5.6 おわりに
以上では、“给……V”構文を二重目的語構文とみなし、“给”を用いない他の構文とどのような意味的な関係が見られるかを分析することにより、Vに応じた下位分類を試みた。“给……V”構文をとることによる構文拡張は、次の二種類に大別できる。
①構文の参与者は同じであるが、“给”を用いる場合には“给”に後続するIOがランドマークとしての認知的な際立ちを与えられ、IOとなる。
②構文の参与者が新たに追加され、この参与者がIOとなる。
このうち、②はさらに、本来の参与者の一つが背景化され、存在は含意されるが、表示されなくなるものとそうでないものとに分けられる。
①に当たるのは、第5.2節で取り上げた朱(1979)の「“寄”“写”類動詞」[12]、第5.3節で取り上げた「使役移動動詞」である。
(125)a.小李写了一封信。
李さんは手紙を一通書いた。
b.小李给小张写了一封信。李さんは張さんに手紙を一通書いた。
[作例:自然度1.00]
(126)a.张三涂了漆。
[作例:自然度1.00]
張三はペンキを塗った。
b.张三给墙涂了漆。
(岸本2011:33)
張三は壁にペンキを塗った。
「“寄”“写”類動詞」と「使役移動動詞」を図式化すると、次の図5-1のようになる。
図5-1
「“寄”“写”類動詞」構文では、動詞単独では背景化されている授与の受け手が、“给……V”構文ではランドマークとして動詞に前置され、構文に現れることができる。「使役移動動詞」構文でも、動詞単独では背景化されている移動の終点(あるいは起点)が、“给……V”構文ではランドマークとして構文に明示されることができる。
いずれも、移動物と移動の結果として状態が変化する人あるいは場所とのどちらへの働きかけに焦点を当てるかによる選択であると見ることができる。
(127)a.我寄了一封信。
[作例:自然度1.00]
私は手紙を一通送った。
b.我给他寄了一封信。私は彼に手紙を一通送った。
[作例:自然度1.00]
(128)a.我涂漆。
[作例:自然度1.00]
私はペンキを塗る。
b.我给墙涂漆。
[作例:自然度1.00]
私は壁にペンキを塗る。
「使役移動動詞」は、“踢(蹴る)”のように、「動作動詞」から拡張して「使役移動動詞」構文をとり、(終点が人の)授与構文として“V给”構文のみに現れるパターンと、“涂漆(ペンキを塗る)”のように“给……V”構文のみに現れるパターンに分けられる。
(129)a.张三踢给李四一个球。
[作例:自然度1.00]
b.*张三给李四踢了一个球。
張三は李四にボールを一つ蹴った。
(130)a.*张三涂给墙漆。
(岸本2011:33)
b.张三给墙涂了漆。
張三は壁にペンキを塗った。
いずれのタイプでも、移動物のみをランドマークとする場合には、場所が介詞句の“在”で表される構文をとる。後者のタイプの動詞では、場所の全面的な変化に認知的な際立ちを与える場合には、“把”を用い、移動物が背景化されることとなる。“给……V”構文をとる場合には、場所の側により大きな際立ちがあり、移動物の特定度は低い。
(131)a.张三在操场上踢了球。
[作例:自然度1.00]
張三は運動場でボールを蹴った。
b.张三在墙上涂了漆。張三は壁にペンキを塗った。
(岸本2011:33)
(132)a.张三把墙涂成红色。
[作例:自然度1.00]
張三は壁を赤く塗った。
b.*张三把墙涂了漆。
(133)张三给墙涂了漆。
(岸本2011:33)
張三は壁にペンキを塗った。
②は、“给……V”形式をとる授与構文と受益構文を含む。追加される参与者は前者では移動物の受け手であり、後者では受益者である。
前者は、単独で移動物の受け手を参与者としない動詞である。例えば、「取得動詞」のように「移動物の起点」を参与者として含意する場合があるが、“给……V”構文では「移動物の起点」が背景化される。
(134)a.他偷了小张一支笔。
[作例:自然度1.00]
彼は張さんからペンを一本盗んだ。
b.他给小李偷了一支笔。
[作例:自然度1.00]
彼は李さんにペンを一本盗んだ。
c.*他给小李偷了小张一支笔。
「取得動詞」を図式化すると、次の図5-2のようになる。
図5-2
「取得動詞」構文では、「移動物の起点」がランドマークとして認知的な際立ちがあるが、“给”が前置されることによって、“给……V”構文を構成し、もともとランドマークの「移動物の起点」が背景化され、構文に現れることができない。移動物の受け手が新しく追加され、“给……V”構文のランドマークとなる。
このような意味的特徴は「動作動詞」と「製作動詞」にも見られる。どちらも“给……V”構文において、状態変化した事物の移動を含めた拡張では移動物の受け手を追加する。
(135)张三给李四烤肉。
[作例:自然度1.00]
張三は李四にお肉を焼く。
(136)我给他做饭。
[作例:自然度1.00]
私は彼に食事を作る。
「動作動詞」と「製作動詞」を図式化すると、次の図5-3のようになる。
図5-3
「動作動詞」も「製作動詞」も、動詞単独で構成された構文が、移動物の受け手を事象の参与者とはしない構文である。“给”が加わることによって、“给……V”構文を構成し、移動物の受け手が新たに追加され、ランドマークとして認知的な際立ちを与えられ、構文の参与者となる。
これに対し、他動詞の中には、動詞が単独ではDOで表された事物へのトラジェクターの働きかけの様態を必ずしも含意しないものがある。この場合、結果としてトラジェクターの領域に移動した物やここで(状態・位置)変化したものがDOとなる。
第5.4節で論じた「飲食類」は、最終的に事物がトラジェクターの体内に帰着するという変化がある、ということが中核的であり、どのような働きかけが行われるかを指定しない。
(137)母亲吃清淡饮食。
[例文(95)aを再掲]
母親があっさりとした食事を食べる。
「感覚器官の作用を表す類」も、事物自体は移動せず、この事物に関する情報をトラジェクターが得る、という結果を伴う事象である。
(138)孩子看了比赛。
[作例:自然度1.00]
子供は試合を見た。
トラジェクターが事物に働きかける場合でも、第5.4節で論じた再帰的用法、つまりトラジェクター自身の身体が事物の位置変化の起点や終点(「着脱類」)あるいは状態変化する事物である場合は、事物自体とそれに対する働きかけより、結果としてのトラジェクター自身の状態変化に認知的な際立ちがある。
(139)弟弟穿上了毛衣。
[作例:自然度1.00]
弟はセーターを着た。
(140)小张擦眼睛。
[作例:自然度1.00]
張さんは目を拭く。
第5.4節で扱った「脱再帰の“给……V”構文」では、事物自体の受け手ではなく、状態変化を起こしたり情報の受け手となったりするトラジェクターとは異なる参与者が追加されることになる。
(141)a.母亲吃清淡饮食。
[例文(95)aを再掲]
母親があっさりとした食事を食べる。
b.我给母亲吃清淡饮食。
(《梁冬对话罗大伦》)
私は母親にあっさりとした食事を食べさせる。
(142)a.孩子看了比赛。
[例文(138)を再掲]
子供は試合を見た。
b.我给孩子看了比赛。
[作例:自然度1.00]
私は子供に試合を見せた。
(143)a.弟弟穿上了毛衣。
[例文(139)を再掲]
弟はセーターを着た。
b.她给弟弟穿上了毛衣。彼女は弟にセーターを着せた。
[作例:自然度1.00]
(144)a.小张擦眼睛。
[例文(140)を再掲]
張さんは目を拭く。
b.小李给小张擦眼睛。
[作例:自然度1.00]
李さんは張さんに目を拭いてやった。
「飲食・感覚類動詞」[13]「着脱類動詞」「身体部位を対象とする動詞」をそれぞれ図式化すると、次の図5-4のようになる。
図5-4
これらの、「動作」自体より、「動作の結果」を重視する動詞が“给……V”構文で現れる場合に、“给”を追加するのは、この結果を得るトラジェクター以外の人物である。いずれも、事物よりは、“给”が導入するIOにランドマークとしての際立ちのある構文となる。
もう一つの拡張は、追加される参与者が受益者の構文である。この場合は、具体物が移動しない場合と、移動する場合がある。具体物が移動しない場合は、トラジェクターの行為の対象が、ランドマークである受益者の領域のものである。
(145)我给他开门。
[作例:自然度1.00]
私は彼にドアを開けてあげた。
このタイプの構文を図式化すると、次の図5-5のようになる。
図5-5
具体物が移動する場合は、「“卖”類動詞」構文のように動詞単独では移動物の受け手を参与者とするものを含むが、この場合、受益者が追加されると、移動物の受け手は背景化され、存在のみが含意される。
(146)a.他卖了我一个苹果。
[作例:自然度1.00]
彼は私にリンゴを一個売った。
b.他给小李卖了一个苹果。
[作例:自然度1.00]
彼は李さんの代わりにリンゴを一個売ってあげた。
c.*他给小李卖了我一个苹果。
このタイプの構文は図式化すると、次の図5-6のようになる。
図5-6
また、「“寄”“写”類動詞」構文のように、移動物の受け手が含意されるが、“给……V”構文にのみ現れることができるような場合には、受益者が追加されると、新たに出現した移動物の受け手が再び背景化され、存在が含意されるのみで、構文に現れることができない。
(147)a.我寄了五本书。
[作例:自然度1.00]
私は本を五冊送った。
b.我给老师寄了五本书。
[例文(15)を再掲]
私は先生のかわりに本を五冊送ってあげた。
c.*我给老师寄了五本书给小李。
このタイプの構文を図式化すると、次の図5-7のようになる。
図5-7
「“卖”類動詞」構文は、移動物の受け手をランドマークとして認知的な際立ちが与えられるが、“给”と合成することで、“给……V”構文となり、新たに追加された受益者をランドマークとする。一方、動詞単独では移動物をランドマークとする「“寄”“写”類動詞」構文は、“给……V”構文となると、移動物の受け手をランドマークとする構文が、「“卖”類動詞」構文と同様に、新しく加わった受益者をランドマークとする構文の二義性が生じる。
「取得動詞」と「製作動詞」の“给……V”構文で次の例文(148)aと例文(149)aに示すように、移動物の受け手を追加できる動詞でも、例文(148)bと例文(149)bに示すように、“给……V”構文でさらに受益者を追加して移動物の受け手を背景化する構文との二義性が生じる。
(148)我给妹妹买了一辆车。
[例文(18)を再掲]
a.私は妹に車を一台買った。
b.私は妹の代りに車を一台買ってやった。
(149)我给他做饭。
[例文(136)を再掲]
a.私は彼に食事を作る。
b.私は彼の代わりに食事を作ってやる。
このタイプの構文を図式化すると、次の図5-8のようになる。
図5-8
具体物が移動する受益構文では、どの場合でも移動物の受け手は背景化されるが、移動物の受け手が存在し、かつ「トラジェクターとランドマーク以外の第三者でなければならない」という含意は維持される。
以上のように、移動物の受け手を追加する構文でも、受益者を追加する構文でも、VはDOをとる他動詞であるが、“给……V”構文がどちらの参与者を追加するかは動詞の種類によって少しずつ異なる。
②に関しては、また“给”が「行為の結果の受け手」を追加する、と見ることもできる。事物の獲得があるVでは「移動物」、身体の状態変化があるVでは「状態変化」、知覚するVでは「情報」、利益を生じる構文では「受益」、というように、構文ごとにそれぞれの「行為の結果」を得る、と考えるわけである。共通点は、“给……V”構文では「行為者」と「行為の結果の受け手」が異なる、という点である。このような「行為の授与」という見方は、特に、受益構文を中心に、やはり「行為者」と異なる「行為の結果の受け手」を導入する、“替”が“给”と置き換え可能な場合に特に有効である。
(150)我{给/替}弟弟买了苹果。
[作例:自然度1.00]
私は弟の代わりにリンゴを買ってやった。
しかし、“替”を“给”で置き換えられない場合、例えば、事物の受け手がトラジェクターである(「代わりに買っておく」「代わりに食べる」)ような構文があることは、「行為の結果の授与」ではうまく説明できない。
(151)我{替/*给}弟弟买了苹果。
私は弟の代わりにリンゴを買ってやった。
(152)爸爸{替/*给}妈妈喝了一杯酒。
父は母の代わりにお酒を一杯飲んであげた。
移動物の受け手が背景化されなければ受益者が導入できない、というような制約を説明するためには、“给……V”構文が本動詞“给”の構文スキーマを引き継いだ二重目的語構文であり、トラジェクター以外の参与者は二つに限られる、という分析が必要になる。“给……V”構文では受益者も構文に応じてIOとしての選択の可否が決まる参与者であり、“给”は“替”や“为”のような介詞と異なるのである。
(153)小张{为/*给}小宝宝辞去了工作。
張さんは赤ちゃんのために仕事を辞めた。
“给……V”の構造を用いた表現には、以上のほかに、受動の意味を示す構文がある。木村(2012)は、中国語の受動表現は受益表現から拡張した構文であると指摘するが、以上で述べたように、“给”を用いた受益文が動詞により選択の可否が決まる構文であるとすれば、受動表現への拡張にもこのような動詞に応じた制限がなければならないはずである。本書では、受動表現が二重目的語構文ではなく、“给……V”構文である、という立場で、次の第6章で詳しく分析する。
【注释】
[1]例文(3)bは“给”に後続する“图书馆”は物の受け手を表せないが、受益者としては成立する。これについては後述する。
[2]これについて、Anderson(1971)は、holistic effectが場所格の直接目的語化の特徴とされる。
[3]「ペンキ」や「本」が特定であって、これを「処置式」で動詞に前置する構文では“在”は使えるが、“给”は使えない。例:张三把漆涂{在/*给}墙上。/张三把书装{在/*给}车上。
[4]ここでいう「物」とは抽象物ではなく、物理的に存在する実物であり、かつ移動できるものを指す。
[5]“戴”“别”“束”“换”“蒙”“罩”のような動詞の具体例は次のようである。
a.不管母亲的悲哭,他昂然地立在地上,由宪兵给他戴上了沉重的手铐。
(《青春之歌》)
母親の悲しみをよそに、彼は昂然と床に立ちはだかって、憲兵から重い手錠をかけられた。
b.“姐姐,俺们给你别上吧,俊着哩。”几只小手轻轻把一朵朵小花插在我的发辫上。
(《轮椅上的梦》)
「お姉ちゃんの髪に飾ってあげる」小さな手がいくつか、私のおさげにそっと花を差しこんだ。
c.护士过来给她束好腰带后,忽然端详着她问道。
(《人到中年》)
看護婦が後ろに寄り添って、帯を結んでくれながら、つと彼女の顔を覗き込むようにしながら言った。
d.婶婶正怀着孕。她艰难地走到尸首前,当众给叔叔换上了一身干净衣服。
(《人啊,人》)
叔母は身ごもっている。苦労して遺体の前に行き、衆人の前で叔父をきれいな衣服に着換えさせた。
e.小护士一边抿嘴儿笑着,一边给这兴奋得直要坐起来的病人蒙上有孔巾,一边嘱咐说。
(《人到中年》)
看護婦らは唇に手をあてて笑いこけながらも、興奮の余りベッドの上に起き上がろうとする患者に、穴のあいた白布を顔にかけてやりながら、宥めるように言った。
f.护士给小病人罩上有孔巾。
(《人到中年》)
看護婦は小さな患者に穴のあいた白衣をかけてやった。
[6]“垫”“套”“拭”“焐”“捶”のような動詞の具体例は次のようである。a.紫茄子扯过枕头给儿子垫在脑袋下边。
(《金光大道》)
「青ナス」は枕を引っぱって子どもの頭の下にあてた。
b.他刚要摸,钱彩凤已经蹲下身,扒掉了他脚上的两只旧鞋,挺麻利地把两只黑斜纹布面、千层底的新鞋给他套在脚上了。
(《金光大道》)
それに手をやろうとしたら、銭彩鳳はもう足元にしゃがんで、はき古した両方の靴をさっさと脱がせ、おろしたての黒地の布靴をはかせていた。
c.我不知他还骂了些什么,我也不知自己是怎么醒过来的,我只见他还站在我的面前,我胃里一翻,一下子吐了出来。他见我这样,忙又掏出手帕,给我拭嘴。
(《天云山传奇》)
彼が何をまだ怒鳴っているのかも、自分でどのように気が付いたのかも分らなかったが、まだ彼が私の前にいるのを見ると、胃がムカッとしたとたんに私はいきなり吐いた。それを見た彼は慌ててハンカチを出し、私の口をふこうとした。
d.妈妈用自己的温暖的手掌给他焐腿。
(《活动变人形》)
ママは自分の暖かい手で彼の足を温めてくれた。
e.陈姨太带着一股脂粉香,扭扭捏捏地从隔壁房里跑过来,站在旁边给祖父捶背。
(《家》)
陳姨太が慌てて隣りの部屋から駈け出して来て、立ったまま祖父の背中をたたいてあげた。
[7]“瞧”“过目”“欣赏”“服”の具体例は次のようである。なお、“瞧”“过目”“欣赏”は“看”の意味を表し、“服”は“喝”に相当する。
a.“我不要你的!给我瞧瞧。”
(《红日》)
「要らないから。見せてください。」
b.我边把证明材料给他们过目边说:“我没打人、骂人,只想谈判。”(《作家文摘1997》)
私は証明用の資料を彼らに見せながら、「私は人を殴っていないし、罵っていない、ただ交渉したいだけです」と言った。
c.画家给我们欣赏了他刚刚画好的画。
[作例:自然度1.00]
画家が私たちに完成したばかりの絵を見せてくれた。
d.“先不管它。吃药罢。”他给靖甫服了药,这才拿起那包书来看。
(《彷徨》)
「それより、薬を飲むのだ」彼は靖甫に薬を飲ませてから、その本の包みを取り上げた。
[8]例文(95)では、“给”に後続する動詞は再帰動詞である。b文は原文であるが、a文とc文は筆者の作例である。
[9]“给”に後続するIOが“自己”となる場合は、動詞の再帰性が依然として保たれている。
[10]例文(114)’a—(116)’aは受益表現としての解釈はできないが、「授与」の意味を表すことができる。そのため、例文(114)’a—(116)’aはもう一つの「テレビを見せてくれ」「あの曲を聞かせてくれ」「このお酒を飲ませてくれ」という依頼の意味も表せる。“别”が追加されると、(114)’b—(116)’bの表すような意味のほかに、もう一つの「テレビを見せないでくれ」「あの曲を聞かせてないでくれ」「このお酒を飲ませないでくれ」という依頼となる。
[11]本書で、これまで論じなかったもう一種の“给……V”構文がある。それは次の例文aと例文bのような相手に対してお礼をする意味を示す構文である。
a.剑云也向他请了安,接着他又进去给众人行了礼。
(《家》)
剣雲も跪坐の礼をしてから堂屋へはいって行って、みんなに拝礼する。
b.对了,我对她讲过,我小时候常常给大人磕头。
(《人啊,人》)
そうだ、おれは娘に、パパが子どものころはよく大人に叩頭の礼をしたものだと話したことがあった。
このタイプの構文では、物の位置変化も受益も観察されない。よく似た構造をもつVPには、ほかに“打招呼(挨拶する)”“鞠躬(お辞儀をする)”“请安(拝礼する)”“作揖(拱手の礼をする)”のようなものがあり、二人の間の意思伝達を含意するものの、NP2が意思自体とは直接関係のなさそうな事物を表す名詞の場合である。これらは、これらの意思自体をDOとする代わりに、この意思に隣接する行為(身振りの動作)などをメトニミーによりDOをとる動詞句の形で置いた、メタファーとしての授与構文であると考える。DOの位置を占める事物は、トラジェクターの働きかけの対象として認知的な際立ちをもつことができないため、受け手のみをランドマークとして際立たせる“给……V”構文がふさわしい。このようなメタファーでも他動詞が選択される、という点は、“给”の構文スキーマを維持するためであると見ることができる。
[12]“寄类「差し出す」類”と“写类「書く」類”の動詞の略称である。
[13]飲食類と感覚器官の作用を表す類の動詞の略称である。