5.5.2 中国語の受益構文の意味的特徴―構文の条件―
“给……V”構造を用いる受益表現は、しばしば行為や服務の授与であると分析される。しかし、どのような行為や服務でも受益構文に現れうるわけではない。本節では、“给……V”構文が受益構文として成立するための条件について論説を行う。具体的には、VP構造において、VとDOのNP2がそれぞれどのような特徴をもつのかと、NP1とNP2の関連を詳しく分析していく。
5.5.2.1 VPを構成する動詞について
受益者を導くマーカーは、“给”のほかに、“为”や“替”があるが、受益構文で“给”と共起しうる動詞は、“为”や“替”と比べて強い制約がある。木村・楊(2008:78)は「この種の動詞は一般に〈奉仕〉〈服務〉もしくは〈労役〉の意味を読み込むことの容易な動詞に限られる」と指摘する。
しかし、次の例文(107)―(109)に示すように、日本語のa文の受益文が適格であるが、相手への奉仕や服務が目的である場合であっても、中国語の“给”を用いるb文はいずれも非文となる。
(107)a.彼のために北京へ行ってあげた。
b.*我给他去了北京。
c.我为他去了北京。
(108)a.張さんは李さんの代りに飛行機に乗ってあげた。
b.*小张给小李坐飞机。
c.小张替小李坐飞机。
(109)a.そばに居てあげるよ。
b.*我给你待在身边。
c.我会待在你的身边的。
例文(107)―(109)では、日本語のa文はそれぞれ自動詞の「行く」「乗る」及び「居る」を使用している。例文(107)では、「北京」は場所名詞であり、状態変化を実現することが想定しにくい。例文(108)の「飛行機」や、例文(109)の「そば」も同様である。そのため、動詞の示す他動性が低いことが窺える。同様に、これらの直訳としての中国語のb文で用いられる“去”“坐”は他動性の低い他動詞であり、“待”は自動詞である。
中国語の受益表現が成り立つためには、動詞が他動詞でありかつ他動性が高く要求される。事実、次の受益表現と思われる例文(110)―(113)は、いずれも他動性の高い構文である。
(110)我给她好好干活儿。
私PREP彼女しっかりする仕事
私は彼女のためにしっかり働く。
[例文(103)を再掲]
(111)老元下乡检查回来,背了一大堆东西,元二嫂高兴地给老元开门。
[例文(96)を再掲]
元さんが田舎から検査して戻って、たくさんの物を背負ってきた。元二姉ちゃんはニコニコしながら、元さんにドアを開けてあげた。
(112)“姐姐,俺们刚扫了地,还给你擦了讲台子哩。”
(《轮椅上的梦》)
「お姉ちゃん、床を掃除したんだよ。お姉ちゃんの机もふいたし。」
(113)“看上了就说看上了,哥几个给你保密。”
(《插队的故事》)
「好きなら好きと言えよ。秘密は守るぜ。」
例文(110)―(113)では、すべて目的語の状態変化を引き起こす“干”“开”“擦”を用いる。例文(113)では、DOの「秘密」は抽象名詞であり、状態変化を起こさない意味ではあるが、状態変化を起こさないような働きかけを行う、という意味では他動性が高いといってもいいだろう。
それに対し、先述の例文(107)―(109)では、“去”“坐”“待”のような動詞は他動性が低いため、“给”と共起することができない。この場合、例文(107)c—(109)cに示すように、動詞に強く制約をもたない“为”や“替”を用いることにより、新たな参与者として受益者を導入することができる。
“给……V”構造において、Vが飲食類及び感覚器官の作用を表す類のような再帰的意味をもつ動詞の場合は、第5.4節で述べたように、構文は全体として授与構文と同様、DO(NP2)の受け手としてIO(NP1)を導入することができる。通常はこの解釈が優先され、受益構文が成立しない。
(114)a.(*受益)/(授与)小张给小李看电视。
b.*「張さんは李さんのためにテレビを見てやる」の意
c.張さんは李さんにテレビを見せる。
(115)a.(*受益)/(授与)他给我听了那首曲子。
b.*「彼は私のためにあの曲を聴いてくれた」の意
c.彼は私にあの曲を聴かせた。
(116)a.(*受益)/(授与)爸爸给妈妈喝了一杯酒。
b.*「父は母のためにお酒を一杯飲んでやった」の意
c.父は母にお酒を一杯飲ませた。
しかし、上記の動詞“看”は、構文によっては次の例文(117)―(119)に示すように、受益構文が成立する。例文(118)では、省略されたIOは、“小孙女儿”を育てるべき誰かであることが含意されている。
(117)从此,王树理一次次利用饭前饭后的时间给中博看作业。
(《人民日报》1995年)
あれから、王樹理は毎回ご飯を食べる前後の時間を利用し、中博に宿題をチェックしてあげた。
(118)一退休没几个月就生了小孙女儿,小孙女儿三岁多了。我给看到两岁半。
(《1982年北京话调查资料》)
定年したら何ヶ月もたたずに孫が生まれ、今は三歳ちょっとだ。私は二歳半まで面倒を見てあげたのさ。
(119)给你看看。
a.みせてあげます。
b.みてあげます。
[例文(97)を再掲]
例文(117)―(119)では、中国語の“看”は、単に「見る」という意味だけではなく、すでにメタファーを経て、例文(117)の「チェックする」、例文(118)の「面倒を見る」のように、意味が拡張されている。太田(1956)の例として挙げられている例文(119)bも、単に見るだけではなく、見た内容を誰かに伝えるという場合に使う表現である。見る人自身がその視覚情報を得るという段階が排除されるという点で、内容を伝えられるのが見る人の場合でも授与構文ではなく、受益構文と見るべきであろう。
受益構文と授与構文の二義性からも分かるように、「授与」の意味をもつ動詞句では受益構文が成立しやすい。この場合もDOで表された移動物の位置変化を含意し、他動性の高い構文であると言える。
以上のように、“给……V”構文を用いる受益表現では、VP構造の成立条件として、Vは他動性を有することが要求されることが分かる。
5.5.2.2 VPを構成するNP2について
本節では、受益表現のVP構造の成立条件として、DOの特徴を考察する。第5.5.2節の冒頭で述べたように、受益構文ではDO(NP2)がIO(NP1)の領域にあると考える。本節でこれを具体的に検討していく。
まず、本節の多くの受益構文の訳文で「~かわりに」が多用されていることからも分かるように、NP1自身がトラジェクターとしてVで表された働きかけを行うことが想定しうるものがNP2であれば、この構文のランドマークであるNP1の領域にあると考えられる。Vと同じ働きかけを行うわけではないものでも、「ドアを開ける」場合や「秘密を守る」場合のように、NP1がその状態に関心をもっているようなNP2も、NP1の領域にあると考えられる。しかし、NP1が関わりをもっているNP2でも、NP1の領域とみなされず、受益構文が成立しない場合がある。NP2がトラジェクターの領域にある場合である。この場合は、日本語で成立する受益文が“给……V”構文で成立しない場合の典型に当たる。
(120)a.我给孩子请了三天假。
[例文(102)を再掲]
b.私は子供の代りに三日間の休暇を願い出てやった。
c.*「私は子供のために三日間の休暇をとった」の意味では容認不可能(cf.我为了孩子,自己请了三天假。)
例文(120)cの解釈で受益構文が成立しないのは、「三日間の休暇」がトラジェクターの“我”の領域内にあるからであると考えられる。NP1で表されたランドマークの領域は、トラジェクターの領域の外にあり、両者の間に重なりがないと考えられる。
飲食・知覚といった再帰的事象では、対象がトラジェクター側の領域に留まる限りは、受益構文で現れることはできない。前述の例文(114)―(116)の受益構文が成立しないのはこのためであると考える。「食べられない物をかわりに食べてやる」あるいは「話を聞いてやる」というような、移動の起点がランドマークの領域であると想定されるような場合でも、終点がトラジェクターの領域にあるので受益構文が成立しない。
逆に、トラジェクターの領域の外へのNP2の位置変化が含意される授与構文は、この点でも“给……V”構文で受益構文が成立しやすい条件を満たしている。この場合、NP2の位置変化の起点もランドマークの領域、つまりトラジェクターの領域外という含意があるため、物理的にはトラジェクターを起点とする場合でも、「服務」としての授与、つまりトラジェクターの裁量の及ばない対象物に対する移動操作というニュアンスが出やすい。そして、NP2の位置変化の終点は、ランドマークの領域とトラジェクターの領域の両方の外側となり、トラジェクターでも受益者NP1でもない第三者の存在が含意される。
(121)我给老师寄了五本书。
[例文(15)を再掲]
私は先生の代わりに(誰かに)本を五冊送ってあげた。
従って、“给……V”構造を使用する受益表現のVPでは、DO(NP2)が、受け手であるIO(NP1)の領域にあり、トラジェクターの領域にあってはならないという制約があると思われる。