上海での楽しい交流

上海での楽しい交流

西村隆

2009年10月、私は駐在員として上海に派遣され初めて上海での生活を開始した。前年には北京オリンピックが盛大に開催され、次は上海万博、ということで上海の街は急ピッチで整備が進められていた。市内の至る所で工事が行われ、街が非常に埃っぽかったのをよく覚えている。

上海には以前出張で来たことがあり、エネルギッシュな街の様子が好きになり、自ら希望して赴任したものだが、中国語は全く出来ず赴任当初の生活は苦労の連続だった。タクシーの運転手に行き先を伝えて言葉が通じないのはしょっちゅうだったが、仮に通じても何も返事が来なくて不安になるとか、「あ?」と聞き返されてビビッてしまう、といった事ばかりだった。地下鉄で下車しようと思っても、乗ってくる人の勢いに押されて危うく降り損ねそうになった事もたびたびある。またデパートで買い物する際にも、「収銀台」でまず会計してから商品を受け取るという仕組みが理解できず右往左往して苦労した事もある。

ただ、色々と経験を重ね中国語も理解できるようになり生活にも慣れてくると、上海という街が非常に便利で、ここに暮らす人々が非常に親切であることが実感でき、上海生活がとても魅力的に感じるようになってきた。また、近年のデジタル化の進展は生活の利便性を一気に向上させ、一時帰国で東京に帰ると逆に不便を感じてしまうようになってしまった。

さて、今ではすっかり馴染んでしまった上海生活だが、振り返れば多くの方にお世話になってきた。印象深い交流を数え上げれば本当にたくさんあってきりがないのだが、いくつか紹介したい。

まずは何と言っても中国語の先生。何人かの先生に中国語を教えてもらったのだが、やはり一番最初に教えてもらった先生は特に印象深い。会社のサポートにより、赴任後最初の半年間は毎日午前中に会社の会議室でレッスンしてもらった。同時期に赴任した日本人の同僚があと2人いたため、3人で一緒にレッスンを受けた。当時まだ二十代半ばで綺麗な先生だったがレッスンは厳しく、ついていくのが大変だったが、お陰で半年経つ頃には生活上必要な会話はある程度できるレベルになった。

ただ、当然ながらそこに至るまでにはなかなか大変で、レッスン開始してから2ヶ月くらい経つとレッスン中は質問も含めて中国語しか許されず、非常に緊張感のある時間になったし、また毎回宿題が出され、まるで高校時代に戻ったような気分だった。夜は同僚と飲みに行くことも多かったが、飲み屋に宿題を持参し、こっそり飲み屋の服務員に答えを教えてもらったことも結構あった。また先生曰く、歌を覚えることも発音の練習には効果的ということで、会社の会議室でアカペラで「月亮代表我的心」を歌わされたこともあったし、週末に皆で一緒に量販式KTV「ビッグエコー」(当時南京東路歩行街にビッグエコーがあった)に連れて行ってもらったこともあった。

とてもお世話になった先生だが、一度崇明島にある先生の実家に日帰りでお邪魔させてもらったことがある。天気の良い週末、皆で宝楊埠頭に集合しフェリーで崇明島へ向かった(当時の私からしたら自力で宝楊埠頭に行くだけでもなかなかの小旅行だったが)。当然ながら初めての崇明島だったし、長江を直接見るのも初めてだったので非常にワクワクしたことを覚えている。初めて見る長江はとても大きく「川」ではなくまさに「海」のようだった。フェリーは崇明島の南門埠頭に着いた(と思う)が、何しろ10年以上も前の事で、今とは景観も全く異なり、埠頭付近に大きな建物は全く無く、道路も十分に舗装されておらず、そこにたくさんの人力三輪車が客待ちをしていた。私たちもその三輪車に分乗して先生の実家に向かった。道すがら目に入るのは舗装されていない赤茶けた小道と、道の両側の樹木ばかりで、人工の建物が非常に少なかった印象がある。

先生の家は非常に大きく立派で、ご両親も暖かく迎えてくれた。もしかしたら、ご両親が初めて会った日本人が私たちだったのかもしれない。ある程度通じるようになったと勝手に思っていた私の中国語がなかなか通じず、自信を大きく打ち砕かれたのも、今となっては良い思い出である。半日滞在させてもらったが非常に楽しかった。中国のマージャンを一緒に体験させてもらい、一緒に餃子を作って食べ、崇明島の米酒も飲ませてもらった。今では米酒も何度も飲んでいるが、当時初めて飲んだ味は甘みがとても爽やかでとても美味しかった記憶がある。(https://www.daowen.com)

とても楽しい滞在だったが、帰路も面白い体験が出来た。滞在が思ったより長くなってしまい、南門埠頭に着いた頃にはチケットを買い求めるお客さんが長い行列を作っており、早々にフェリーでの帰宅を諦めタクシーを探すことにした。ただ、捕まえたどのタクシーの運転手に聞いても、上海市内に行ったことが無いから無理、という回答ばかりでなかなか見つからない。ようやく3台のタクシーと交渉ができたが、それも、その中の一人の初老の運転手が、「自分は一度だけ上海市内に行ったことがあるから何とかなるだろう」と言ってくれたので、他の2名が何とか了解したというものだった。崇明島といっても上海市からせいぜい2~3時間くらいの距離しかないし、しかも行政上は上海市なのに……、と不思議に思ったが、改めて中国という国の奥深さを知った思いだった。しかも帰路は期せずして長江大橋で長江を渡る経験もでき、なかなか盛りだくさんの楽しい小旅行だった。その先生とは最近すっかり連絡が途絶えてしまったが、とてもお世話になり大変感謝している。

印象深い交流を更に挙げるとすれば、今も頻繁に交流させてもらっているが、会社の顧問でもあり、良き兄貴、良き先輩でもある上海人である。中国語がある程度できるようになってくると、交流の範囲も広がり当然ながら学べる事も多くなってくる。

この先輩とは、中国語でそれなりのコミュニケーションができるようになってから、ぐっと距離感が縮まった気がする。飲みにもよく連れて行ってもらい、また旅行にもよく行き、とてもお世話になっている人である。

昨年は貴陽出張後に、その延長でそのまま茅台鎮に一緒に行き非常に貴重な時間を過ごした。茅台鎮は貴陽市から車で3時間足らずの距離だが、外国人だけで行くのはなかなか難しいし、そもそも外国人だけで旅行しようとはなかなか考えないと思う。ただ白酒文化を理解する上では非常に興味深い場所だ。山に囲まれた田舎道を抜けていくと突然賑やかな街が現れるのだが、近年の茅台集団の隆盛がそのまま街に反映されたような印象を受ける。街には数千の白酒工場が存在し、原材料である高粱を煮た独特な香りが漂っていて、何だか酔っぱらったような気分になる。

現地の方のご厚意で何社か白酒工場を見学させてもらい、製造工程の説明や各種白酒の試飲もさせてもらった。地元の食事もとても美味しいのだが、もちろん常に白酒付きで、アルコールに溺れるような小旅行だった。ただ今から思うと不思議に悪酔いはしなかったような気がするので、良い白酒を飲ませてもらったのだと思う。

今年は日中国交正常化50周年。国家と国家との間には、いつの時代もどの国家でも複雑で様々な問題が存在しているものだと思う。ただ、人と人との交流は、もっと原始的で自然なものだ。人は一人では生きていけず、互いに支え合いながら、交流しながらでないと生きていけない存在だ。私たち民間での交流がますます活発になることで、様々な誤解を減らし、両国が更に良い関係の下で発展してくことを切に願っている。

2022年2月9日

西村隆

1970年神奈川生まれ。東京大学文学部卒業。アサヒビール株式会社入社後、主に人事や総務の分野に携わる。2018年4月から2022年7月まで、朝日啤酒(中国)投資有限公司総経理。中国歴は通算12年。