1.現象
第三章の4節で動詞の実例を観察した際に、「ラオスの床屋で「おまかせ」で髪を切ったらこんな感じになった。…髪を切ってから街に出て愕然としたのは、こんな髪型の地元民は誰一人いなかったということです」「修理工場で車を直したいのですが…」のような用例が出てきた。このような例は、先行研究では「介在性の表現」として取り扱われている。本節では、まず、「介在性の表現」という先行研究を概観し、そして、その問題点を指摘する。
1.1 先行研究
1.1.1 佐藤(1994b,1997)の概観
本節では、佐藤(1994b,1997)を概観する。「介在性の表現」は佐藤(1994b,1997)によって提唱された概念である。佐藤(1994b,1997)によると、「介在性の表現」は、日本語の他動詞構文の中で特殊な意味的特徴を持つ表現であるとされている。通常、日本語文において述語のヴォイスの形態が無標の場合は、述語動詞の示す行為の主体は文の主語である。
しかし、一部には「山田さんが家を建てた」や「患者が注射をした」のように、述語のヴォイスの形態が無標であるにもかかわらず、主語が動詞の示す行為の主体ではないという解釈をも許すものがある。佐藤(1994b,1997)は、このような表現を「介在性の表現」と名付けている。
佐藤(1994b,1997)は、「介在性の表現」の特徴・位置づけについて、使役と対比的に検討を加えており、「介在性の表現」の成立要因について分析している。佐藤(1994b)は使役的状況について、以下のように述べている。
(1)使役的状況の過程
事態1=causing event(使役者が被使役者に対して何らかの行為をするように働きかける過程)
事態2=caused event(被使役者が当該の行為を行う過程)
(佐藤 1994b:57)
通常、他動詞は事態2を表す。事態1と事態2を合わせたら、使役者、被使役者(行為の主体)、行為の客体という三つの項があり、使役的状況になる。このような使役的状況を表すためには、「させる」という迂言的統語形式(ヴォイスの形態)が必要であるが、「介在性の表現」は、ヴォイスの形態が無標のままで、「させる」文などと同様に使役的状況としての意味的特徴を有しているとする。たとえば、「山田さんが家を建てた」という「介在性の表現」で考えると、その表す状況は発注者である「山田さん」が工務店に対して建築の依頼をする過程(事態1=causing event)と依頼を受けた大工さんが家を建てるという行為を行う過程(事態2=caused event)という大きく二つの過程から構成されているとするのである。
つまり、「介在性の表現」は、意味的に、使役者は、被使役者を介して、述語動詞が表す行為を遂行する表現である。述語には「他動詞+させる」の意味特徴が期待されながら、裸の他動詞が用いられる表現である。しかし、被使役者という仲介者は、現実の世界においては実際に存在しているが、それを表現する格は述語から付与されないのである。たとえば、
(2)山田さんが(*大工さんを/に/で)家を建てた。
(佐藤 1994b:56)
動詞「建てる」の示す行為の主体である「大工さん」を表現することができない。ヲ格を使っても、ニ格を使っても、デ格を使っても、大工さんを文に導くことができない。「介在性の表現」とは、「話者が実際に存在する被使役者を無視して、あたかも主語自身がすべての過程を自分で行ったかのようにとらえている表現」であると特徴づけられている。
「介在性の表現」の位置づけについて、佐藤(1994b,1997)は以下のように述べている。(1)「介在性の表現」は、自動詞に見られない、他動詞文に特有の問題である。(2)また、統語的には他の他動詞表現と違いはない。従って、統語的に独立したカテゴリーとしてではなく、他動詞表現の意味的バリエーションの一つとしてとらえるべきであると述べている。
「介在性の表現」の成立要因についての佐藤(1994b,1997)主張を以下のようにまとめる。
要因一:主語(使役者)の被使役者による行為の過程(事態2)をも含めた、事態の全過程のあり方をコントロールする能力が高いことが必要である。つまり、「介在性の表現」が叙述事態においては、被使役者による行為の過程やそれによってもたらされる結果のあり方は、基本的に主語(使役者)が指定する能力が相対的に高く、被使役者の主観などによって左右されやすい性質のものではない。
(3)(浩が写真屋に依頼して、顔写真を撮ってもらった場合)
浩が顔写真をとった。
(介在性)
(4)(浩が画家に依頼して、似顔絵を描いてもらった場合)
*浩が似顔絵をかいた。
(介在性)
(佐藤 1994:58)
「顔写真をとる」という行為は、その行為の主体の主観などによって結果が左右される可能性が低いものである。それに対し、「似顔絵をかく」という行為は、Aという画家に依頼するか、Bという画家に依頼するかによって、大きく結果が異なってくると予想されやすいものである。
要因二:「介在性の表現」における述語の動詞には、ある一定の結果性が必要である。また、それと表裏一体の関係になるが、動詞の意味がそれによってもたらされる結果のあり方よりも、動作者自身の動作の過程のあり方に焦点をおく度合が強い場合は、「介在性の表現」が成立しにくい。
(5)(花子が人に依頼して洋服を作ってもらった場合)
花子が洋服をつくった。
(介在性)
(6)(花子が人に依頼してセーターを編んでもらった場合)
*花子がセーターを編んだ。
(介在性)
(佐藤 1994:60)
(5)の「つくる」という動詞は、どのような動作過程を経るかという点には関心がなく、結果として当該の生産物を生み出しているという点のみに関心があるため、「介在性の表現」に成りうる。しかし、(6)の「編む」という動詞は動作過程のあり方がどのようなものであるかという点を特定する度合いが非常に高く、その点で「つくる」とは大きく性格が異なる。そのため、「編む」は動作者自分自身の手を使って行為したという解釈しか許されず、「介在性の表現」にはならないと述べている。
1.1.2 佐藤(1994b,1997)の問題点
1.1.2.1 デ格の重要性
佐藤(1994b)は「介在性の表現」は「話者が実際に存在する被使役者を無視して、あたかも主語自身がすべての過程を自分で行ったかのようにとらえている表現」と特徴づけている。その例として、以上の(2)を挙げている。以下では、(2)を(7)に再掲する。
(7)山田さんが(*大工さんを/に/で)家を建てた。
(佐藤 1994b:56)
佐藤(1994b)に即すれば、動詞「建てる」の表す行為の主体である「大工さん」を表現することができない。ヲ格を使っても、ニ格を使っても、デ格を使っても、大工さんを文に導くことができない。本書は、ヲ格と二格に関しては、たしかに佐藤(1994b)の指摘した通りであると認めるものの、デ格が「介在性の表現」の成立に大きく関わっていると考える。デ格が文に現れる場合、「介在性の表現」として解釈しやすい。たとえば、「太郎は美容室で髪を切った」においては、「美容室で」というデ格句が文に現れると、太郎は美容室に行って、髪を切ることを頼んで、切ってもらったと解釈しやすい。太郎は普段自分で道端で髪を切るが、今回だけ美容室で髪を切ったという解釈は取れないわけではないが、通常は前者の方がとれやすい。一方、場所デ格を削除し、「太郎は髪を切った」になると、「太郎は自分で髪を切った」「太郎は美容室に依頼して、髪を切ってもらった」という多義性が生じる。ここのデ格は場所デ格と判断する日本語母語話者が多いが、しかし、それは純粋な場所を示すデ格だけではなく、その場所にいる専門業者を同時に暗示する。事象からみると、そこにいる専門業者こそが働きかけの力を発するものである。
さらに、「山田さんは地元の工務店で家を建てた」という文においては、「地元の工務店で」というデ句は、場所デ句と解釈しにくい。山田さんは工務店という場所で自分の家を建てるわけではないからである。この場合のデ格は、道具デ格に近いと考えられる。事象でいう「建てる」という動作の主体、言い換えれば、働きかけの力を発するものは、地元の工務店である。山田さんは地元の工務店を介して「建てる」という動作を行う。事象における動作の主体は道具デ格としてとらえられているが、完全に「無視」されるわけではないと考えられる。
また、「話者が実際に存在する被使役者を無視して、あたかも主語自身がすべての過程を自分で行ったかのようにとらえている表現」と佐藤(1994b、1997)は「介在性の表現」について分析しているが、被使役者は完全に無視されたか否かを考察すると、以下のような例が出てくる。
(8)知り合いの工務店で家を建てた。
(9)Earth〔1〕で髪を切りましょうか。
(10)近所の修理屋さんで車を直した。
(11)ガソリンスタンドで車を洗った。
(8)-(11)においては、デ格が実際に存在する被使役者を暗示する。デ格を取り除くと、自分で動詞の表す動作を行うか、他人に依頼して、その動作をやってもらうかという多義性が生じるが、デ格が文に現れると、多義性がなくなり、後者、つまり、「介在性の表現」の解釈が取れる。佐藤(1994b、1997)はこのデ格の重要性を指摘していない。
1.1.2.2 「介在性の表現」の位置づけおよび他動詞の意味的構造の全体像
佐藤(1994b,1997)は、「介在性の表現」の位置づけについて、「他動詞表現の意味的バリエーションの一つとしてとらえるべき」と述べている。この位置づけは、佐藤(1994b,1997)の枠組みで考えると、特に問題はないが、しかし、佐藤(1994b)本人が今後の課題のところで以下のように指摘している。
日本語の他動詞文の中には、「私たちは、空襲で家財道具を焼いた」のように、主体から客体への働きかけを表さず、自動詞文相当の意味を持つ表現も見受けられる。このようなタイプの表現をもあわせ、他動詞表現の表す意味的構造の全体像をどのようにとらえるべきかという問題もさらに検討されるべきであろう。
(佐藤 1994b:62)
つまり、佐藤は,「介在性の表現」と「状態変化主体他動詞文」とのつながりを示唆はするものの,両者の異同や両者を含む他動詞表現の枠組みも示し得ず,結局は「意味バリエーションの一つ」といった例外的処置にとどまらざるを得なかった。
本書は、第六章で詳しく述べるように、いわゆる典型的な他動詞文、つまり、統語構造の主語は意味構造の主体、事象構造のinitiatorに対応する他動詞文は単純事象を表す他動詞文であり、「状態変化主体の他動詞文」と「介在性の表現」は複雑事象を表す他動詞文と分析し、他動詞表現の意味構造の全体像をそれでとらえるべきだと主張する。
1.2 他言語における類似現象――英語の「have」構文
上記の(1)の使役的状況を表すために、英語では、「have」構文を使うのが普通である。
(12)Taro had his hair cut.
(13)Mr. Yamada had his house build.
英語では、「介在性の表現」が表す使役的状況を表現するために、「have」という迂言形式が必要である。Ritter and Rosen(1993)では、「have」は新しい項を統語的に導入する機能を持つと指摘している。それと表裏一体の関係に、新しい項を統語的に導入するために、「have」という迂言形式の使用が必要である。迂言形式を使わず、他動詞そのままの形では、使役的状況を表すことができず、単純事象を表さなければならない。日本語の「介在性の表現」の解釈が取られる「太郎は美容室で髪を切った。」という意味を表すために、「Taro had his hair cut」という「have」構文を使うべきである。迂言形式「have」の使わない他動詞文「Taro cut his hair」は、「介在性の表現」の使役の意味が読み取れない。太郎は、はさみを手に取って、自分の髪を切ったという意味解釈しかとれない。
日本語の「介在性の表現」は、事象構造に三つの項(NP1(使役者)、NP2(被使役者)、NP3(対象))があり、使役的状況を表すため、「have」に相当する迂言形式が期待される。それにもかかわらず、日本語の「介在性の表現」は、形態的に迂言形式が使われず、裸の他動詞をそのまま用いる。