中園寿二さんを懐かしむ
中園寿二さんは元野村ツーリストの元社長で、長期にわたって上海錦江国際旅行社と良好な業務関係を持っている。1998年、私の日本駐在中に妻も家族として来日した。中園さんはその事情を聞くと、彼女を野村ツーリストアジア室のチーフアドバイザーの担当者として声をかけてくれた。ここでは主に中国投資視察団の手配と翻訳を担当する。
野村ツーリストは野村証券グループに属し、主な業務は海外に投資視察団を派遣することである。本社は都心の日本橋にある。中園社長はもともと野村証券グループの常務だった。当時は60歳未満で、身長は普通、頬は痩せていて、目つきは鋭かった。仕事では有言実行、パワーに溢れる人であった。会社では、絶対的カリスマのような存在であった。事務所で彼が怒鳴ると、会社全体がすぐに静まり返る。このような厳しい人なのに、異国の我々に対してはとても親切だった。今回、妻の「入社」諸事情について、中園社長は「ビザの日付、給料の詳細、出勤時間、仕事の内容」まで、自ら全部細かく尋ねた。私が出会った日本人の中では、中園さんは最も豪放な性格を持ちながら、極めて繊細だった。これほど対照的で両極端的な性格を同時に持つ人は、中園さん以外は見たことがない。しかも中園さんは紳士だった。一つ例を挙げよう。会社はよくお客さんを招待する。妻も時々出席しなければならない。毎回宴会が終わった後、中園さんは必ず妻のためにタクシーを呼び、また一人の同僚を家まで送るよう同行させてくれた。また、妻が家に着くと、その同僚は必ずタクシーを降りねばならなかった。遅くなったとしても、自分で駅まで歩くか、タクシーを呼ぶかだった。
妻は日本滞在中妊娠した。中園さんと奥さんは日本で子供を産むことに熱心に賛成し、「これはインターナショナルだ」と言い、励ましてくれた。特に感動したのは、妻が妊娠中から子供が生まれた後も、いろいろご親切な関心と配慮を向けてくれたことである。ここでは一つ一つ言い切れない。
帰国後も、中園さんのご恩はいつまでも我々の胸に刻まれている。出張などで日本を訪れるたびに、彼の好きな中国のおみやげを持って会いに行く。時々、彼は昔の同僚たちも呼んで酒を飲む。
五年前、珍しく中園さんから新年祝賀のメールに返信が来なかった。あんなに丁寧な中園さんのことだから、何か事情がないかぎり返事がないなどということは絶対にないぞ、と思い、私は急いで国際電話で野村の旧友に尋ねた。彼は「私も連絡が取れない、数年前に心臓バイパス手術をしたと聞いただけだ」と言った。翌年も、私たちは中園さんからの新年祝賀のメールを待ちわびていたが、結局、中園さんからの連絡は来なかった。私たちに永遠に返せない恩情と思い出を残したまま、消息が絶たれてしまった。あれほど剛毅な性格の持ち主の中園さんは、自分の弱い一面を人に見せたくないのだろうか。(https://www.daowen.com)
私は一人の古い友人が中園社長を形容した言葉を思い出した。それは「彼は古武士だ」という言葉である。
2022年2月27日
張号明
1963年生まれ。1988年上海大学外国語学院日本語科卒業。1998年から2002年まで上海錦江集団駐日代表。現在中国東方文化研究協会産業文化芸術委員会理事。