「俳句」と「回想上海」

「俳句」と「回想上海」

胡秋興

三年前の2018年の春のことです。仲村さんという六十歳前後の日本の友人が、私たち数名と上海魯迅公園の桜並木を散策しておしゃべりを楽しんだ時、即興で「桜狩一日写真記念会」という俳句を詠んだので、私たちは興味をそそられました。

仲村さんは十数年前に上海に来て定住している、俳句が大好きないわゆる「文芸青年」です。若いころに俳句作りを始め、日本や上海の日系企業の俳句会にしょっちゅう投句して、何度も受賞し、賞品を獲得していました。彼は俳句の作り方や体験などを中国の人たちと共有しようと考え、私たち友人を数名誘って花見をしながら、俳句を詠んだのでした。俳句について仲村さんは「私が俳句を好きなのは、俳句は中国の古詩、その後の唐詩宋詞などと密接な関係があり、また日本の俳聖・松尾芭蕉や有名な俳人の小林一茶、与謝蕪村、正岡子規ら多くの人たちが、中国唐宋の詩人・李白、杜甫や中国の地名・桃源境などを題材として俳句に詠み、俳句が中国と深く結ばれていたからです」と話しました。私たちは俳句には興味がありましたが、奥が深くてかなり難しそうに感じられたのです。「俳句を学ぶことで、皆さんがすでに修得している日本語をさらに磨くことができるし、我々両国の民間人同士の文化交流の一つの方法にもなるでしょう。そうすれば両国の民間人は互いに理解、交流、訪問ができ、俳句と漢詩が両国人民の友情を結ぶ絆となるのではないでしょうか」と、仲村さんは私たちに熱心に話しました。

この情熱溢れる言葉をきっかけに、私たち十数人が集まって俳句の勉強を始めました。仲村さんは勉強会のたびに、あらかじめ自宅で準備した俳句の資料を印刷して持参し、参加者一人一人に渡して、基本的なことや定義から講義してくれました。まるで学校の先生のようでした。また、時にはみんなが作った俳句の練習作品をその場で指導し、言葉の添削もしてくださいました。一番感動したのは、仲村さんは講義など準備にかかった費用をすべて自己負担し、私たちからのお礼を一切受け取らなかったことでした。まるでお金持ち出しのボランティアのようでした。今はコロナ禍の状況下で、仲村さんはオンラインとオフラインを結合した方法を採用し、私たちの俳句のレベルが向上するよう絶えず助力し続けてくれています。

俳句が上達するにつれて、私たちの中の3、5人の作った俳句が雑誌日本語版『人民中国』の微信公式アカウントに発表されました。

俳句が上達するには仲村さんの指導が欠かせません。仲村さんは私たちの俳句創作力をさらに向上させようと、日本の俳句界の著名人に電話や手紙を通じて何度も指導を要請しました。中村さんの情熱と執念は、俳聖・正岡子規と高浜虚子の直系の門下である、俳句雑誌『紫』の主催者山﨑十生宗匠を感動させました。山﨑宗匠は私たち上海俳句勉強会の練習作品10句に毎月添削と批評をしてくださることを承諾し、しかも無償で対応してくださいました。何とも光栄なことで、感謝の気持ちが尽きませんでした。仲村さんや山﨑宗匠の期待を裏切らないよう、私たちはよりよい俳句を創作するよう黙々と努力しようと決心しました。上海の仲村さんと、日本の山﨑宗匠のお二人に指導していただき、私たちの俳句は一歩ずつ前進しています。現在、『人民中国』の微信公式アカウントには私たちの作品が毎回掲載されています。日本の山﨑宗匠はそれを知って大変喜ばれ、ある時、宗匠の地元ラジオ放送局の番組プロデューサーの取材を受けた時、「上海にも俳句勉強会があります。今後、機会があれば取材に行かれてはいかがですか」と、話されたそうです。私たちはこの話しを聞いて大変な感動と同時に不安を覚えました。感動したのは俳句界の大家に上海の我々の活動を話題にしていただいたことで、不安に思ったのは、まだ俳句の初級者レベルに過ぎないのに、このような紹介に本当に応えられるかのことです。

「私は半分、中国人ですよ」と仲村さんは時折、ユーモアを交えて語ります。「上海に来て10年余り、中国の東西南北の所々を観光しました。海南省から黒竜江省までは四千キロ近くあるが、上海から東京までは二千キロにも満たない。両国はまさしく一衣帯水の隣国ですね。中国の諺に『遠い親戚より近くの他人』というのがありますね。また、中国の発展、特に上海の発展スピードには驚嘆させられます、高層ビルが林立し、一方で緑の木々が生い茂っていて、高速鉄道、無人機、無人コンビニなどが次々と登場しています。私は高速鉄道に乗って旅行に出かけたり、商業施設を見たりするたび、中国の発展がもたらした豊かな成果を至る所で楽しませてもらっています。私は上海の生活にとても幸せを感じています。」

観光好きの仲村さんですが、知恵にも満ちた方です。日本人駐在員に、もっと上海の魅力を知ってもらうために、無料で市内の観光案内をしてあげ、人文景観や歴史的な史跡などを歩き、世の中の移り変わりを見つめ、今の素晴らしい生活を大切にするお手伝いしてはどうかという趣旨で、2021年春ごろ、私たちの間で時間に余裕がある人を集めて欲しいと提案されました。この興味深いアイデアを上海駐在員向けの情報誌、フリーペーパー『ジャピオン』に「回想上海」のタイトルですぐに広告を掲載しました。仲村さんは改革開放以来、上海に駐在する日本人はピーク時に十五万人近く、一番少ない時でも五万人を超えていたことをご存知でした。また個人で上海に観光に来る人もいます。日本人も余暇を利用して上海のあちこちを散策し、風土や人情などを知りたいと考えているでしょう。しかし言葉がうまく通じないことと、旅行会社にはこのようなボランティア案内はできないので、この方法なら日本人の心に響くような気がすると思いました。案の定、広告が掲載されてから数日もたたないうちに、日本大手商社、自動車会社、上海国際学校などや多くの個人から申し込みがあり、日本語の案内で文化観光地や古跡に連れて行ってほしいとの要望がありました。(https://www.daowen.com)

仲村さんはサービスと案内をしっかりするために、私たちに一度事前に下見をさせました。つまり、見学コースを事前に廻っておくのです。どこに集まるのが便利か、見学にかかる時間、途中の休憩場所や付近の食事場所などを詳しく調べました。俳句の指導と同じように綿密です。

下見を終えてから、私たちは実際に日本の友人を連れて計画通りにルートを散策しました。虹口地区の魯迅記念館、内山書店の跡地などを訪れました。近藤さんは内山書店の写真や資料を見て、「内山さんと魯迅先生の深い友誼は、本当に普通の友情を超えていたね」と語っています。また、大久保さんは徐家匯を案内してもらい、いろいろな文化的観光地を見学した後で、「私は徐光啓先生を少し知っていましたが、彼は農学者、数学者、天文学者で、とても素晴らしい人だと知り、改めて彼を尊敬しました」と語ってくれました。

また、私たちは日本の友人の個別の要求に応じて、上海の市街地にわずかに残っている大境閣地区の二ヶ所、明清時代の古城の壁の遺跡を訪れました。また、南翔古鎮を訪問し、千年寺院にも参拝しました。特に南翔本場のオリジナルの南翔小籠包を食べてから、日本人の友人は南翔小籠包はこれまで食べた小籠包の中で一番美味しかったと絶賛していました。

また別の日本の友人は、「『回想上海』のボランティア案内を通じて、私たちはより多くの人文景観、歴史の断片を理解しました。私たちは一般人ですが、互いにもっと多方面に交流を拡大し、日中民間の友好往来をもっと広く、友情はもっと長く続けることができます。みんなで一緒に素晴らしい未来を作るために努力しましょう」と語っていました。日本の友人たちが話してくれた言葉は、私たち中国人の本音でもあります。中日の民間交流が多様化すれば、小さな交流もやがては友情の大きな海にすることができます。

俳句の勉強会が継続し、「回想上海」のボランティア案内が話題になり、中日両国人民の間の友情が深く根を張って、活気に満ちたものになることを願っています。

2021年11月25日

胡秋興

1957年生まれ。1988年中央テレビ大学行政管理専攻卒業。1995年上海大学外国語学院日本語科卒業。1999年より退職まで日本KUNUGI株式会社の上海事務所長。