6.2.2 DOの受動化

6.2.2 DOの受動化

中国語の受動表現において、受動マーカーは“给”のほかに、“被”“让”“叫”もある。次の例文(16)に示すように、“让”と“叫”は後に行為者を伴うことが要求されるのに対し、“被”は“给”と同様に行為者が現れなくても、構文は適格な表現である。

(16)a.我的钱包{让/叫/被/给}小偷偷了。

[作例:自然度1.00]

私の財布は泥棒に盗まれた。

b.我的钱包{*让/*叫/被/给}偷了。

私の財布は盗まれた。

上の例文(16)から、受動マーカーの“让”と“叫”は行為者を導き、それを顕在化する役割を担うことが窺える。ところが、“被”と“给”は行為者が必ずしも顕在化しない。このことは、“让”と“叫”を用いる受動表現が、“被”や“给”を用いる構文と異なることを示している。

一方、四種類の受動表現に共通する制約として、原則としてDOを主語とする受動化のみが可能という制約がある。

第2章で取り挙げた本動詞の“给”は、次の例文(17)aに示すように、IOとDOの両方をとり、典型的な二重目的語構文を構成する。そして、例文(17)aをそれぞれ、受動マーカーの“让”“叫”“被”“给”を用いて受動表現に変換すると、理論的にはDOが主語に立つものとIOが主語に立つものの二通りの構文が考えられる。

(17)a.张三给了李四一本书。

[作例:自然度1.00]

張三は李四に本を一冊与えた。

b.那本书{让/叫/被/*给}张三给了李四。

あの本は張三から李四に与えられた。

c.李四{*让/*叫/*被/*给}张三给了一本书。

「李四は張三に本を一冊与えられた」の意

上の例文(17)bと例文(17)cに示すように、受動マーカーの“给”は本動詞の“给”と共に構文に現れることが許されない。これは「反復の制約」により、“给”の反復を避けるからである。なお、「反復の制約」に関しては次の第6.2.3節で分析を行う。

そして、例文(17)のように、a文の能動表現を受動表現に変えると、b文のようにDOが主語に立つ文は適格であるが、c文のようなIOが主語となる受動表現は容認されない。このIOを主語に繰り上げる受動化ができないという制約は、次の例文(18)と例文(19)に示すような「授与」や「受益」の意味を表す構文でも共通に見られる。

(18)a.我给妹妹买了一辆车。

(施1981:33)

私は妹に車を一台買った。

b.那辆车{让/叫/被}我买给了妹妹。

あの車は私によって妹に買い与えられた。

b’.那辆车给我买下来了。

あの車は私によって買い上げられた。

c.妹妹{*让/*叫/*被/*给}我买了一辆车。[1]

「妹は私に車を一台買い与えられた」の意

(19)a.元二嫂高兴地给老元开门。

(《人民日报》1993年)

元二姉ちゃんはニコニコしながら、元さんにドアを開けてあげた。

b.门{让/叫/被}元二嫂给老元打开了。

ドアは元二姉ちゃんに元さんに開けられた。

b’.门给元二嫂打开了。

ドアは元二姉ちゃんに開けられた。

c.老元{*让/*叫/*被/*给}元二嫂打开了门。

「元さんは元二姉ちゃんにドアを開けられた」の意上記の例文(18)と例文(19)は、いずれもIOを主語に繰り上げる受動表現を構成することができないということを示している。このDOの受動化について、王(2012:120)は認知言語学の観点から次のように指摘している。

在认知被动事件时,辖域的选择在汉语中比日语受到更大的限制,我们可以把被动事件的辖域看作一个原型范畴,对受事直接施加影响力的为典型成员,对受事间接施加情感、情绪、情状、心理等方面的影响力的,典型性减低。在汉语中,对于非典型成员,往往用别的句式表达,不再进入被动句……而日语对于非典型成员也一概包容,可以进入被动句。

[受動という出来事を認知する場合、スコープを選択する際に、中国語は日本語よりさらに厳しい制限を受けている。受動の出来事のスコープをプロトタイプとして見ると、受動の対象に直接的な影響力を与えるものがプロトタイプ的な成員であり、受動の対象に間接的に感情、気分、状況、心理的な影響力を与える場合、そのプロトタイプ性が低い。中国語は、非プロトタイプ的な成員に対し、受動文を使わずにほかの構文を利用し表現するのが一般的で……ところが、日本語は非プロトタイプ的な成員でも受動文で表現することが許容される。][2]

つまり、受動表現に関しては、日本語のスコープが中国語より広いのである。日本語は直接受動文と間接受動文の両方を用いることができるのに対し、中国語は基本的に出来事と直接関わりのある直接受動文しか使用できない。

以上のことから、中国語の受動表現はDOの受動化しか認められず、IOである物の受け手や行為の受け手(即ち、受益者)を提示する“给……V”構造は、そもそも受動表現に現れることができないと思われる。