複雑事象の成立条件

2.複雑事象の成立条件

2.1 「介在性の表現」と「状態変化主体の他動詞文」

他動詞はどの場合で複雑事象を表し、どの場合で単純事象を表すのかという複雑事象の解釈がとれる条件をはっきりとしなければならない。

佐藤(1994b)「介在性の表現」の成立条件、そして、天野(1987)は「状態変化主体の他動詞文」の成立条件についてそれぞれ述べている。「介在性の表現」の成立条件は、以下の(5)のとおりである。


(5)「介在性の表現」の成立条件

Ⅰ 主語(使役者)の被使役者による行為の過程(事態2)をも含めた、事態の全過程のあり方をコントロールする能力が高いことが必要である。

Ⅱ 「介在性の表現」における述語の動詞には、ある一定の結果性が必要である。

(佐藤 1994b:57-62)


「状態変化主体の他動詞文」の成立条件は、以下の(6)のとおりである。


(6)「状態変化主体の他動詞文」の成立条件

Ⅰ 状態変化主体の他動詞文をつくる他動詞は、主体の動きと客体の変化の二つの意味を含む他動詞である。

Ⅱ 状態変化主体の他動詞文のガ格名詞とヲ格名詞は、全体部分の関係にある。

(天野 1987:155)


2.2 「have」構文

第四章で扱った英語の「have」構文は、使役に近い意味が取れるだけではなく、受身、特に間接受身に近い意味も取れる。言い換えれば、英語の「have」構文は、「介在性の表現」の事象構造を表す場合もあれば、「状態変化主体の他動詞文」の事象構造を表す場合もあり、曖昧な表現である。


(7)John had his watch stolen by Mary.

(Washio 1993: 46)

(8)John had his students walk out of class.

(Ritter & Rosen 1993: 520)


(7)は「John がMary に時計を盗ませた」という使役の解釈と「John がMary に時計を盗まれた」という受身の解釈を許し、曖昧(ambiguous)である。(8)も「Johnが生徒を授業から退出させた」という使役の解釈と「John が生徒に授業から退出された」という受身の意味を持つ。

「have」構文に関する先行研究は、Washio(1993)とRitter and Rosen(1993)などが挙げられる。Ritter and Rosen は「have」構文の持つ二つの解釈を、使役(cause)の解釈と経験(experience)の解釈と呼び、それぞれの主語を使役主(causer)、経験者(experiencer)と呼んでいる。そして、「have」構文がそのような二つの解釈を示すメカニズムについて分析している。まず、「have」は語彙的意味(lexical semantic content)を持たず、単に新しい項を統語的に導入するという機能のみを持っているということである。そして、「have」によって導入された項の意味役割はその補部にとる文のアスペクト的特性に基づいて計算されると主張する。具体的には、使役主は事象(event)の開始点、経験者は事象の終了点から定義されるということである。つまり、核となる事象が明確な開始点を持つ場合(動作主があるなど)には使役主として解釈され、明確な終了点を持つ(すなわちtelic である)場合には経験者として解釈されるのである。

以上のことを、本書の観点から再解釈すると、核となる事象が明確な開始点を持つ場合には、「have」構文が「介在性の表現」に近い意味が取れ、明確な終了点を持つ場合には、「have」構文が「状態変化主体の他動詞文」に近い意味が取れる。さらに解釈すると、「have」構文は、「介在性の表現」に近い意味が取れる条件は、「アスペクト的な開始点」、「状態変化主体の他動詞文」に近い意味が取れる条件は、「アスペクト的な終止点」であると解釈される。

2.3 本書の主張

2.1と2.2で挙げた先行研究はともに、動詞のアスペクト構造(aspect structure)に着眼して該当する現象が成立するという条件を付けている。「介在性の表現」の成立条件Ⅱとして、佐藤(1994b)は、「「介在性の表現」における述語の動詞には、ある一定の結果性が必要である」と述べている。〈結果性〉というのは、動詞のアスペクト的な素性である。また、「状態変化主体の他動詞文」の成立条件Ⅰとして、天野(1987)は、「状態変化主体の他動詞文をつくる他動詞は、主体の動きと客体の変化の二つの意味を含む他動詞である」と述べている。つまり、「主体の動作」にとどまらず、「客体の変化」という局面の意味も含む他動詞でさえあれば、「状態変化主体の他動詞文」が成り立つ。「客体の変化」も、動詞のアスペクト的な素性である。

本書は、第四章と第五章で「介在性の表現」と「状態変化主体の他動詞文」を〈意志性〉〈働きかけ性〉〈変化性〉などの素性を用いて分析したとき、両者は〈意志性〉と〈働きかけ性〉において異なり、〈変化性〉において同じであるという結果を出している。その結果を表1の通りにまとめることができる。

表1

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本書の第四章・第五章で行った素性分析からもわかるように、〈変化性〉というアスペクト的な素性が「介在性の表現」と「状態変化主体の他動詞文」の成立条件に大きくかかわっている。この点において本書は先行研究と一致している。

さらに一歩進んで、本書は、アスペクト構造だけではなく、動詞の事象構造(event structure)に着眼して、「介在性の表現」と「状態変化主体の他動詞文」の成立条件を取りまとめる必要があると本書は主張する。

本書は事象構造において、統語上の主体とは別に、動詞が表す動作の実際の主体が存在することが確認できれば、複雑事象が成り立つと主張する。以下の言い換えができるか否かを、そのテストとする。


(9)

a.山田さんは知り合いの工務店で家を建てた。

→b.知り合いの工務店の大工さんが(山田さんの)家を建てた。

(10)

a.太郎は美容室で髪を切った。

→b.美容室の美容師が(太郎の)髪を切った。

(11)

a.私たちは空襲で家財道具を焼いた。

→b.空襲が(私たちの)家財道具を焼いた。

(12)

a.気の毒にも、田中さんは昨日の台風で屋根を飛ばした。

→b.昨日の台風が(田中さんの)屋根を飛ばした。


(9b)のように、事象構造に実際に存在する動作主体がガ格名詞として文に現れても、(9a)と意味が変わらない。(10)-(12)も同様に考えることができる。

3.2で引用したRitter and Rosen(1993)の「have」構文の各意味解釈の成立条件、つまり、核となる事象が明確な開始点を持つ場合(動作主があるなど)には使役主として解釈され、明確な終了点を持つ(すなわちtelic である)場合には経験者として解釈されるという条件づけも、開始点と終止点に着眼しているため、動詞のアスペクト的な特徴に注目した条件づけである。佐藤(1994b)で言う被使役者、本書でいう動作の実際の主体は、迂言形式「have」によって統語的に導入されたため、英語の「have」構文の各意味解釈の成り立つ条件を付けるとき、項構造の問題がなく、アスペクト構造だけに注目してよいが、一方、日本語の「介在性の表現」と「状態変化主体の他動詞文」の成立条件をつけるとき、「have」のような迂言形式を使わない、言い換えれば、統語構造と事象構造の間にずれがあるため、アスペクト構造だけではなく、項構造も同時に見なければならない。ここでいう項構造は、統語的な項構造ではなく、事象構造における参与者という意味の項構造である。その意味の項構造をも重視すべきだと本書は主張する。

事象構造とアスペクト構造は動詞のもっとも重要な意味的構造であり、両者を合わせて動詞を分析する先行研究は、宮腰(2008)が挙げられる。宮腰(2008)は、アスペクト構造を横軸にし、動力学を縦軸にして、並行事象構造という分析の方法を提示している。

本書は宮腰(2008)と同じ立場をとる。それを踏まえた上、第四章で扱った「介在性の表現」という現象と第五章で扱った「状態変化主体の他動詞文」という現象は、アスペクト構造より、事象構造において明確な共通点があり、両現象を合わせ、他動詞の意味的構造の全体像をとらえる際、事象構造の分析がより有効であると思われる。