「介在性の表現」と「状態変化主体の他動詞文」との共通点

1.「介在性の表現」と「状態変化主体の他動詞文」との共通点

「介在性の表現」は迂言形式を使わず、裸の他動詞がそのままの形で、使役的状況を表す。統語的に出てこないが、事象構造では、他動詞が表す動作の実際的な主体(「髪を切る」という事象における「美容師」のような「小主体」)が存在する。小主体と客体の間に、通常の他動詞の下位事象間の引き起こしの関係がみられる。言い換えれば、小主体の動作事象と客体の変化事象は[+cause]の関係にある。「小主体―客体」という事象は一つのcausal chainに収められるため、単純事象であると確認できる。そして、「介在性の表現」の統語的な主体(小主体に対して、大主体としている)は、この単純事象と、使役関係に近い、いわゆる[have]の関係にある。事象において、大主体が発注や依頼などの動作をする。この動作は通常〈意志性〉も伴うし、〈働きかけ性〉も伴う。ただ、大主体からの働きかけは、文の述語(「切る」)の働きかけと違う。たとえば、「切る」の働きかけは美容師から髪へ力を加えるということである一方、大主体からの働きかけは私たちから美容師への依頼などのような働きかけである。また、同事象の客体は〈変化性〉という素性を伴う。

一方、「状態変化主体の他動詞文」は、迂言形式を使わず、裸の他動詞がそのままの形で、間接受身に近い複雑事象を表す。統語的に、ガ格として現れていないが、事象構造において、他動詞が表す動作の実際的な引き起こし手(「空襲)など)が存在する。動作の実際の引き起こし手と客体の間に、通常の他動詞の下位事象間の[+cause]の関係がみられる。「引き起こし手―客体」は単純事象をなす。そして、「状態変化主体の他動詞文」の統語的な主体とこの単純事象[lose]の関係にあると分析した。「状態変化主体の他動詞文」の統語的な主体は、意志的に動詞が表す動作も行わないし、その主体から客体への働きかけもない。つまり、通常の他動性の〈意志性〉も観察されないし、〈働きかけ性〉も観察されない。一方、同事象の客体は〈変化性〉という素性を伴う。

まとめてみると、「介在性の表現」と「状態変化主体の他動詞文」との両者は、〈意志性〉と〈働きかけ性〉などの他動詞性質の点では異なっている。「介在性の表現」は、「+意志性」「△働きかけ性」「+変化性」という素性を伴うのに対して、「状態変化主体の他動詞文」は、「-意志性」「-働きかけ性」「+変化性」という素性を伴う。両者は客体の変化という素性において共通点を示すだけで、主体の〈意志性〉〈働きかけ性〉という素性において相違点を示す。

しかし、事象構造の観点から改めて考えると、両者の間では、共通点がみられる。つまり、両者はともに複雑事象を表す。その複雑事象に、通常の他動詞が表すの単純事象が含まれている。単純事象の上に、さらに別の主体が加わっている。言い換えれば、事象構造の観点から見れば、両者は同じシステムにあるとみなすことができる。そのシステムを図で示すと、以下の通りになる。


(1)複雑事象を表す他動詞の意味的構造

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両者の違いは、ただ、主体と単純事象との間の具体的な関係というところにある。(1)においては、主体と単純事象との間の具体的な関係を矢印(⇒)で示す。「介在性の表現」においては、その関係が[have]であり、「状態変化主体の他動詞文」においては、その関係が[lose]であるというところにおいて両者は相違点を示す。具体的な関係が異なるからこそ、〈意志性〉や〈働きかけ性〉などの素性において両者は異なるが、事象構造という大きなシステムにおいては、両者は共通している。

複雑事象説は「介在性の表現」と「状態変化主体の他動詞文」の受身文の格形式に裏付けられる。通常の他動詞の能動態と受動態の転換は以下の通りである。


(2)

a.先生が花子を叱る。

b.花子が叱られる。


動作・作用を受ける対象である「花子」はガ格をとり、主語に立てられる。しかし、「介在性の表現」と「状態変化主体の他動詞文」の受身文は、動作・作用を受ける対象であるものはガ格を取らず、能動態のままにヲ格を取る。


(3)太郎は髪を切られた。

(4)私たちは家財道具を焼かれてしまった。


「切る」という動作・作用を受ける対象は「髪」である。普通の受身文の転換ルールであるによれば、「髪」はガ格を取り、「髪が切られた」という受身文をなすはずである。しかし、実際に「髪が切られ」という文字列で『現代日本語書き言葉均衡コーパス・少納言』で調べたら、ヒット数は0件であった。「太郎は美容室で髪を切った」の受身文は「太郎は髪が切られた」のではなく、「太郎は髪を切られた」という形をする。

なぜ受身文においてヲ格がそのまま保持されるのか。本書は以下のように説明する。「太郎」は「髪」という項に関わるわけではなく、「髪を切る」という事象に関わっている。つまり、「実体対実体」の関係ではなく、「実体対事象」の関係である。したがって、受身文「太郎は髪を切られた」は、「髪」という実体が何かを受けるという意味を表すことができず、太郎が「髪を切る」という事象を受けるという意味を表す。

「私たちは家財道具を焼かれてしまった」についても同様に考えることができる。