稲見春男さんの中国への思い
于強
2010年5月初め、爽やかな初夏の日、上海の某有限会社総経理の稲見春男さんはやっと待ち望んでいた上海万博を日本に住んでいる妻と子供たちと一緒に見学することができた。彼らは2日間で12ヶ所を見物して回り満喫した。
稲見春男さんは見物後、感慨深く話した。「上海万博は大変壮大で壮観です。上海万博が開催できたことによって中国経済は必ず前進し飛躍的に発展することでしょう。また上海が建設的に発展することは計り知れない意味があります。私は上海万博の成功を祈るとともに、中国がいっそう美しく強大になることを祈っています」。
稲見春男さんは中国に対して特別な思いがあり中国に憧れていた。彼は青年の頃に初めて中国の写真を見た経験を話した。稲見さんは中学生の頃は欧米に憧れていたが、高校の時に偶然に中国の桂林の水彩画を見て気持ちが変わった。桂林の幻想的な仙境山水の風景は彼を惹きつけ夢中にさせた。彼はこの時から将来機会があればこの東方の「奇山秀水」と古代中国の文明をぜひ見てみたいと思っていた。彼の高校、大学の時期にはそのチャンスは無かったが、必ずいつかは実現するだろうと考えていた。
歳月は過ぎ、長い間待ち望んでいた稲見さんを喜ばせる一日がやってきた。2002年日本の某会社が稲見さんを中国広東省中山工場の総経理として任命することを伝えた。彼は少しも躊躇することなくそれに応えた。彼は既に47歳の中年であったが、夫婦の別居生活、不慣れな中国の生活、言語の問題など少しも気にすることがなかった。なぜなら彼は中国が好きだったからである。
彼は広東省中山市にある日本企業に赴任し、3ヶ月を費やして中国語の特訓に励んだ。彼は少しも苦にせず学習し、基礎を学び、さらに独学で中国語のレベルを高めていった。また彼は同時に中国社会をゆっくりと受け入れていった。彼は中国語を話し、中国の新聞雑誌まで読み、中国の経営方面の法律や規制に習熟していった。それは1人の日本人として簡単なことではない。2004年、仕事の関係で彼は中山から上海に移り上海で生活することになった。
中国は彼にとても美しいものを与え、より一層中国に夢中にさせた。彼は中国が魅力の詰まった国であると考え、長く過ごすうちにますます楽しくなってきた。彼は先ず休暇を利用し、寝ても覚めても思い続けていた桂林山水を遊覧した。桂林山水の最も美しい風景を味わうことができ、自分の願望を実現させた。彼は、また黄山、九寨溝等の有名な山や川や北京、西安、大連、青島などの主要都市を心ゆくまで見て回った。中国の美しい自然に魅ろされ、中国の文明に感服した。さらに日本文化の根源は中国にあると感じた。例えば日本の端午の節句は中国から日本に伝わった伝統であることを中国で端午の節句を過ごし身近に感じた。彼は、唐の時代には多くの学僧が日本から中国に渡り学び、互いに往来した。無論、現代も将来も中国と日本は友好国であるべきである、と言った。
彼は総経理として日常の仕事の中で責務も重く、市場の熾烈な競争、社内外の面倒なことにも、どんなに忙しくても後ずさりすることなく対処した。何が彼を鼓舞しているのか?何が彼を支えているのか?彼の中には中国への思いがあり、さらに、どれほど忙しくなろうともそれを楽しさに変える前向きな心を持っていると思う。(https://www.daowen.com)
プレッシャーと繁忙な日々の中、彼は余暇を利用して自分の生活を充実させていた。彼は自ら絵を描くことが好きであり小さい頃から水墨画を描いていたが、のちには油絵に転向した。彼の描く油絵は中国の山水や古い建築物、人物等で中国の風情をあでやかに描写している。彼は絵を通して中国の美しさを描いているが、それは日中の交歓を感じさせるものであり、親しみと楽しさを感じさせてくれるものである。彼の描いた何枚かの絵は『走向社区』と言う雑誌にも掲載された。
また稲見さんは学んだ中国語を日中友好にも役立てた。私が稲見さんと知り合ったのは彼の母の兄弟・島崎さんの紹介によるものである。島崎さんは、以前は日本の大企業の社員で横浜にある詩吟の会の会長を務めている。1990年、彼は日本の詩吟の愛好者を引率し私の企画した詩吟中日友好の会に参加した。私達にとって忘れられない年になった。私が発表する中日友好に関する文章は稲見さんが翻訳しメールで島崎さんに伝え、島崎さんはまた他の日本の友人にも伝え友人と共有していた。
私が意外だったことは、稲見さんが私の書いた「以史為鑑、世代友好」をテーマとする長編小説『桜の花の輝き』を読み感動したことである。彼がこの本の第一章を日本語に訳し叔父の島崎さんとその他友人にもメールすると、彼らはこの続きを読みたいと期待した。稲見さんは自分を鼓舞し大胆な決定を下し私の賛同を求めた。彼は業務の余暇を利用して40万字の中国版『櫻花璀璨』を日本語に訳したのである。将来、この本が正式に出版されるかどうかも分からいまま、また仕事の忙しさにも関わらず彼は翻訳を完成させたのである。私は彼のそのような熱意を支持し感動した。私の小説の翻訳に精力を費やし、彼の休息や健康も心配であったが、彼は気にもかけず、「かまいません」とこたえた。彼は苦労もいとわず長い時間を費やし、ついに日本語訳を完成したのであった。その後、その翻訳は私の友人である日本の神戸学院大学の劉幸宇氏によって校正され東北ネット日本語チャンネルに掲載された。2011年3月から1年近く連載され終了した。『櫻花璀璨』の日本語版は多くの中国の読者を引きつけたばかりでなく、多くの日本の読者にも読まれた。この連載は未曽有のヒットとなり多くの読者を感動させたことは本当の桜の煌めきのようであり、これは中日友好のために意義深い一筆となったのである。
稲見さんの中国での生活は多彩で快適で、自信と進取に満ち、彼と中国は男女の縁のように結ばれたのである。
2021年12月6日
稲見春男 訳
于強
1945年生まれ、北京大学卒。中国作家協会会員。八つの長編小説の著者。そのうちの四つは中国語と日本語でそれぞれ出版。2022年日本在外公館長表彰を授賞。