2.2 プロトタイプとしての本動詞“给”

2.2 プロトタイプとしての本動詞“给”

“给”の本動詞の用法は、次の例文(3)に示すように、“给”に後続する目的語はIOとDOの二項であり、二重目的語構文を構成する。構文の示す意味は「人間である主語が、同じく人間であるIOに、具体物であるDOを授与する」ことである。語順としてはIOがDOに先行する。

(3)张三给李四一本书。

張三は李四に本を一冊あげる。

(4)a.私は太郎に本をあげた(やった)。

我给了太郎一本书。

b.太郎は花子に本をくれた。

太郎给了花子一本书。

(盧1993:61)[1]

盧(1993:60-69)では、中国語の本動詞“给”を日本語の「やる/くれる」と比較し、「中国語の“给”は話者視点に頼らず、客観的に捉えるという点では日本語と対照的である」と指摘する。

例文(4)に示すように、日本語の「授与動詞」は話し手を基準にし、遠心的な方向性であれば、「やる/あげる」を用い、求心的な方向性となると、「くれる」を使用する。[2]例文(4)aでは、主語が話し手であるから、IOの「太郎」への移動は遠心的な方向となるため、「やる/あげる」を使用する。一方、例文(4)bでは、「太郎」より「花子」のほうが話し手と関係が近い場合は、話し手から見ると、「花子」への移動が求心的な方向であるから、「くれる」を選択する。それに対し、中国語はどちらも“给”を使用している。

例文(3)の示すように、“给”の示す行為によって、具体物の“一本书”は主語の“张三”からIOの“李四”へ移動し、具体物であるDOの位置変化が観察される。物の移動より、物の所有権の変化も生じるため、IOである“李四”は本をもっていない状態から本をもつようになったという状態の変化を経る。

上記のようなDOの位置変化やIOの状態変化という本動詞の“给”に含まれる意味的特徴は、次のような用例でも同様に観察される。

以下の例文では、中国語の“给”の訳語としては、「方向性」が決定できない場合には、動詞「与える」を用いる。

(5)大夫给了他点助消化的药。

医者は彼に消化をサポートする薬を与えた。

(6)店主给了桑乔一把钥匙。

店主は桑喬にカギを与えた。

(張2010:619)[3]

また、日本語の「やる」は、通常は、主語の与え手が受け手に意図的に利益を与えようとしないと構文は成立しない。それに対し、プロトタイプの“给”は上記のような相手に好まれる具体物を与える場合だけでなく、次のような損害を与える場合にも容認される。

(7)我给了他一台坏的电脑。

[作例:自然度1.00]

私は彼に壊れたパソコンを一台{*やった/与えた}。

(8)我给了小张一箱烂苹果。

[作例:自然度1.00]

私は張さんに腐ったリンゴを一箱{*やった/与えた}。

例文(7)と例文(8)に示すように、中国語の場合は「壊れたパソコン」や「腐ったリンゴ」を相手に授与しても、構文の適格性には影響しないのである。

次に、プロトタイプの“给”は授与を行った結果、実際に受け手が物を受け取ったことを示すかどうかについて検証してみよう。

(9)*大夫给了他点助消化的药,但是他还没有拿到药。

「医者は彼に消化をサポートする薬を渡したが、彼はまだもらっていない」の意

(10)*店主给了桑乔一把钥匙,但是桑乔还没有拿到钥匙。

「店主は桑喬にカギを渡したが、桑喬はまだもらっていない」の意

(11)*刘东给了家里四千元钱,但是家里还没有拿到四千元钱。

「劉東は家に四千元をあげたが、家はまだ四千元をもらっていない」の意

(12)*我给了他一台坏的电脑,但是他还没有拿到电脑。

「私は彼に壊れたパソコンを一台与えたが、彼はまだパソコンをもらっていない」の意

(13)*我给了小张一箱烂苹果,但是小张还没有拿到苹果。

「私は張さんに腐ったリンゴを一箱与えたが、張さんはまだリンゴをもらっていない」の意

上記の用例が表すように、本動詞の“给”が表す行為は、結果としてIOは必ず物(DO)を獲得するということが分かる。上記で言及したDOの位置変化とIOの状態変化はどちらも成立している。

以上をまとめると、プロトタイプとしての二重他動詞の“给”は、典型的には、主語とIOの両方が人間であり、DOが具体物である。恩恵的な授与のみならず、非恩恵的な授与も容認できる。また、構文の意味的特徴としては、主語の働きかけによって、DOの位置変化やIOの状態変化が観察されるということである。

(14)プロトタイプとしての本動詞“给”:

S给NP1(IO)NP2(DO)

[人間][人間][具体物]

意味フレーム:SがIOにDOを授与する。DOの位置変化により、IOが状態変化する。