Causal Chainの観点からの分析
2.1 単純事象レベル
1.2節で確認したように、「状態変化主体の他動詞文」におけるデ格名詞が表す実体は、事象の引き起こし手である。causal chainの観点からみると、事象構造においては、「デ格名詞-客体」の間には、力の伝達・移動がある。「デ格名詞-客体」という事象は、一つのcausal chainに収められる単純事象となっている。デ格名詞は「原因」という意味役割として、この単純事象のinitiator〔4〕の位置を占める。(1)を用いて説明すると、以下のようになる。力を発するのは、「空襲」という原因である。空襲から家財道具に力が伝達・移動する。言い換えれば、空襲が家財道具に働きかける。そして、家財道具の変化を引き起こす。したがって、単純事象のcausal chain上のinitiatorは「空襲」のはずである。(1)と同じ事象を表すために、英語では、The air raid destroyed our houseのような文を使うのが普通である。事象構造のinitiator、「the air raid(空襲)」は、統語構造の主語にリンクしている。英語と異なり、日本語文の(1)では、単純事象のinitiatorとなっている「空襲」が、統語構造の主語にリンクしておらず、原因デ格にリンクしている。原因デ格名詞と客体の間には、[+cause]の関係が観察される。図で示すと、以下の通りである。
(12)原因デ格名詞と客体の間のcausal relation
2.2 複雑事象レベル
以上はデ格に着眼して分析し、原因デ格名詞が表す実体が、事象の引き起こし手である、また、「原因デ格名詞―客体」という事象は一つのcausal chainに収められる単純事象であると確認した。
上記のような単純事象の上に、さらに別の主体(私たち)が加わると、複雑事象になる。事象の引き起こし手は一つしかないという制限があるため、原因デ格名詞(「空襲」)が実際の働きかけの力を発するもの、また、対象の変化事象の引き起こし手と確認されたら、主体の「私たち」は引き起こし手ではないことが同時に確認される。つまり、単純事象における[+cause]の関係が確認されることと表裏一体の関係になるが、「私たち」という主体の下位事象は、「家財道具」という客体の下位事象(「家財道具が焼けた」)との間に、[-cause]の関係にあることが同時に確認される。「私たち」を主体とした[-cause]の複雑事象を図で示すと、以下の通りになる。
(13)私たちは空襲で家財道具をみんな焼いてしまった。
(13)においては、「空襲」から「家財道具」までの直線で表示したチェーンは、前節で確認した通り、単純他動詞事象のcausal chainと同じである。この単純他動詞事象の各下位事象、つまり、「空襲」という主体の働きかけと「家財道具」という客体の変化との間では、[+cause]の関係がみられる。この単純他動詞事象に、さらに「私たち」という項が加わると、事象全体が折線のチェーンで表さなければならなくなる。ここの折線は、直接的な引き起こしの関係でないことを表す。「私たち」は折線のチェーンで表された事象全体(複雑事象)の主体である。また、単純事象における主体は、客体と直線的なチェーンを構成し、客体と直接的に関係するが、複雑事象に入ったら、initiatorの資格を「私たち」という大主体に譲らなければならない。言い換えれば、大主体は、客体のような項と直接的に結びつかず、下位的な単純事象と結びついている。図で示すと、以下の通りになる。
(14)複雑事象
簡単にまとめると、単純事象は「実体対実体」の関係を表す。それに対して、複雑事象は、「実体対実体」ではなく、「実体対事象」の関係を表す。英語をはじめ、他言語においては、他動詞は(例外があるにもかかわらず)単純事象を表すのが普通である。一方、日本語では、他動詞は単純事象を表すこともでき、複雑事象を表すこともできる。「状態変化主体の他動詞文」は、複雑事象を表す他動詞文である。
大主体と単純事象との間の関係は、[-cause]の関係であることを確認したが、[-cause]の関係がいったい何の関係であるかはまだはっきりとしていない。それについては次節で分析する。
2.3 複雑事象を表す他動詞文の主体の意味役割
複雑事象の主体である「私たち」にはどの意味役割が付与されたのか。つまり、「主体」は[デ格名詞-客体]という単純事象との間には、、[-cause]の関係が確認されるが、[-cause]の関係はいったい何の関係なのかを明らかにする必要がある。「私たち」の意味役割については、いくつかの説がある。たとえば、天野(1987)はそれを「ある事態の所有者」とし、田川(2004)はそれを「非影響者」としている。劉(2012a)(2012b)は「主体」と「デ格名詞―客体」は[lose]関係にあると分析している。
2.3.1 所有者説
天野(1987)は、主体の「私たち」という主体は、〈ある実態を所有する〉と指摘した。以下は天野(1987)からの引用である。
状態変化主体の他動詞文は、主体の実質的な動きの意味がなく、又、間接的に〈何かを引き起こす〉という意味さえなく、その主体の動きの側面に相当する意味を捜すならば、〈客体に起こった変化を所有する〉、〈ある事態を所有する〉というきわめて動作性の低い意味になるであろう。主体の動きと客体の変化との二重的な意味を持つ動き変化他動詞を述語成分に持つ文は、主体として、このような、ある事態を所有する者、即ち状態変化の主体も取ることが出来るのである。
(天野 1987:159-160)
「所有」は、主体と客体との関係であるのか、もしくは主体と事態(本書でいう事象)との関係であるのかに関しては、天野(1987)は区別して言及しなかった。言い換えれば、天野(1987)は、状態変化主体の他動詞文に関しては、ほかの他動詞文と共通点を見つけようとした方法を採用したため、主体は、いったい客体と関わるのか、あるいは、客体ではなく、事態(事象)と関わるのかはまだ混同して扱っている。ただし、主体と文全体の関係については、天野(1987)は〈ある事態を所有する〉と述べており、主体が、客体ではなく、「客体に起こった変化」という「事態」に関わると主張していると理解してよい。
また、その「関係」は、「所有する」と述べている。「所有」とは、いったいどのような関係なのかについては、天野(1987)は言及しなかった。普通、「所有する」は、「もの」を所有すると理解されやすいが、「事態」を所有するや、「変化」を所有するというのは、どのようなことであろうか。それは説明されなかったが、とにかく、主体と事態の間の関係づけは、〈所有する〉という関係であると天野(1987)が主張している。
2.3.2 消極的な動作主説
石田尊の「行為者解釈を持たない主語について」(1999)は、「状態変化主体の他動詞文」に主眼を置くものではない。ただ、「状態変化主体の他動詞文」についてすこし言及したことがある。「主体はまったく動き手としての性質を持たないとする解釈があり得るか否かについては、判断の難しい部分がある。(主体は)…(中略)…抽象的な「動き」をしたと話者は見なしているのではないか、という可能性を考えねばならないであろう」と述べている。
客観的な事象構造においては、主体がまったく動き手としての性質を持たないものの、主体がその性質をもつと話者は主観的にみなしているという可能性がある。佐藤(1994b)が「介在性の表現」について論じたとき、「「介在性の表現」は表現する事態と言語形式の間に大きなずれがあるのである」と述べているが、本節で取り扱う現象も佐藤(1994b、1997)の主張で説明できると思われる。言語形式は客観的な事態だけではなく、話者の主観認識にも関わっている。話者は主観的に主体が動き手としての性質を持つと認識するという可能性があると本書は認める。
2.3.3 非影響者説
天野(1987)は(1)の主語の「私たち」の意味役割について、「状態変化の主体」と分析し、それは、〈客体に起こった変化を所有する〉もの、〈ある事態を所有する〉ものと主張している。天野(1987)の観点に対して、田川(2004)は(1)の主語の「私たち」の意味役割は、「被影響者」であると分析している。「動作主、経験者a、原因は全て[動因者]である。一方、状態変化主体は[被影響者]であった」という。両者の事象との関わりを分かりやすく表示すると次のようになる。
(15)[動因者]→事象
(16)[被影響者]←事象
すなわち、事象との関係から見れば、両者は一つのスケール上の高低で表されるようなものではなく、むしろ能動文と受動文のような関係に近いと考えられるのである。田川(2004)は、天野(1987)の「状態変化主体の他動詞文」という現象を、「[被影響者]他動詞文」と呼び、それが受動文に似た解釈を持つと述べている。
(17)私たちは、空襲で家財道具をみんな焼かれてしまった。
(18)気の毒にも、田中さんは昨日の台風で屋根を飛ばされたそうだ。
田川(2004)によると、[被影響者]他動詞文は(17)(18)のように受動文で言い換えることができる。この言い換えの可能性は、通常の他動詞文と[被影響者]他動詞文が能動文と受動文の関係に近いという直感の意味的根拠であるとされている。
そして、[被影響者]に対応するガ格句の統語的性質は、主題でもなく、二重ガ格構文の大主語でもない。普通の他動詞主語であると主張している〔5〕。つまり、[被影響者]は[動因者]と同様に、外項位置に現れる。この仮定によれば、他動詞主語の位置に現れる意味役割は、動因者のほかに、被影響者も存在する。そうすると、この仮定は明らかにUTAHの反例になる。UTAHとは、統語上の他動詞主語は意味役割と一対一に対応しているという原理である。田川の分析によれば、統語上の他動詞主語が意味役割との一対一の対応は保持されない。UTAHを保持するために、田川は被影響者と動因者について以下のように説明している。
a.日本語において、[+EXT]の素性を持つ自他交替に関わる接辞は、統語構造に外項を導入するという機能のみを持つ。その外項が[動因者]であるか[被影響者]であるかは事象との関わり方およびその他の要因によって決定される。
b.外項が[動因者]であるか[被影響者]であるかは、次のように事象との影響関係のベクトルによって決定される。
外項→事象:[動因者]
外項←事象:[被影響者]
[被影響者]の解釈を得るには、外項が事象に関与していなければならない。
(田川 2004:77)
田川(2004)は、[被影響者]ガ格句の統語的性質は、主題でもなく、二重ガ格構文の大主語でもない、普通の他動詞主語であると主張しているため、当該する現象(「状態変化主体の他動詞文」(天野1987による)、あるいは[被影響者]他動詞文(田川2004による))は、複雑事象ではなく、単純事象を表すという立場をとることになる。しかし、分析する際、[外項→事象]、[外項←事象]という分析の仕方を採っているため、やはり、本書が主張する「他動詞は複雑事象を表す」という観点と類似点がある。つまり、外項は、内項(家財道具)と直接関係するより、内項を含む事象(家財道具が焼けた)と関係しているのではないかと思われる。
また、主体と事象の間の関係については、田川は、主体は、事象に「被影響」、つまり、影響されるということを主張している。また、[被影響者]は事象に「関与」しているとも主張している。
田川説を、causal chainの観点を用いて改めて考えてみよう。力は、左方向の矢印が示したように、事象から主体(田川2004でいう「被影響者」)へという方向で伝達・移動した。(外項←事象:[被影響者] 田川2004:77)。言い換えれば、initiatorが事象になり、endpointが主体である。このようなcausal chain上の前後位置関係は、Croft(1991)が立てたThe Causal Order Hypothesisに違反する。The Causal Order Hypothesisは、「The grammatical relations hierarchy SBJ<OBJ<OBJ subsequent ccorresponds to the order of participation in the causal chain. …」という仮説である。つまり、initiatorは常に主語に、endpointは常に直接目的語にリンクする。しかし、「私たちは空襲で家財道具をみんな焼いてしまった」という文の主語「私たち」は、仮に田川が分析したように、被影響者であれば、causal chainのendpointに位置し、直接目的語に現れるはずであり、主語に現れるわけにはいかないのである。The Causal Order Hypothesisを保持するという観点からみれば、田川の分析がさらに検討する必要があると思われる。
2.3.4 [lose]説
田川(2004)は、他動詞の意味構造には、能動文のような関係とともに、受動文のような関係もあると主張した。劉(2012a)(2012b)は、まず、単純事象を表す他動詞文と複雑事象を表す他動詞文を分ける。そして、「状態変化主体の他動詞文」は、ある意味では、典型的でない他動詞文であり、このような他動詞文の主体は、典型的な他動詞文の主体と、共通点をさぐる必要がないと考えた。典型的な他動詞文は、単純事象に基づいているが、典型的でない他動詞文は、複雑事象に基づいていると主張した。
また、「状態変化主体の他動詞文」という複雑事象を表す他動詞文において、主体と下位にある単純事象の間では、[lose]の関係にあると分析した。つまり、(1)における「焼く」は、目に見えない意味要素が含意されている。「私たちは空襲で家財道具をみんな焼いてしまった」という文においては、その目に見えない要素は、「失う」ということになる。つまり、「私たちは空襲で家財道具をみんな焼いてしまった」における「焼く」は、「焼く」だけではなく、「焼いて失う」、「焼いてなくす」との複合的な意味を表す。言い換えれば、主体は「焼く」という形で家財道具を失ったと考えたい。目に見えない「失う」を[lose]と記し、[lose]によって、もともとの単純事象の「空襲が家財道具を焼いた」は、いわゆる主体の「私たち」と結びつけられ、複雑事象が作れる。図で示すと、以下のようになる。
(19)私たちは空襲で家財道具をみんな焼いてしまった。
もともとの単純事象におけるinitiatorが複雑事象のcausal chainに入ると、複雑事象全体のcausal chainにおいては、大主体の「私たち」と客体の「家財道具」の真ん中に位置する。その位置はまさに原因・道具の位置であるため、原因か道具のデ格が付与される。
この分析のよさは、UTAHも、The Causal Order Hypothesisも、田川の「動因者」説もうまく保持される点である。
initiatorはやはり物を失う人(物)である。「もともと持っているものをなくした」という力は、ある種の「手放し」のような抽象的力である。もともとは持っている・コントロールしている状態は、ロープが張っているような状態であるが、コントロールがなくなると、張っているロープが切れたように、一種の力が放出される。このような力の放出は、やはり、物を失う人が起点であり、物が終点である。言い換えれば、initiator は他動詞主語の位置に現れる要素であり、endpointは目的語の位置に現れる要素である。受動文が表す事象における力の伝達・移動は、これと逆である〔6〕。そのため、Croftが主張したThe Causal Order Hypothesisが保持される。
また、田川が主張した「被影響者」説は、「動因者動作主」説と矛盾するところがある。田川は「[動因者]と[被影響者]は両者とも外項位置に現れ、相補分布を成す」などを用いて、両者を統一的に説明しようとしたが、本書の主張は、「物を失う人」そのものが動因者と認められるため、田川論文に生じた矛盾がないため、田川の「被影響者」説より説明力があると思われる。また、同じ原因で、UTAHもうまく保持される。