田中美弥OR久後美弥

田中美弥OR久後美弥

張慧慧

美弥さんと連絡するたびに疑問が一つ浮びます。彼女を田中さんと呼ぶべきか、それとも、久後さんと呼ぶべきか。美弥さんと知り合った当時、彼女はまだ結婚しておらず本名は田中美弥でした。数年後、彼女は結婚し旦那さんの姓を名乗ったため久後美弥になりました。 

以前、彼女に田中さんと久後さん、どちらで呼んだらいいのか質問したことがあります。彼女はどちらでもいいよと答えました。自分の心の中では、最初に出会った頃の気持ちを大切にしたいので、田中さんと呼びたいと彼女に伝えました。これは私のこだわりなのかな?それからずっと田中さんと呼んでいます。

初めて田中さんに会ったのは、七匹狼集団の中日合弁会社に面接を受けに行った時でした。彼女は、私の面接官でした。彼女と出会ったことで、この会社の仕事を受けることができました。入社後、彼女とは異なる部署に属していましたが、私たちは同じ建物で働いていたので、少し離れた席に座っている彼女に、日本語などわからない箇所について質問しに行くと、いつも優しく教えてくれました。私は、この会社に数ヶ月しかいませんでしたが、田中さんは私の心の中の優しい存在でした。その頃の私たちの関係は、知り合ってまもない浅い段階だったと思います。

七匹狼の子会社を離職後、友人と一緒にタオバオでネットショップ経営を始めました。当時は、タオバオの景気はよかったのですが、心はずっと不安を抱えており、本気でやる決心はつきませんでした。そんなある日、田中さんがQQで私に声を掛けてきました。一緒にお仕事しませんか?興味はありますか?との内容でした。その会社(以下:粋郁)は、上海世界貿易ビルにあり、家から徒歩圏内でしたから、私は話を聞くために、田中さんと面接日を約束しました。約束の日はあっという間に来ました。面接の時、本社(日本)の高階稔社長も出席され、後日、採用が決まりました。翌週から、田中さんと3年間一緒に働くことになりました。

粋郁は、中国で営業許可申請したばかりの新しい会社(日本独資)です。入社当時は銀行の登録情報さえありませんでした。入社してすぐに、田中さんと私は、一緒に銀行へ行って様々な手続きを行いました。上海世界貿易ビルは、日本の商品展覧会を頻繁に開催する場所なので、多くの日本企業が上海支社設立のため事務所を借りています。私達の会社は、婦人服メーカーだったので、事務所は商品の展示をしやすい内装にしていました。毎日、商品に興味があるお客様と交流をして販売したり、説明したり、顧客も徐々に増えていきました。田中さんと一緒にいくつかの展示会に参加したことがあります。地方出張など生地展やショッピングモールの販売会がそのほとんどでした。それと同時に、会社の準備が整い、次の仕事は、百貨店やモールに店舗を開くことでした。プロジェクトを展開するために、前期は様々な準備が必要でした。最初の半年は、銀行、工商、財政、税務、保険、年金などの総務関係、情報の調査、資格取得のために勉強や試験を受けて忙しく過ごしました。粋郁を離れてもう7年になりますが、今でもその時の記憶は鮮明です。たまに当時の会社関連の営業の連絡がきます。電話を受けるたび、離職したことを伝えています。少し残念です。粋郁の前期の準備期間は、高階社長がいつも日本にいるため、田中さんは副総経理として仕事をし、それと同時に社長に対して、私が大きな信頼を得られるように配慮してくださいました。会社の重要書類と印鑑は、私が管理している金庫の中に保管しました。田中さんとの関係も良好で、仕事に疲れた時は、一緒に外食をして会話を楽しむことが多かったです。

それから数か月、喜びと試練の時を迎えます。会社が立ち上がって半年後、前期準備が全て整いました。ELLIFE(ブランド名)一号店が蘇州久光百貨にオープン。出店準備で、田中さんは内装会社と店舗デザインや什器の手配を中心に仕事をして、私は久光百貨店へ出店するための申請書の手配とライセンス資料やいくつかの備品購入とKT板(POP)の手配をしました。本社(日本)の高階稔社長と椎葉智子さんは日本から出張に来て、私たちと一緒に店長と販売員の面接をしました。オープン前夜には、すべての商品陳列を終了させる必要があります。事前にエントリー書類を提出するため、当日はお昼ごろ、上海から蘇州へ移動しました。田中さんは、商品資料を準備しているため、当日の夜に蘇州で合流しました。百貨店の営業時間終了後(夜22時以降)、3名の店舗スタッフや内装会社の方と一緒に入場して、商品などの荷物をデパート内の指定場所に運びました。什器の設置は時間がかかるため、私たちは、一旦ホテルへ戻って休憩しました。什器の設置が終わった頃、店員から連絡をもらって再び現場に入り商品陳列作業を行いました。いま振り返ると、埃にまみれた現場でずっと見守ってくれていた販売員さんにとても感謝しています。当日、蘇州に住んでいる高校時代の同級生と食事の約束をしましたが、忙しくて食事ができないままホテルまで送ってもらったことを覚えています。友人は、女子2人の作業は大変ですねと同情してくれました。ホテルに到着してすぐに陳列作業開始の連絡がきました。すぐさま現場に戻り作業を開始。みんなの協力で翌朝10時に正式オープンを迎え、お客様に美しく陳列した、洒落た商品を提供することができました。とても疲れましたが、みんなの協力と努力の結果、非常に充実し幸せな気持ちになりました。

ELLIFEは、綿と麻を中心とした天然素材のブランドなので、周囲のブランドとは違った雰囲気でした。オープン当日、田中さんは縁起を担ぐために服を何着か購入していました。店員さんに対して、本当に気配りができるよい人だと感じました。当時、百貨店の期待に応え、百貨店の婦人服部門では、全体で常に売上ランキング3位を達成し、多くの分野でトップランキングに入っていました。その後も、蘇州と常州にあるショッピングモールに次々と出店し、毎回、田中さんと一緒に店員さんと協力して業務を完成させました。振り返ってみると、本当に大変な作業でしたが、当時はとても楽しかったです。

実は、日常の仕事や店舗管理について、田中さんと私は深い葛藤がしばしばありました。例えば、コンサルティング会社の意見や店員への管理方法、細かい日常のことで言い合うこともありました。これらの言い合いは、会社に対する責任に基づいているものですから、お互いの意見を理解し合うために必要でした。勤務時間外の夜8時から9時まで話し合ってから帰宅することもありました。田中さんが私を説得したり、私が田中さんを説得したり。お互い納得できず、翌日に気持ちが落ち着いた後、お互いに話しかけて理解し合うこともよくありました。このように、田中さんと私は、お互いの譲れない気持ちと理解する心を持って一緒に仕事をし、粋郁を自分たちの子供だと思って、非常大切していましたし、立ち上げスタッフとして管理したこともあって、会社に対する気持ちも深いものがありました。(https://www.daowen.com)

それから3年が経過しました。本社は、コンサルティング会社に店経営管理を委託することを決め、私と田中さんは退職しました。最後の日は、事務所を一緒に片付けて写真を撮りました。「円満終了」と写真に書きました。粋郁で、田中さんと共に子供を育てるつもりで、会社の管理をしてきた経験は、私に仕事以上のものを与えてくれました。私を変え、大きく成長させてくれました。私の人生の中での宝物です。それは、田中さんは私を信賴し、粋郁に誘ったことから始まりました。心から感謝しています。彼女は優雅で、寛容で、親切な方です。

粹郁を離れて3か月後、私は今の会社(グンゼ)に入社しました。日本でとても有名な会社で、田中さんは、そのことを非常に喜んでくれました。グンゼに入社して、新部長が私の仕事を認めてくれたのは、粹郁での経験と試練のおかげです。数年前、グンゼの商品を東方テレビショッピングの番組で放送することが決まりました。番組では事前撮影した商品の使用イメージシーンの動画を流す預定でした。監督は、イメージモデルとして、気品のある日本人女性を探すように求めてきました。営業部長の張晶さんが悩んでいた頃、私は田中さんのことが頭に浮びました。背が高くてモデルのような日本人女性で、目立つ存在だと思ったからです。それで、張晶部長に田中さんのことを提案しました。でも、当時田中さんが私の要請に応じてくれるかどうか自信がありませんでした。ずっと管理職として仕事をしていたので、難しいと感じていたからです。田中さんに話したら、すぐに応じてくれました。当日は環球港グンゼ店で、張晶部長が、田中さんに撮影内容を伝え撮影を行いましたが、私は撮影に関わっていなかったため、現場に立ち会えなかったです。後で、張晶部長の話しによると、監督も田中さんに対していい印象を持ち、撮影中、田中さんは自分のこだわりがあり、自分の意見を撮影スタッフに伝えるなど、とてもいいでき上がりでした。番組放送の時、田中さんが映った映像を見ました。久しぶりに拝見した表情は、やはり優しい感じがしました。感謝の気持ちで、その年の年末、田中さんの職場へ訪問しました。その後、東方テレビショッピングの生放送のため2回も撮影をしました。撮影スタッフからのお礼で、田中さんにグンゼ商品のプレゼントをすると、田中さんが私に感謝を言いにきてくれて、とても恥ずかしかったです。

ここ2年、私は色々な受験勉強や試験を受けて忙しいうえ、コロナの影響もあり、田中さんとお会いしていませんでした。でも、ウィーチャットのモーメンツで、彼女の日常がアップされて、見ることができます。彼女は生活を大切にし、中国の少数民族地域へ旅行をし、スポーツを愛し、ゴルフしたりしています。そしてとても思いやりがあり、猫の保護ボランティア活動もしています。

今、キーボートを叩いて、田中さんと一緒に過ごした頃を思い出すと、ちょっと寂しく感じます。幸い、私たちは共に上海にいます。これからも会えるでしょう。田中美弥でも、久後美弥でも、大好きで尊敬する美弥姉さんです。

2021年12月28日

久後美弥 訳

張慧慧

1984年生まれ。2006年青島濱海学院応用日本語科卒業。2015年華東師范大学人力資源管理学科卒業。現在日本GUNZE株式会社上海子会社の郡是(上海)商貿有限公司に勤務。