5.3.2 “在”を用いる構文との比較
“给……V”構文において、“给”に導かれるIOが場所名詞の場合、次の例文(42)と例文(43)に示すように、“在”を用いる構文と対応する場合がある。[3]
(42)张三{在/给}墙上涂了漆。
張三に/に壁-LOC塗る-完了ペンキ
‘張三は壁にペンキを塗った。’
(例文(35)aを再掲)
(43)张三{给/在}车上装了书。
張三に/に車-LOC積む-完了本
‘張三は車に本を積んだ。’
(例文(36)aを再掲)
ところが、“在”の直後の場所名詞では、“上”や“里”などのような方向補語が必須とされるのに対し、“给”で導かれた場所名詞では、方向を示す補語成分は必ずしも必須とされない。
(44)a.张三在墙上涂了漆。
張三に壁-LOC塗る-完了ペンキ
‘張三は壁の上でペンキを塗った。’
b.*张三在墙涂了漆。
(岸本2011:33)
(44)’a.张三给墙上涂了漆。
張三に壁-LOC塗る-完了ペンキ
‘張三は壁の上にペンキを塗った。’
b.张三给墙涂了漆。
‘張三は壁にペンキを塗った。’
(岸本2011:33)
(45)a.倪萍对这位老师印象特别好,他一会儿给这位老师端水一会儿给她坐的椅子上加一个椅垫。吃饭的时候老是冲着这位老师笑。
[例文(23)を再掲]
倪萍はこの先生を酷く気にいって、お茶を出したり椅子の上にクッションを置いてあげたり、さかんにもてなした。食事の時も先生の顔を見ては笑いかける。
b.倪萍对这位老师印象特别好,他一会儿给这位老师端水一会儿给她坐的椅子加一个椅垫。吃饭的时候老是冲着这位老师笑。
倪萍はこの先生を酷く気にいって、お茶を出したり椅子にクッションを置いてあげたり、さかんにもてなした。食事の時も先生の顔を見ては笑いかける。
(45)’a.倪萍对这位老师印象特别好,他一会儿给这位老师端水一会儿在她坐的椅子上加一个椅垫。吃饭的时候老是冲着这位老师笑。
倪萍はこの先生を酷く気にいって、お茶を出したり椅子の上にクッションを置いてあげたり、さかんにもてなした。食事の時も先生の顔を見ては笑いかける。
b.*倪萍对这位老师印象特别好,他一会儿给这位老师端水一会儿在她坐的椅子加一个椅垫。吃饭的时候老是冲着这位老师笑。
「倪萍はこの先生を酷く気にいって、お茶を出したり椅子のクッションを置いてあげたり、さかんにもてなした。食事の時も先生の顔を見ては笑いかける」の意
上記の例文(44)では、“在”を使用する場合に、方向補語の“上”がなければ、例文(44)bに示すように、非文となる。一方、例文(44)’では、“给”を使用する場合に、方向補語の“上”があってもなくても構文の適格性に影響しない。そして、例文(45)と例文(45)’も同様である。即ち、“在”を使用する構文で、“在”に導かれる名詞句はある動作を行う場所である。この動作はどこで行っているか(名詞句で指示された物の上か中か)ははっきり示さなければならない。従って、方向補語が必須とされる。それに対し、“给”を使用する構文では、“给”に後続する場所名詞は、動作を発生させる目標であり、必ずしも場所表現として方向補語を伴う必要がない。
構文によっては、介詞を用いた場所表現に置き換えることができないものもある。
(46)a.一听声音就知道是李宜宁来了。像一阵风,李宜宁给我的房间带来了生气。
(《人啊,人》)
声だけで、李宜寧だと分かる。彼女は一陣の春風のように、私の部屋に生気をもたらしてくれた。
b.*一听声音就知道是李宜宁来了。像一阵风,李宜宁在我的房间里带来了生气。
「声だけで、李宜寧だと分かる。彼女は一陣の春風のように、私の部屋の中で生気をもたらしていた」の意
例文(46)では、“李宜宁”のおかげで、私の部屋は生気のない状態から生気が溢れるような状態に変化したことを意味する。この動詞の“给……V”構文は、IOとして人間を表す名詞もとることができるので、「獲得」のメタファーが働いているとも考えられる。
このことから、場所名詞が後続される場合、“在”を用いる構文は、移動後の具体的な場所に認知的な際立ちがあると考えられる。一方、“给”を用いる構文は、移動自体よりも移動の結果としての場所の状態変化に際立ちがあると考えられる。