5.5.4 “为”や“替”との比較
中国語の受益表現には、“给”のほかに、“为”や“替”を用いるものがある。“给”“为”“替”の異同に関しては、張(2012)が意味論と語用論の観点から詳しい調査を行った。張(2012:33-35)によると、意味的には、“给”が「渡す相手」を導く、「利益の受け手」を導く、「損害の受け手」を導く、「给我+動詞」で命令文を形成、「動作に関係する事物」を導く、「動作主」を導くという六つの用法がある。“为”は「利益の受け手」を導く、「関心を持つ対象」を導く、「動作発生の原因」を導く、「動作発生の目的」を導く、「奉仕する対象」を導く、「動作主」を導くという六つの用法をもつ。そして、“替”は「代替の対象」を導く、「利益の受け手」を導く、「関心を持つ対象」を導く、「結果の受け手」を導くという四つの用法をもつと指摘する。また、語用的には、“给”と“替”は話し言葉において用いられるが、“为”は書き言葉において多く使用されている。使用頻度の差異に関して、“为”は“给”に及ばないが、“替”より多い。モダリティの違いについて、“给”は命令文として用いられるが、“为”と“替”は一般的には用いられない。
本書でいう受益構文に関して、張(2012)は「利益の受け手」及び「損害の受け手」を導く用法とする。特に「利益の受け手」を導く用法に関しては、張(2012)は“给”“为”“替”の間では、相違点があまり見られないと結論づけている。しかし、前節で述べたように、受益構文の“给”は、構文の制約がある点で、“为”“替”と異なっている。また、「反復の制約」により、異なる機能をもつ“给”が共起できないことにより、“给”と“为”“替”の間で意味の違いが生じる場合がある。
(122)a.我给小李当翻译。
[作例:自然度1.00]
私は李さんに通訳をしてやった。
(私は李さんの代りに通訳をしてやった。)
b.*我给小李给小张当翻译。
「私は李さんの代りに張さんに通訳をしてやった」の意
(123)a.我替小李当翻译。
[作例:自然度1.00]
私は李さんの代りに通訳をしてやった。
b.我替小李给小张当翻译。
私は李さんの代りに張さんに通訳をしてやった。
(124)a.我为小李当翻译。
[作例:自然度1.00]
私は李さんのために通訳をしてやった。
b.我为小李给小张当翻译。
私は李さんのために張さんに通訳をしてやった。
例文(122)a―(124)aは、それぞれ“给”“替”“为”を使用する構文であるが、直後の“小李”は一見するとすべて利益の受け手に見える。しかし、“给”を用いる(122)aでは、“小李”はむしろ、動詞句“当翻译”の前置IOであると見るべきであり、通訳された内容の受け手であると解釈される。また、“给”に導かれるIOの“小李”は、「通訳業務の依頼者」としても理解できる。
これに対し、例文(123)aでは、“替”に導かれる受益者が、通訳の内容を伝えたい側であり、通訳された内容の受け手と異なる。実は、例文(123)aはさらに“给”を加え、例文(123)bのように、実際の通訳を受ける人を顕在化させることもできる。ところが、例文(122)aは、「反復の制約」のため、例文(122)bに示すように、IOにさらに“给”を付加することが容認されない。
一方、“为”を使う例文(124)aでは、利益の受け手の解釈は、例文(122)aのような通訳内容の受け手としても、例文(123)aのような、主語の代行による利益の受け手としても解釈することができる。しかし、例文(124)bのような、IOが“给”を用いて顕在化されている場合に、通訳された内容の受け手である“小张”は“给”で導かれるが、“为”で導かれる“小李”は、通訳内容の受け手として不可能となる。
このことから、“给”“替”“为”は利益の受け手を導く用法があると言っても、それぞれ利益の受け手としての解釈が異なることが分かる。本動詞の“给”から拡張した“给……V”構文をとる受益表現では、VPで表された通訳内容の受け手と通訳業務の依頼者のいずれかにIOとして認知的な際立ちが与えられている。“替”を用いる構文は、“替”の直後に現れる受益者が主語と同じ立場となり、主語の代行により、利益を受け取る者となる。また、“为”を使用する構文はその両方の解釈が可能となる。
利益の受け手と通訳内容の受け手が共に参与者として構文に明示されると、“给……给”構文は不適格となるが、“替……给”構文と“为……给”構文が成り立つことが分かる。