5.4 脱再帰の二重目的語構文

5.4 脱再帰の二重目的語構文

第5.2節では、「取得動詞」を含む“给……V”構文ではIOが物の受け手となることを述べた。“给”を伴わない「取得動詞」構文は、主語として表示されたトラジェクターによる対象物に対する働きかけが、ランドマークとしての主語に影響を及ぼす再帰的事象を表す構文であると考えられる。

(58)小张偷了他一支笔。

[作例:自然度1.00]

張さんは彼からボールペンを一本盗んだ。

ところが、「取得動詞」を含む“给……V”構文では、物の受け手としてプロファイルされるのが主語ではなく、新たに追加されたIOで表された参与者である、という点で、このような構文は脱再帰の構文であると見ることができる。

(59)他给小张偷了一支笔。

[作例:自然度1.00]

彼は張さんにボールペンを一本盗んだ。

“V给”構文に現れない動詞が“给……V”構文に現れる場合、「取得動詞」と「製作動詞」以外でも再帰的事象の受け手が主語ではなく、新たに追加されたIOで表された参与者に及んでいると見られる場合が多い。このような構文を脱再帰の二重目的語構文としてまとめる。本節では、“给……V”形式を用いる次の例文(60)―(62)のような、動詞が単独で再帰的動作を示すものである構文について考察する。

(60)张三给李四洗头。

(盧1993:67)

張三は李四の頭を洗ってやった。

(61)我给小张穿衣服。

[作例:自然度1.00]

私は張さんに洋服を着せる。

(62)我给孩子喝了一杯水。

[作例:自然度1.00]

私は子供に水を一杯飲ませた。

上のような構文は“给……V”形式を使用し、IOに対し、ある動作行為を授与することを意味する。第5.2節と第5.3節で取り上げた“给……V”構文では、物の位置変化とIOの状態変化の両方が観察されるが、本節で取り扱う「脱再帰の“给……V”構文」はIOの状態変化がすべて想定されるのに対し、物[4]の位置変化に関しては、例文(60)のように含意されないものがある。

例文(60)では、張三は李四に“洗头(頭を洗う)”という行為を授与することにより、李四が清潔になること、つまり李四の状態変化が想定されるが、“头(頭)”が身体部位であり、譲渡不可能(inalienable)な所有物であるため、李四に移動するという“头(頭)”の位置変化が考えられない。

一方、例文(61)では、私が張さんに“穿衣服(洋服を着せる)”という行為を授与することによって、洋服が張さんのところに移動することが分かる。そして、張さんは洋服を着ていない状態から洋服を着る状態に変化する。例文(62)では、IOの子供が水が飲めるように、主語の“我(私)”が水を用意し、子供に提供することを意味する。そのため、水の位置変化と子供が水を飲んでいない状態から水を飲んだ状態に変化したというIOの状態変化が含意される。

上記の例文(60)と例文(61)に関して、先行研究の多くはこれを受益構文と分類する。例えば、例文(60)について、盧(1993:67)は、“头(頭)”が李四の“头(頭)”で、張三が洗う場合に、この行為は自然と李四への「服務」とみなされ、“给”は李四が受益者の立場にあることを示すとする。

木村(2012:228-229)では、次の例文(63)を取り上げ、このタイプの構文を受益構文としている。

(63)小红给小王梳头发。

シヤオホンPREP王くん梳く髪

シヤオホンは王くんに髪を梳かしてやった。

(木村2012:228)

木村(2012:228-229)によると、“小王(王くん)”は、モノ“头发(髪)”の「授与」を与える対象ではなく、“梳头发(髪を梳かす)”という動作行為がもたらす恩恵もしくは利益を与える対象、即ち受益者であるとされる。

しかし、木村(2012)が同じく受益構文とする例文(64)は、“给”とIOが省略されても構文の意味の違いが受益者の有無だけであるが、上記の例文(60)と例文(61)は、“给”とIOが省略されると、構文で表示される行為自体が異なる。

(64)a.我给她好好干活儿。

(木村2012:228)

私PREP彼女しっかりする仕事

私は彼女のためにしっかり働く。

b.我好好干活儿。

私はしっかり働く。

(65)a.我给小张穿衣服。

[作例:自然度1.00]

私は張さんに洋服を着せる。

b.我穿衣服。

私は洋服を着る。

(66)a.张三给李四洗头。

[作例:自然度1.00]

張三は李四に頭を洗ってやる。

b.张三洗头。

張三は頭を洗う。

例文(64)では、“给”とIOがなくても、例文(64)bのように、「私はしっかり働く」という意味を維持するが、例文(65)と例文(66)では、“给小张”と“给李四”がなければ、例文(65)bと例文(66)bのように、「私は洋服を着る」と「張三は頭を洗う」という意味になる。

一方、前述の例文(62)に関しては、使役構文とする分析もある。例えば、Li & Thompson(1981:388-389)は次のように指摘している。

The first construction involving a preverbal gěi phrase whose noun phrase is neither an indirect object nor a benefactive involves the verbs kàn‘see’and ting‘hear’,usages in which it conveys a special meaning of allow to see and allow to hear.For example:

(67)qǐng nǐgěi wǒkàn nèi-běnshū

please youtoIlook that-CLbook

Please let me look at that book.

(68)wǒchàng-gēgěinǐting

Ising-songtoyouhear

Ill sing for you to hear.

これは、動詞“看”と“听”は「見させる」と「聞かせる」の許容使役の用法に対応する意味になるという主張である。「授与動詞」としての“给”の用法を分析の中心とするLi & Thompson(1981)では、このような構文が、「見る」「聞く」のほかに、どのような動詞の使役構文に使われるかについては述べていない。これに対し、田中(2001:135-156)は後述するように“给”を含む使役構文で用いられる動詞を身体に物理的な影響を及ぼす動詞(着脱や入浴に関する)と人間の五感に関係する他動詞というふうに二分類する。これらはいずれも再帰的事象に結び付けられる。

上記の例文(60)―(62)のような構文は、“给”に後続する動詞が単独の構文では主に再帰的事象を表す動詞(再帰性のある動詞)で現れるという点で共通する。ここではまず、日本語学などで用いられている再帰動詞という概念を取り入れ、中国語の再帰動詞の分類を試みる。その後に、再帰性のある他動詞が“给”と共起する場合の構文の意味的特徴を分析する。