5.4.3 “给”の役割
本節では、“给……V”構造において、“给”に後続する動詞が再帰動詞及び再帰用法のある他動詞の場合の“给”の役割を考察する。着脱類、身体部位を対象とする他動詞、再帰動詞のいずれの場合も、“给”が追加されることによって、再帰的意味を有する他動詞は再帰性が失われる。“给”が動詞の再帰性に影響を及ぼすということである。
まず、着脱類と身体部位を対象とする他動詞の例文を見てみよう。
(93)a.我穿一身红,红得像团火。
私は上から下まで赤いものを着たかった。まるで火の玉みたいに。
b.那时候,妈妈爱给我穿一身红,红得像团火。
(《人啊,人》)
あのころ、お母さんは私に上から下まで赤いものを着せたがった。まるで火の玉みたいに。
c.那时候,妈妈爱给穿一身红,红得像团火。
あのころ、お母さんは上から下まで赤いものを着せたがった。まるで火の玉みたいに。
(94)a.祖父捶背。
祖父が背中をたたいた。
b.陈姨太带着一股脂粉香,扭扭捏捏地从隔壁房里跑过来,站在旁边给祖父捶背。
(《家》)
陳姨太が慌てて隣りの部屋から駈け出して来て、立ったまま祖父の背中をたたいてあげた。
c.陈姨太带着一股脂粉香,扭扭捏捏地从隔壁房里跑过来,
站在旁边给捶背。
陳姨太が慌てて隣りの部屋から駈け出して来て、立ったままたたいてあげた。
上記の例文は着脱類及び身体部位を対象とする他動詞を使用している。b文が原文であるが、a文とc文は筆者の作例である。例文(93)aと例文(94)aでは、動作行為の“穿”や“捶”が行われた結果、動作の主体であり、構文の主語の“我”と“祖父”に変化が生じることとなる。
一方、例文(93)bと例文(94)bは異なる。新たに“给”が加わることで、構文の表す意味は、主語の“妈妈”と“陈姨太”がIOに対し、“穿”や“捶”という動作行為を行った結果、状態変化したのが構文の主語ではなく、IOのほうとなる。
例文(93)cと例文(94)cに示すように、“给”に後続するIOが了解される場合に、“给”の直後に現れなくても構文は成立する。この場合に、c文と“给”のないa文との違いは保たれる。
このことから、着脱類及び身体部位を対象とする他動詞は再帰性を有するが、“给”が加わると、動詞の再帰的解釈が排除されることが分かる。
“给”のこのような役割は、同じ“给……V”形式をとる“给”に後続する動詞が再帰動詞の場合にも見られる。
(95)a.母亲吃清淡饮食。
母親があっさりとしたお食事を食べる。
b.我给母亲吃清淡饮食……我觉得这才是孝顺呢。
[例文(90)aを再掲]
私は母親にあっさりとしたお食事を食べさせていて……これこそ親孝行だと思うの。
c.我给吃清淡饮食……我觉得这才是孝顺呢。
私はあっさりとしたお食事を食べさせていて……これ
こそ親孝行だと思うの。[8]
例文(95)の“吃”も、a文であれば、動作を行った結果は、すべて動作の主体であり、構文の主語でもある“母亲”のほうに帰し、「母親はあっさりとしたお食事を食べる」ということを意味する。b文のように“给”が追加されることにより、動作行為の“吃”を行ったのは構文の主語ではなく、IOのほうである。c文に示すように、IOが了解されていて省略されている場合も構文の適格性に影響せず、a文とは区別される。
以上の分析から、“给……V”構文において、“给”に後続する動詞が再帰動詞の場合、“给”が追加されることによって、動詞の再帰性がなくなることが分かる。[9]“给”の役割に関して、従来の先行研究では、“给”が授与目標であるIOを明確化すると指摘するが(袁1997など)、後続する動詞が再帰的動作を示す場合、“给”が動詞の再帰性にも影響を及ぼすことが分かる。