中国駐在員事務所での思い出

中国駐在員事務所での思い出

中村健一郎

今から約20年昔の話になりますが、私は成田空港から新規中国駐在員事務所設立の為、上海に飛び立ちました。これまで中国へは何度か出張で訪れたことはありましたが、いよいよ腰を据えて駐在員として働くことになったのです。我々の仕事は米国で開発された自動車向け特殊表面処理技術のライセンスと、それに使用される特殊塗料の供給が主な業務内容です。日本のテリトリーは東南アジア全般であり、日本国内を始めとし、中国、韓国、インド、マレーシアに技術契約先があり、この技術を使って自動車部品の表面処理を行い、現地の自動車会社に部品を供給しています。この表面処理技術の利点は、鉄で出来ている種々の自動車部品が錆びないようにすることを目的とする従来の表面処理に比べて格段に高い防錆力を有しています。製品の話はこれぐらいにして、駐在員事務所設立の話に移りましょう。

中国語がしゃべれない自分にとって事務所や住いを探すことは大変でしたが、日本の親会社が既に開設していた上海事務所のスタッフや現地の方々の力を借りて上海市内に適当な事務所とアパートを見つけることができました。幾つかの場所を見学し、事務所は地下鉄静安寺駅のすぐ近くにあるアポロビルというオフィスビルの一部屋を借りることができました。このビルを選んだのは、テナントが全て日本の会社の駐在員事務所であり、日本人同士で助け合える環境にあることが理由でした。

また、都会ながら緑に囲まれた非常に環境の良い静安寺公園内に立地していたことと、検討中の居住用アパートが近いのも決めた理由の一つでもありました。という事で、住まいは地下鉄の中山公園駅近くのアパートの一部屋を借りることになりました。事務所とアパートが決まり、どうにか上海駐在員事務所生活が始まりました。実際に通勤が始まると、朝には公園内で大勢の方々が太極拳をしている姿があり、中国に来たという実感が湧いたのを覚えています。

そもそも上海に駐在員事務所を開設することになった理由は、中国国内の自動車メーカーに採用されている特許技術の品質維持と、中国国内のライセンス契約者に対する技術サービス向上と市場の管理でした。

上海での生活を振り返ってみると、私にとって幸運だったことの一つは人間関係に恵まれたことでした。それはアポロビルで、隣の部屋で仕事をされていた所長さんと仲良くできたことでした。それというのも、偶然ですが、お互いのアパートが同じ所であり、年齢も同じであったことでした。その方は、日本の一流商社の北京支店に長年勤務されており、その経験と語学力を生かし、定年後に日本の会社と契約して上海事務所の所長として働いている方でした。この方のおかげで初めての上海単身生活が楽しいものになったと言えます。料理の得意な私が作った料理を美味しそうに食べてくれたり、休みの日には街を散歩したりして過ごしたものでした。今は二人とも日本にいますが、今でも交友関係は続いております。

上海事務所には、定期的に中国の契約者や自動車メーカーを訪問して仕事の状況について情報交換をする仕事がありました。主な出張先は北京、天津、蘇州、武漢、南京、青島、広州等ですが、各地で体験するそれぞれの地域にある文化遺産見学、特に各地の伝統ある食文化は出張の楽しみでもありました。長い歴史を持つ広大な中国の文化を実感するのは、なかなか難しいことですが、幸運にも訪問することができた幾つかの有名な文化遺産には大変感動しました。

北京のフォルクスワーゲン社の研究所を訪問した時に訪れた「万里の長城」はとても印象深い場所でした。真冬の寒い時期だったせいか観光客が殆んどいない中、山の頂を遥か遠くまで延々と続く長城の景色は想像を絶するものでした。壮大な長城を建設した当時の国力と技術の高さが偲ばれました。

別の機会に訪問した「紫禁城」の素晴らしさも大変印象的でした。日本で見た映画で「ラストエンペラー」というのがありました。その映画は実際に紫禁城で撮影されたと聞いております。映画でも見たシーンそのままの美しい玉座と、広大な敷地に建造された美しい宮殿は今でも目に焼き付いています。短い時間でしたが、貴重で楽しい体験でした。

蘇州の会社を訪問した際に案内してもらった、古都「蘇州」の街並みの美しさも印象深い景色でした。街の中を流れる川を舟で観光し、有名な塔にも長い階段を使って登りました。日本には「蘇州夜曲」という有名な古い歌があります。その曲の美しいメロデイーは、ゆったりとした古都の時間の流れにぴったりだと思いました。できれば何日か滞在したいと思った古都「蘇州」でした。

また、上海郊外で開催された、「F1レース」を観戦した話です。このレースは世界各地で開催されている特別な自動車レースで、中国では初めて開催された記念すべきレースでした。日本でも開催されていますが、チケットの確保が難しい人気のある国際的な催し物です。私は苦労してこのチケットを手に入れて、わざわざ日本からこのレースを観に来た会社の後輩ご夫婦と共にレース観戦に出かけることになりました。私にとって上海にいたおかげで叶った思い出深い経験となりました。(https://www.daowen.com)

2005年、仕事で十堰にある中国第二汽車会社を訪ねました。上海から武漢までは飛行機に乗り、武漢の空港からはタクシーで目的地に行きました。あの頃の武漢はあちこちで道路工事をやっていたので、タクシーの運転手は熱心に工事中の悪路について解説してくれました。もし、皆様が3年後再び武漢に来たら、工事が殆ど完成しているので、その時の武漢はもっと綺麗になっていると話してくれました。いまの武漢はきっと綺麗になっているでしょうね。

中国第二汽車会社に到着後、偉い人達の歓迎を受けました。そして、自動車部品の錆防止対策について打ち合わせをしました。十堰という所は大きな都市ではありませんが、食べ物が美味しくて有名な所だそうです。今でも記憶しているのは、あるレストランで食べた甘酒で発酵されたもので出来たパンのような餅です。今までに食べたことのない特別な味で、とても美味しかったです。この土地にしかない特別な味でした。第二汽車会社の近くには昔から有名な武当山があるそうですが、今回はハードスケジュールだったので、残念ながら武当山には行けませんでした。これから、もしチャンスがあれば武当山に行ってみたいです。

三年半の間上海に駐在して、沢山の人と出会いました。中でも特に陸梅芳様とはよくお付き合いさせて頂きました。陸様には、私が駐在員として上海に赴任する前から通訳として大変お世話になっていたのです。我々の会社の社員が中国へ出張した時は必ず陸様に通訳をお願いしていました。長いお付き合いがあり、客先にも一緒に訪問していたので、陸様は我々の製品のことも詳しくて、お客様に対して技術説明する場合にもとても便利でした。

家族と別居中の単身赴任の私に気を使って頂き、陸様の自宅に招待して頂いたことがありました。あれは中国の旧正月休みの時でした。幸いにも、陸様の自宅に行くのはとても便利で、私の泊まっていたアパートから、地下鉄2号線に乗り、最寄りの駅の世紀大道駅で降りると行くことができました。当日は約束通り改札口で陸様が待っていてくれました。陸様の自宅は駅から近くてとても便利で、ちょっど歩いてすぐ到着しました。そこは殆ど六階建ての建物でした。中国人の家を尋ねるのは初めてだったので、少し緊張しましたが、好奇心いっぱいで訪問しました。日本の習慣でお土産に日本の樹齢模様のケーキと清酒を持参しました。

家では陸様の御主人、お兄様、お姉様、子供達など10人くらいの方々が私を歓迎してくれました。お互いに挨拶をした後、楽しい雰囲気の中で、手作りのとっても美味しい色々な中華料理をご馳走になりました。彼らはお土産のケーキを食べて、みな美味しいと言ってくれました。清酒は中国のお酒よりアルコール度数が弱いせいか、好き嫌いが分かれたようでした。

宴会の途中で陸様のお子さんが、部屋にあるピアノを弾いてくれたことがとても印象的でした。将来は音楽の道に進むと話していたのを覚えています。あれから随分経ちましたが、今はどうしているかなと思い出しています。初めて見た中国人の部屋の飾りは日本の部屋と違い、畳が無くて全て洋室みたいでした。お正月の飾り物も珍しくて奇麗でした。賑やかに過ごした皆さんとの宴席を終えて、夜の9時30分ごろ陸様の家を立ちました。とても楽しい一日でした。

約3年半の駐在員生活の思い出は尽きませんが、仕事と日常生活両面について思いつくままに書いてみました。何しろかなり昔の事なので、記憶も薄れて、記憶違いの所もあるかと思いますが、その点はどうかお許しください。

最後に、私にこのような昔話をする機会を与えて頂きました、中国上海在住の親愛なる陸梅芳女史に深く感謝申し上げます。また、中国在任中に公私ともお世話になった恩に対し心よりお礼申し上げます。

2021年12月28日

中村健一郎

1946年生まれ。慶応義塾大学卒業後、1968年日本油脂(株)入社。2000年より日本ダクロシャムロックの上海駐在の事務長。