原次郎さんの話(二)
原次郎さんのおかげで、沢山の子供達は日本に交流に行くことができた。陸燕華さんもその中の一人である。1983年、彼女は11歳の時、中福会少年宮「小伙伴芸術団」の団員として訪日交流活動に参加した。その彼女も現在は三人の娘の母親である。彼女は、原次郎さんと彼女の日本の義理の母富工さんのことは本当に大切にしている。彼女は次のように話した。(https://www.daowen.com)
「私と富工ママ二人は今も昔のままの関係を持っている。1983年に日本へ行った時、私はまだ小さかったので物事があまりよく分からなかったが、原先生とその同僚の先生達がとてもやさしく飾り気なく、特に私たちを可愛いがってくれて、大事にしてくれたことしか覚えていない。出演以外でもいつも私たちを連れて、あちこちへ遊びに行き、美味しいものを食べさせてくれ、自分の子供に対するのと同じように、至れり尽くせりで面倒を見てくれた。1993年、私は親戚友人訪日ビザを申請した。当時、訪日ビザ取得は非常に厳しかった。私は日本領事館からビザ申請拒否の知らせを受け取った時、すぐに富工ママに連絡した。彼女は直ぐに原先生と対策を相談し、当時、原先生と冨工ご夫婦は一人国会議員の友人を通じて日本国入国管理局にご説明をしてもらった。間もなくビザが取得でき、私は予定通り訪日でき、丸々一ヶ月長崎に滞在した。この間、日本の友人宅に順番に泊まり、毎日それぞれの友だちがあちこちを案内してくれ、行く先は変化に富んでいたので、私は日本人家庭の本当の日常生活を体験することができた。このことは私が日本文化や風土人情などを理解するのに大きな助けとなり、日本語会話のレベルも大いに向上した。2016年、私はイギリスから三人の娘を連れ、原先生、富工ママとその他の友人に会うために長崎を訪ねた。原先生夫妻と富工ママ夫妻が私と三人の娘に会った時、大変感激し喜んでくれた。私の一番上の娘がフルート演奏をした。原先生はその場で自ら専門的な指導をしてくれた。その光景を私は一生忘れることができない。幸せなことに、私の娘達は現在では彼等の三代目達と友達になっている。中日友好のリレーのバトンが第三代に受け継がれ、友好の火が継承されたのを見ることができ、私はこの上ない安心と喜びを一杯感じた。」