4.2 二重他動詞による授与構文
中国語で二重目的語構文をとる動詞には、IOがDOの受け手となる「授与動詞」のほかにも、IOがDOの移動の起点となる「取得動詞」がある。例文(3)と例文(4)が「授与動詞」、例文(5)と例文(6)が「取得動詞」の例である。
(3)我送他一支铅笔。
[作例:自然度1.00]
私は彼に鉛筆を一本贈った。
(4)他卖我一本书。
[作例:自然度1.00]
彼は私に本を一冊売ってくれた。
(5)他收了我五元钱。
(朱1979:82)
彼は私から五元をもらった。
(6)他偷了人家一把斧子。
(朱1979:82)
彼は他人の斧を一本盗んだ。
朱(1979)は、上記の例文(3)―(6)のような、動詞が単独で構成する二重目的語構文(S4)を含め、“V给”構文(S1)、“V……给”構文(S2)、“给……V”構文(S3)という四種類の構文を取り上げ、それぞれの構文の意味的特徴と相互関係について論じている。各構文が用いる動詞のクラスに関しては、“V给”構文に入る動詞は主に「授与」の意味をもつ動詞であり、“给……V”構文に入る動詞は「取得」の意味と「製作」の意味を有する動詞であり、この三分類の動詞はいずれも連動式の“V……给”構文に出現することができる。そして、動詞が単独で構成する二重目的語構文を“V给”構文の「緊縮形式」とする。まとめと、次の表4-1になる。
表4-1
上の例文(3)―(6)のような二重他動詞構文のうち、「授与動詞」だけが“V给”構文に現れる。これらの前項動詞を朱(1979)は“卖类(「売る」類)”と呼び、動詞自体が常に「授与」の意味を内包するとする。
(7)我送给他一支铅笔。
私は彼に鉛筆を一本贈った。
(8)他卖给我一本书。
彼は私に本を一冊売った。
朱(1979:82)では、「授与」の意味を次のようにまとめている。
①存在着A(与者)和B(受者)双方。
(A(与え手)とB(受け手)が存在する。)
②存在着A所与,亦即B所受的C(事物)。
(Aが与える対象物、即ちBが受け取るC(事物)が存在する。)
③A主动地使C由A转移至B。
(Aは積極的にCをAからBに移動する。)
朱(1979)でいう「授与」は、動詞“扔(投げる)”や“踢(蹴る)”のような「動作動詞」から「使役移動動詞」への拡張と見られるものも含んでおり、「移動物」と「受け手」をプロファイルするような構文に現れるものを幅広く含んでいる。
これに対し、動詞の用法に応じ、「授与」の意味をもったりもたなかったりする動詞は、「授与」の意味をもつ場合には、“V给”構文、“给……V”構文及び(本書では連動文として扱う)“V……给”構文のいずれかで現れ、V単独では二重目的語構文とはならない。このような構文上の特徴をもつ動詞が、朱(1979)の“寄类(「差し出す」類)”と“写类(「書く」類)”である。“寄类(「差し出す」類)”は、動詞本来の意味としては「授与」を含意するが、用法によっては受け手が背景化される動詞である。“写类(「書く」類)”は、動詞本来の意味では「授与」を含意しないが、目的語によっては「授与」が含意される動詞である。“寄类(「差し出す」類)”と“写类(「書く」類)”の例は次の例文(9)と例文(10)のようになる。
(9)他留*(给)小王一个座位。
彼は王さんに席を一つ残した。
(10)他写*(给)校长一封信。
彼は校長に手紙を一通書いた。
(朱1979:82)
これらの動詞の上記の用例では、「受け手が含意される」という特徴がある(邵2009)ことから、“给”が動詞に後続することが容認される。施(1981:31-33)によれば、“V给”構文のVに関しては、“卖类(「売る」類)”が示すのは一つの動作行為であるのに対し、動詞自体には「授与」の意味が含まれていない“寄类(「差し出す」類)”と“写类(「書く」類)”が示すのは、「Vした後に与える」という二つの分離された動作行為である、とされる。
しかし、「Vした後に与える」という二つの行為から構成される行為連鎖は、構文としても「受け手が含意される」ことのない動詞、つまり、朱(1979)の“炒类(「炒める」類)”では、“V……给”構文即ち連動文と“给……V”構文が可能であり、“V给”構文は用いられない。
また、朱(1979)の“卖类(「売る」類)”は、行為連鎖とみなされるが、連結が一つしかない(一つの動作行為である)最小限の行為連鎖の点で“寄类(「差し出す」類)”“写类(「書く」類)”と異なる。“给……V”構文では「授与」の意味にはならず、“给”が導くのは、授与行為の受け手ではなく、受益者の意味に解釈しうる目的語である。“炒类(「炒める」類)”の“给……V”構文は、“给”が授与行為の受け手を導く場合、“给”は動詞であるが、この構文の“给”が導くのは、受益者であるため、“给”は動詞ではなく、介詞とされる。同じ“给……V”構文に対してVの種類に応じた異なる品詞性を主張していることになるが、この点については第5章で問題にする。
朱(1979)によれば、“卖类(「売る」類)”の動詞は、単独の二重目的語構文と“V给”構文、“寄类(「差し出す」類)”“写类(「書く」類)”の動詞は“V给”構文と“给……V”構文のそれぞれ二つの同義の構文をもつことになるが、これらの同じ動詞での構文に応じた意味と用法の違いを論じたのが関(2001)である。“寄类(「差し出す」類)”“写类(「書く」類)”の動詞の“给……V”構文については第5章で改めて述べることにし、本章では主として二重目的語構文としての“V给”構文の特徴について検討する。
“V给”構文ではない二重目的語構文の「授与動詞」では、受け手の存在が含意されるが、この受け手が了解されていれば受け手は省略されてもいい。
(11)我送一支铅笔。
私は鉛筆を一本贈った。
(12)他卖一本书。
彼は本を一冊売った。
しかし、“V给”構文では“V给”の直後に必ず受け手が現れなければならない。
(11)’我送给*(他)一支铅笔。
私は彼に鉛筆を一本贈った。
(12)’他卖给*(我)一本书。
彼は本を一冊私に売ってくれた。
このように“V给”構文で授与の受け手が必須項になる点に着目し、関(2001:164)では、“V给”構文の“给”が「事物の受領者への『到達』を顕在化する」ものとして、認知言語学的な構文観では「受領者に強い認知的な際立ちが置かれた文型」とする。関(2001)が着目するのは、“V给”構文の「特定の受領者に対する特定の行為」への限定であるが、これは以下のような観察に基づくものである。
①特定の受領者をもつ文では“V给”構文が選択されやすい。
②特定の事物が動詞より前に現れる構文(「P前置型構文」)では“V给”構文が選択されやすい。
この観察は概ね同意できるものであるが、「P前置型構文」における“V给”構文は、朱(1979)の“卖类(「売る」類)”“寄类(「差し出す」類)”“写类(「書く」類)”以外の動詞にも及んでいる。次の例文(13)―(15)は、現代語コーパスで見られる“买类(「買う」類)”の動詞を用いた“V给”構文の例である。
(13)曹操说,好嘛,无主田亩收归国有,统统收给他自己的政府所有。
(《易中天品三国》)
曹操は言った。よし、持ち主のない田圃は国が所有し(、田圃が)すべて彼自身の政府に収められた。
(14)希腊神话中的神祇,因把天火偷给人类而受到了宙斯的惩罚。
(《荆棘鸟》)
ギリシアの神話の中の神が天の火を人類に盗んでやった(盗み与えた)ため、ゼウスに罰せられた。
(15)当我六岁的时候,我想要一整套火车玩具,结果老爸不肯买给我。
(《沃伦・巴菲特和比尔・盖茨的对话》)
私は6歳の時に、汽車のひとそろいのおもちゃが欲しかったが、結局パパは買ってくれなかった。
これらの動詞は、先の例文(5)と例文(6)のように単独ではIOが事物の移動の起点となるものもあるが、“给”が後続するのは「授与動詞」と同様に事物の受け手となり、起点は背景化される。ただし、これらの「P前置型構文」では、Vの後にあるべきDOが前置されているため、“V给”の語順だけでは“V给”構文と“V……给”構文(連動文)の区別ができない。にもかかわらず、“V给”構文とみなすべきであるという点については後述する。
以上第4.2節では、朱(1979)の動詞の分類に基づき、動詞の意味が“V给”構文の成立に大きく関係していることを確認した。“卖类(「売る」類)”はもともと二重他動詞であり、“V给”構文でも二重目的語構文を構成する。“寄类(「差し出す」類)”“写类(「書く」類)”の動詞は、本来IOをとらないが、意味的に受け手が含意されるため、“给”が加わることによって安定した二重目的語構文を構成する。最後に、「製作」以外の動詞、“买类(「買う」類)”という「取得」の意味を示す動詞は、関(2001)の「P前置型構文」の形であれば、“V给”構文が成立しうる。
第4.2節では、“寄类(「差し出す」類)”と“写类(「書く」類)”の動詞を見たが、次の第4.3節では「取得」「製作」及びそれ以外の意味を示す動詞について詳しく見てみよう。