5.4.1 再帰動詞

5.4.1 再帰動詞

本節では、“给”構文に密接に関係する動詞下位分類として再帰動詞の概念を導入する。まず、日本語の再帰動詞について、先行研究を挙げながら特徴をまとめる。次に、中国語の再帰動詞について考察する。中国語の再帰動詞に関わる先行研究には、同様の視点からの研究として、張(1993)があげられるが、本節では張(1993)と異なる分類を試みる。

5.4.1.1日本語の再帰動詞

再帰動詞の定義について、金田一・林・柴田(1995)は、「他動詞の中には、『着る』『履く』『あびる』のように、動作の結果、動作の主体に変化の生じるものがあるが、これを『再帰動詞』と呼ぶことがある」としている。

再帰動詞に関しては、仁田(1982:79-90)が初めて再帰動詞と他動詞の再帰的用法を分けて提示した。再帰とは、「働きかけが動作主に戻ってくることによって、その動作が終結を見るといった現象」である。再帰的用法しかもたない「着る」「はく」「脱ぐ」のような動詞を再帰動詞、普通の他動詞でありながら、その中で一つの用法として再帰的用法をもっている場合、その用法を「再帰用法」と呼ぶ。仁田(1982)によると、例えば、日本語の「髪を切る」は、再帰用法をもつことはあるが、再帰動詞ではない。

また、工藤(1995:69-80)は再帰動詞と自動詞が近いということを使役・他動・自動との関わりの中で説明している。使役・他動は参加者が二項以上の主体から客体へと働きかける外的運動であり、自動・再帰は、参加者が一項の、働きかけ性のない内部運動であると指摘している。

以上の先行研究から日本語の再帰動詞の特徴が見えてくる。まとめてみると、以下のとおりである。

①再帰動詞は一種の他動詞であり、参加者項のほかに対象項をもつ。

②動作が行われた後、対象だけではなく、動作の主体に変化が生じ、主体の変化に主な関心がある。

③日本語の再帰動詞の働きは自動詞に近いものである。

では、中国語の再帰動詞は日本語と同じ特徴をもっているのであろうか。

5.4.1.2中国語の再帰動詞

中国語の再帰動詞に関する先行研究として、張(1993)が挙げられる。張(1993)は日本語文法で見られる再帰動詞という用語を用い、中国語の動詞の中の「動作が行われた後、動作の作用を及ぼされる対象が結果的に動作主の側に帰し、動作主に何らかの変化をもたらす他動詞」をその対象としている。

(69)小王穿上大衣出去了。

王さんは外套を着て外に出かけた。

(70)日本人进屋时要脱鞋。

日本人は部屋に入る時に靴を脱ぐ。

(71)我吃了两碗米饭。

私はご飯を二杯食べた。

(72)他喝了三杯茶。

彼はお茶を三杯飲んだ。

(73)弟弟看电视。

弟はテレビを見る。

(74)妹妹听音乐。

妹は音楽を聞く。

(張1993:532)

例文(69)と例文(70)はそれぞれ“穿”と“脱”を用いた例文である。張(1993:533)によれば、例文(69)の“穿”は動作が終わった後、“大衣”は必ず“穿”の主体である“小王”の身に付けられることとなる。例文(70)の“脱”という動詞は身に付けられているものを取り去る動きを表すものなので、動作が行われた後、動作主の身に付けられていた洋服または足に履かれていた靴などが取り去られるという結果になる。

そして、例文(71)と例文(72)の“吃”と“喝”は物を食べたり飲んだりする動きを表す動詞であり、この種の動詞はその表している動作・行為が行われた後、動作の対象である飲食物(例えば“米饭”“茶”など)が必然的に動作主の体内に摂取されるという結果が見受けられる。

また、例文(73)の“看”は視覚他動詞であり、例文(74)の“听”は聴覚他動詞である。これらの動詞は動作が行われた後、動作の対象となるもの(例えば、ある物事の形態、様子、音声など)が動作主の感覚器官により捉えられ、知覚されるという結果が生じる、という特徴を共有している。従って、例文(73)の場合は“看”の動作が実現されると、テレビの映像が“弟弟”の目に映るのは当然であり、例文(74)の“听”も動作がなされた後、音楽のメロディーが“妹妹”の耳の中に流れ込み、“妹妹”によって聞き取られる結果が伴わなければならない。

このように、張(1993)は中国語の再帰動詞を着脱類(例えば“穿”“戴”“脱”“披”“系(领带)”など)、飲食類(例えば“吃”“喝”“餐”“饮”など)、感覚器官の作用を表す類(例えば“看”“听”“闻”“尝”“摸”など)というふうに三分類している。

張(1993)は日本語学の再帰動詞という概念を使用し、そのまま中国語に応用している。しかし、日本語の再帰動詞と完全に一致する概念が中国語の再帰動詞という概念として有効かどうかは検討する必要がある。次に、張(1993)の指摘した中国語の再帰動詞の着脱類、飲食類及び感覚器官の作用を表す類を分け、詳しく考察したい。

5.4.1.3中国語の再帰動詞の特徴

5.4.1.3.1着脱類の他動詞

まず、着脱類について分析してみる。“给”を含む使役構文に用いられる動詞の特徴に関しては、田中(2001:135-156)は再帰動詞という用語を使用していないが、“给”を含む使役構文で用いられる動詞を身体に物理的な影響を及ぼす動詞(着脱や入浴に関する)と人間の五感に関係する他動詞というふうに二分類する。

田中(2001)によれば、身体に物理的な影響を及ぼす動詞は、何かを移動させたり、操作したりすることによって、動作主がものや人に接触することを意味する。そして、動作主によって移動させられたり、操作されたりする物、あるいは動作主によって接触された物や人は、その行為によって物理的な影響を受けることになる。具体的には“穿(上)”“套上”“戴”“吊”“带上”“脱”が当てはまる。一方、人間の五感に関係する他動詞は視覚、味覚、聴覚など人間の生存に関わる基本的な動作を表す動詞である。具体的には“看”“吃”“尝”“喝”“听”にあたる。

(75)我和他一样一样地检点拾来的东西:各种尺寸的帽子——可以给自己戴,也可以给别人戴。

(《人啊,人》)

私と彼は、拾ってきた物を一つ一つ調べていった。いろいろなサイズの帽子――自分でかぶってもいいし、人にかぶせてもいい。

例文(75)から分かるように、中国語の“戴”は「自分でかぶってもいいし、人にかぶせてもいい」。換言すれば、自分でかぶっても、人にかぶせても、中国語ではすべて“戴”で表現する。つまり、中国語の着脱類の動詞は、動作が終わった後、動作の作用を及ぼされる対象が動作主の側に帰する場合と帰さない場合の両方ともが存在しうる。従って、中国語の着脱類の動詞は日本語の「純粋な再帰動詞」に対応するものではないと言わなければならない。

張(1993)は、着脱類の“脱”という動詞は脱がれた洋服または靴などは、必ず動作主自身が着ていたまたは履いていたものでなければならないと述べている。また、“穿”に関しても、動作が終わった後、洋服などは必ず“穿”の主体である体に着られるとしている。しかし、次の例文に見られるように、張(1993)の記述は妥当なものとは言えない。

(76)a.我脱了外套。

[作例:自然度1.00]

私は上着を脱いだ。

b.我脱了孩子的外套。

[作例:自然度1.00]

私は子供の上着を脱いだ。

私は子供の上着を脱がせた。例文(76)は他動詞の“脱”を使用している。例文(76)aの動作を行う主体は「私」であり、動作を行った結果、「上着」は確かにトラジェクター自身の体から取り去られ、動作が終わった後、動作の作用が及ぼされる対象は動作主の側である。しかし例文(76)bでは、私が着ていたのが子供の上着であれば、それに対応して「私は子供の上着を脱いだ」は成立する。

一方、私が子供に対し、洋服を脱がせた場合には、動作の主体は「私」でありながら、動作を行った結果、衣服が除かれるのは動作の主体である「私」ではなく、「子供」のほうである。つまり、例文(76)bの“脱”という動作が終わった後、“脱”の作用が及ぼされる対象はトラジェクターの側ではない場合が存在するということである。このような特徴はいわゆる“把”構文でも同様である。

(76)c.我把孩子的外套脱掉了。

[作例:自然度1.00]

私は子供の上着を脱いだ。

私は子供の上着を脱がせた。このように、“脱”という他動詞は動作が終わった後、動作の作用が及ぼされる対象が動作主の側に帰する場合(脱ぐ)と帰さない場合(脱がせる)の両方が存在する。では、おおよそ“脱”の対義語にあたる他動詞の“穿”はどうであろうか。

(77)a.他穿上了毛衣。

[作例:自然度1.00]

彼はセーターを着た。

b.他穿上了爸爸的毛衣。

[作例:自然度1.00]

彼は父のセーターを着た。

c.他把爸爸的毛衣穿上了。

[作例:自然度1.00]

彼は父のセーターを着た。

他動詞の“穿”の場合は“脱”と異なり、例文(77)aも例文(77)bも“穿”という動作が終わった後「セーター」であるか「父のセーター」であるかによらず、結果として“穿”の作用が及ぼされる対象は動作主の側「彼」である。しかし、この動詞が使役移動構文で現れる時には、移動の帰着点がトラジェクターの側でなくてもいい。

(77)’a.他把毛衣穿在身上。

[作例:自然度1.00]

彼はセーターを自分の体に着た。

b.他把毛衣穿在小王的身上。

[作例:自然度1.00]

*彼はセーターを王さんの体に着た。

彼はセーターを王さんの体に着せた。

例文(77)’aと異なり、例文(77)’bは“穿”が再帰的動作を表しているとは解釈できない。なぜなら、この場合は“穿”という動作の主体は「彼」であるが、動作を行った結果、「セーター」が「彼」ではなく、「王さん」の身に付けられるからである。つまり、“穿”という他動詞は、前述した他動詞の“脱”と同様、トラジェクターのみならず、トラジェクター以外の人に対する働きかけも表せる。

以上のように、他動詞の“脱”や“穿”という動詞は、動作が終わった後、動作の作用が及ぼされる対象が動作主の側に帰する場合(再帰的用法)と帰さない場合(非再帰的用法)の両方が存在しうる。このため、“脱”や“穿”のような着脱類の動詞は純粋な再帰動詞とは言えないと考える。

5.4.1.3.2飲食類の他動詞

上述のように、着脱類の動詞は純粋な再帰動詞ではない。では、飲食類の動詞はどうであろうか。次の例文を見てみよう。

(78)a.我吃了蛋糕。

[作例:自然度1.00]

私はケーキを食べた。

b.我吃了妈妈的蛋糕。

[作例:自然度1.00]

私は母のケーキを食べた。

c.我把妈妈的蛋糕吃了。

[作例:自然度1.00]

私は母のケーキを食べた。

例文(78)は他動詞の“吃”を使用している。例文(78)a—(78)cに示すように、“吃”という動作が終わった後、「ケーキ」がほかでもなく動作の主体の「私」の側に帰することが分かる。次の“喝”も同じような振る舞いが見られる。

(79)a.弟弟喝了果汁。

[作例:自然度1.00]

弟はジュースを飲んだ。

b.弟弟喝了妹妹的果汁。

[作例:自然度1.00]

弟は妹のジュースを飲んだ。

c.弟弟把妹妹的果汁喝了。

[作例:自然度1.00]

弟は妹のジュースを飲んだ。

このように、飲食類の“吃”や“喝”のような他動詞は動作が終わった結果、動作の作用対象である「ケーキ」や「ジュース」などは動作主の側に帰する。つまり、「ケーキ」はほかの誰でもなく、「私」のお腹に入るのである。「ジュース」や「妹」と関係なく、「弟」の体内に飲み込まれるということである。従って、飲食類の他動詞は純粋な再帰動詞である。

5.4.1.3.3感覚器官の作用を表す類の他動詞

上述のように、飲食類の動詞は再帰動詞と言える。では、感覚器官の作用を表す類はどうであろうか。次の例文を見てみよう。

(80)a.我看了比赛。

[作例:自然度1.00]

私は試合を見た。

b.我看了爸爸的比赛。

[作例:自然度1.00]

私は父の試合を見た。

c.我把爸爸的比赛看完了。

[作例:自然度1.00]

私は父の試合を見た。

(81)a.小王听了故事。

[作例:自然度1.00]

王さんはストーリーを聞いた。

b.小王听了爷爷的故事。

[作例:自然度1.00]

王さんはお爺さんのストーリーを聞いた。

c.小王把爷爷的故事听完了。

[作例:自然度1.00]

王さんはお爺さんのストーリーを聞いた。

例文(80)と例文(81)に示すように、感覚器官の作用を表す類の“看”や“听”という動詞については動作が行われた後、動作の対象となる「試合」や「ストーリー」が、ほかの誰でもなく動作主の感覚器官により捉えられて知覚される。従って、例文(80)では、「試合」が「私」の目に映るものであり、そして例文(81)では、「ストーリー」が「王さん」の耳の中に流れ込むものである。従って、感覚器官の作用を表す類に関係する他動詞は再帰動詞と言える。

このように、飲食類と感覚器官の作用を表す類の他動詞は、張(1993)の指摘したとおりに、再帰動詞と見ることができる。一方、着脱類の他動詞は純粋でない再帰動詞と判断する。