《那些人那些事 : 日汉对照》简介
《那些人那些事 : 日汉对照》这本书是由.朱伟林主编 ; 吴蓉婕 执行主编创作的,《那些人那些事 : 日汉对照》共有102章节
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编委会名单
主 编 朱伟林 副 主 编 姚建健 章坤良 董石华 执行主编 吴蓉婕(https://www.daowen.com) 日语编审 伊藤俊彦 山本和夫 总 顾 问...
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編集委員会
総 編 集 朱偉林 編 集 姚建健 章坤良 董石華 実 行 編 集 呉蓉婕(https://www.daowen.com) 日本語校正 伊藤俊彦 山本和夫 ...
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序にかえて─世世代代友好であれ、共に未来へ向かわん─
今年で中日国交正常化が実現して50周年となります。この五十年の間、特に中国の改革開放が始まって以来、中日民間友好交流が堰を切った流れのごとくどっと盛んになりだし...
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はじめに
此度、中日国交正常化50周年を記念すべく、朱偉林と姚建健は、中日の民間交流でのエピソードのある中国人と日本人の両者で、お祝いとして本を書こうと呼びかけました。 ...
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要世代友好,一起向未来(代序)
今年是中日邦交正常化50周年。在这50年里,尤其是中国改革开放以后,中日民间友好交流像开闸泄洪般蓬勃开展起来。人们都积极主动参与其中,人数之多、领域之广、热情之...
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前 言
此次,为了纪念中日邦交正常化50周年,朱伟林和姚建健发起了一项倡议,希望在中日民间交流中有趣闻逸事的中国人和日本人各自撰稿,汇集成册,以志纪念。 结果得到了大家...
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目录
目 录 编委会名单 編集委員会 序にかえて─世世代代友好であれ、共に未来へ向かわん─ はじめに 要世代友好,一起向未来(代序) 前 言 私の日中交流─上海白玉蘭...
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私の日中交流─上海白玉蘭会創設の想い出─
星屋秀幸(https://www.daowen.com)...
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日中国交正常化と北京留学
今年は日中国交正常化50周年という重要な年だ。この国交回復という歴史的出来事が、私にとっても40年余にわたり中国と深く関わるきっかけになった。50年前の1972...
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大平正芳総理の北京講演
北京留学中に意外なことがあった。1979年12月7日中国人民政治協商会議礼堂で中国訪問中の大平正芳総理の講演会があり日本人留学生も招待された。「新世紀をめざす日...
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三井物産天津事務所初代駐在員
初めての中国駐在は華北の流通拠点である中央政府直轄都市の天津だった。天津と言えば「天津甘栗」「天津絨毯」くらいで殆ど予備知識もなく、1981年春、新婚早々に妻を...
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二度の上海駐在
1984年秋、本社に帰任し東京本社では鉄鋼部門で中国市場開拓を任され、陸上油田向けに新日鉄の開発した高級石油鋼管の輸出を担当した。各油田との技術交流や商談の為、...
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「上海白玉蘭会」の創設
私は1999年に白玉蘭紀念奨を、2003年には白玉蘭栄誉奨を上海市政府から受賞した。白玉蘭奨とは上海に貢献のあった外国人を上海市政府が称える1989年から始まっ...
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「中国との絆・我が人生の旅」を中国語で出版
2017年日中国交正常化45周年を節目に上海人民出版社から拙著「中国との絆、我が人生の旅」を上梓した。6月6日上海環球金融中心のパークハイアットホテルで出版記念...
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忘れ難きペンフレンド
朱偉林 今年の梅雨明けのある日、手紙のファイルを整理していた時、美しい日本女性の古い写真が目に飛び込んできた。一瞬にして青春時代の美しく幸せな思い出が蘇った。 ...
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あの頃の事、40年超えて変わらぬ友人関係
古林恒雄 今年は日中国交正常化50周年の記念すべき年である。50年前と言えば、当時私は鐘紡株式会社の北陸合繊工場(福井県鯖江市)で、自分たちが設計して建設した新...
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中日相互自宅訪問で友情を深める
章坤良 紅梅が霜に打たれ雪に耐えている冬、辰年を送り、巳年を迎える大晦日の夜、我が家に客人として中日新聞(東京新聞)上海支局二代目支局長の中川陽さんを迎えた。 ...
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100年を超えて続く孫文と梅屋庄吉の友情
小坂文乃 『中日友好世世代代』、胡錦涛前国家主席はそう書き終えてゆっくりと筆をおかれた。10年ぶりの中華人民共和国国家主席の来日初日、胡錦涛前国家主席は福田康夫...
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原次郎への思い出
姚建健(https://www.daowen.com)...
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原次郎さんの話(一)
原次郎さんは、中学校の普通の音楽の先生で、私が知った時には既に50代半ばだった。彼は細身で背が高く、少し猫背で、見た目には気弱そうな人だった。しかし少し早口でし...
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原次郎さんの話(二)
原次郎さんのおかげで、沢山の子供達は日本に交流に行くことができた。陸燕華さんもその中の一人である。1983年、彼女は11歳の時、中福会少年宮「小伙伴芸術団」の団...
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原次郎さんの話(三)
かつて中福会少年宮「小伙伴芸術団」の一員として招待を受け、長崎訪問音楽交流の旅に参加した子供で、現在も音楽教育事業に従事している学生が三人いる。2017年、彼等...
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秋沢誠監督との思い出
董石華 1998年初夏のある日、腰に付けているポケベルがビービーと鳴った。ポケベル画面上の一行「董さん、テレビ局国際部の高部長に電話して下さい。電話番号は○○で...
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タクシー·ドライバー·ラプソディ
米田麻衣 日本は中国の10倍、インドの30倍だという。 GDPや消費者物価指数ではない。タクシーの料金設定の話だ。タクシーは世界共通の交通手段で、日本にも勿論タ...
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中日交流の虹の橋に微力を捧げる
吳蓉婕 母校である上海外国語大学を除き、大阪経済法科大学は私にとって深い縁のある大学である。 大阪経済法科大学は1971年に設立された。百年老舗のような名門校ほ...
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合唱を通じて日中民間交流
伊藤俊彦 私が2012年9月に入会した、上海の日本人からなる混声四部合唱団「上海コールプラタナス」(SCP)(中国語では「上海梧桐合唱団」)の1年に1回の定期演...
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東京の洋服師匠と上海のHONGBANGの二代
韓楽華 私は1歳の頃に発症した下肢部小児麻痺の後遺症により、「身体障碍者」の一人となった。小学校時代、同級生達の体育の授業を見る度に、羨ましくひどく嫉妬したもの...
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人情の街──上海
八田健 私 : 「僕、何度も言っている通り、海外なんて、全く興味ないんですけど……。」 上司: 「何言ってるねん!海外駐在員になればいろんなメリットがあるんだぞ...
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「俳句」と「回想上海」
胡秋興 三年前の2018年の春のことです。仲村さんという六十歳前後の日本の友人が、私たち数名と上海魯迅公園の桜並木を散策しておしゃべりを楽しんだ時、即興で「桜狩...
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『真実の中国』報道は上海支局スタッフの協力のお陰である
川村範行 私は1995年6月から1998年6月まで、中日新聞・東京新聞の上海支局長として上海に駐在した。駐在期間は、浦東開発が本格化したのに伴い、上海経済が上昇...