ ]

c.意志性[ ]


ここでは[動因者]が意味役割としてのラベルであることを示しており、αにその下位分類としての便宜的な名称を表示することにする。また、動因性だけが意味役割としての違いを決定するので、そのことを強調するために動因性を[  ]で囲ってある。この表示法を用いると、例えば(14)(16)はそれぞれ次のようになる。


(18)[動因者]:動作主

a.動因性[+]

b.現実性[+]

c.意志性[+]

(19)[動因者]:原因

a.動因性[+]

b.現実性[-]

c.意志性[-]

(田川 2004:11)


田川は、田川(2004)の枠組みでは動因性という素性一つで動作主([動因者])と統語位置の連結の問題を捉えることができると述べている。

2.3.2 田川(2002,2004)の再分析

田川(2004)はcausal chainというアプローチを採用していない。しかし、その結論はcausal chainの観点から導かれた結論とほぼ一致している。両者はともに「引き起こす」がキーワードである。また、causal chain上のinitiatorは、始動者である。始動者は、causal chain上の最初の位置にあるだけではなく、力を発するものでもあり、事象を引き起こすものでもある。この意味では、initiatorは田川でいう「動因性」をもつ要素と内実が一致している。「動因者」は、「動作主、自然現象、道具、原因」などの主語に投射する意味役割を統一的にまとめられると同様に、causal chainのinitiatorもそれらの意味役割を統一的にまとめられる。

ただし、「引き起こす」とは何かについては、田川(2004)はあまり触れていないのに対し、causal chainのアプローチでは、「力の伝達・移動」が各参与者の間にあるか否かで、「引き起こし」の有無を判断することができる。この点において、causal chainのアプローチは田川説より緻密であると考えられる。したがって、本書はcausal chainのアプローチを採用して、causal relationの意味的な判断基準とする。