5.5.1 受益構文の新たな定義
“给……V”構造を用いる構文に関して、太田(1956:186)は、使役と受益の二通りの意味にとることができると指摘する。同時に、「動作の授与」として分析している。
(97)给你看看。
a.みせてあげます。
b.みてあげます。
(太田1956:186)
太田(1956:187)によると、例文(97)aの意味を示す場合は“使”や“让”で置き換えることができるのに対し、例文(97)bの意味を表す場合は“为”や“替”で置き換えることができるとし、前者が使役構文、後者が受益構文に近いことが分かった。
この「使役」構文に関しては、すでに第5.4節で授与構文の一種であると考察したので、本節では主に中国語の受益構文について分析を行う。
「動作の授与」という考え方は、中国語の受益構文の先行研究でその後もしばしば見られる考え方である。
朱(1979:83-84)は、“给”が「服務」の受け手を導く場合には介詞とし、“给”が動詞で授与の受け手を導く場合と区別し、いずれが可能であるかは動詞によって異なるとした。例えば、“卖”のような動詞は、“给……V”構文では前者のみが可能である。
(98)我给他卖了一辆车。
(朱1979:84)
私は彼のために車を一台売ってやった。
これは受益構文であるが、日本語の訳文と比べると、解釈の幅は非常に狭い。日本語では「車が本来私の所有だった」という解釈や「彼が車の買い手である」という解釈が自然であるが、例文(98)ではこれらが排除される。車は「彼が売りたかった車」でなければならないのである。また、例文(98)で背景化されている授与の受け手、つまり買い手は、この構文では参与者として表示することができない。
第5.2節で述べたように、“给……V”構文で授与の受け手を導くことができる“寄类(「差し出す」類)”や“写类(「書く」類)”の動詞でも授与の受け手と受益者の選択は二者択一である。次の例文(99)のような「取得動詞」でも、授与の受け手と異なる受益者が想定される場合、つまり、「妹が誰かに買ってやろうと思っていた車を代わりに買ってやる」というような文脈で受益構文となり、「授与」との間の二義性が成立する。
(99)我给妹妹买了一辆车。
[例文(18)を再掲]
私は妹の代わりに車を一台買ってやった。
私は妹に車を一台買った。
盧(1993)は、朱(1979)の三類の文型をめぐり、Vと“给”の関連性に目を向けながら、“给”の統語範疇を再検討している。“给……V”構文、“V……给”構文、“V给”構文という順に文法性が高いものから周辺的なものまで、階層を成していると述べている。“给……V”構文において、“给”で導かれる名詞句のすべてを受益者と認識し、受益者の性格が多様であるとする。物の「授与」が観察される受け手も受益者とみなしている。また、次の例文(100)に示すような、身体部位を対象とする他動詞の“给……V”構文も受益構文に含められる。
(100)张三给李四洗头。
(盧1993:67)
張三は李四に頭を洗ってあげる。
盧(1993:67)によると、例文(100)の“头”が李四の“头”で、洗うことが張三から李四への「服務」なので、“给”は李四が受益者の立場にあることを示すとされる。
木村(2012:228)も、次の例文(107)を受益構文に含めている。
(101)小红给小王梳头发。
(木村2012:228)
シヤオホンPREP王くん梳く髪
シヤオホンは王くんの髪を梳かしてやった。
木村(2012:228-229)によれば、“小王”はモノであり、“头发”を与える対象ではなく、“梳头发”という動作行為がもたらす恩恵もしくは利益を与える対象であり、即ち受益者であるとされる。木村(2000)は、次の例文(102)のように、IOがVPの受け手である場合も「服務的行為」であると考えている。
(102)a.我给孩子请了三天假。
(木村2000:32)
b.私は子供の代りに三日間の休暇を願い出てやった。
c.*私は子供のために三日間の休暇をとった。(cf.我为了孩子,自己请了三天假。)
本書でいう受益構文は、“给”のIOが「利益・影響」の受け手であるものの、直接的に主語の行為であるVPの参与者ではなく受益者として新たに追加されたものに限定し、物の受け手を追加する授与構文とは区別する。従って、受益構文では、次の例文(103)と例文(103)’に示すように、“给”とIOを省略しても、主語の行う動作であるVPの内容に影響しないのものをいう。
(103)我给她好好干活儿。
私PREP彼女しっかりする仕事
私は彼女のためにしっかり働く。
(木村2012:228)
(103)’我好好干活儿。
私はしっかり働く。
また、例文(100)と例文(101)のタイプの二重目的語構文は、本書は受益構文としない。例文(100)と例文(101)では、身体部位であるNP2は、IOの譲渡不可能な被所有物であり、その所有者を表すNP1は動詞句が表す行為の本来の参与者として解釈しなければならない。これに対し、次の例文(104)のように、NP2が譲渡可能(alienable)な被所有物である場合に、NP2は必ずしもIOの被所有物と解釈されない。DOが「彼」以外に誰かほかの人の食べる「食事」でもいい。従って、受益構文と認める。
(104)我给他做了饭。
[作例:自然度1.00]
a.私は彼に食事を作った。
b.私は彼の代わりに食事を作った。
(105)我去给朋友办事。
(楊2009:3)
私行く~に友達する仕事
私が友達の仕事をしに行く。
例文(105)は楊(2009:3)が「“朋友(友達)”と“事(仕事)”の関係は譲渡可能ではあるが、具体的事物の授与ではなく、抽象的利益の授与である」と述べる中国語の受益構文の例である。
「授与」と「受益」の間の二義性と二者択一性は、受益者が事物の受け手と同様に、構文ごとに選択可能性が決まり、構文に応じて意味役割が慣習的に決まっている、という解釈を裏付ける。例えば、「製作動詞」の“给……V”構文である例文(106)は、トラジェクターの受益の意思の有無と無関係に、二つの別の事象として区別される。例文(106)bでは、食事の受け手が明示されないが、「私」でも「彼」でもない第三者であることが含意される。
(106)我给他做了饭。
[例文(104)を再掲]
a.私は彼に食事を作った。
b.私は彼の代わりに食事を作った。
つまり、例文(106)aと例文(106)bは、単にさまざまな受益のありかたのうちの二例ではない。例文(106)aはほかに受益者の存在を含意しないが、例文(106)bは、明示されている受益者のほかに、常に事物の受け手を含意している。例文(106)aと例文(106)bに含意される参与者は異なるのである。
従って、受益構文の新たな定義として、本書では、中国語の受益表現は上の例文(103)―(105)に示すように、構文のIOがVP構造の直接の参与者ではなく、しかもIOとDOの間の関係を譲渡不可能な所有関係には限定しない場合のみを受益構文とすることを提案する。
ただし、例文(100)と例文(101)のような身体部位をDOとする他動詞の“给……V”構文でも、“给”の授与対象は、NP2ではなく、VPで表された行為であると見たほうがよく、この点では受益構文に似ている。また、中国語の受益構文の成立条件は、“给”のIOがVPで表された行為の受け手である、というだけではない。VPは、DO(NP2)を伴い、また、このNP2がIOと何らかの関わりをもっていると見なければならない。このような共通点は、受益構文が例文(100)と例文(101)のような構文からの拡張として分析できる可能性を示唆していると考える。