5.2.1 “给……V”構文に現れる二義性

5.2.1 “给……V”構文に現れる二義性

本節では、“给……V”構文に起こる二義性を例にし、先行研究の論点をまとめながらこのような構文の意味的特徴を考察する。

朱(1979)は、中国語の動詞“借”がもつ語彙としての二義性を、「授与」の意味をもつ「貸す」と「取得」の意味をもつ「借りる」との違いとして説明する。共に単独で二重他動詞構文に現れるが、“V给”構文に現れるのは前者のみである。

(8)我借了他100元钱。

[作例:自然度1.00]

a.私は彼に100元を貸した。

b.私は彼から100元を借りた。

(9)我借给了他100元钱。

[作例:自然度1.00]

私は彼に100元を貸した。

これに対し、“卖类(「売る」類)”の「貸す」は、“给……V”構文に現れることができず、「借りる」の「取得」の意味を示す場合だけが“给……V”構文に現れることが容認される。

(10)我给他借了100元钱。

[作例:自然度1.00]

a.*私は彼に100元を貸した。

b.私は彼のために100元を借りた。

c.私は彼の代わりに100元を借りた。

例文(10)bと例文(10)cでは、「取得動詞」である“借(借りる)”の本来の参与者ではない受け手が“给他”により追加され、“100元钱”の受け手と解釈される場合(例文(10)b)とそうでない場合(例文(10)c)がある。しかしどちらの構文も、動詞単独ではIOとしてプロファイルされうる「貸し手」が、背景化されて現れることができない。「取得」の意味を表す“借(借りる)”の二義性に関しては後述するが、ここでは、まず「授与」の意味を示す動詞を述べる。

朱(1979)は、「授与」を意味する大部分の動詞は“V给”構文をとるが、「取得」や「製作」を意味する動詞は、一般的には“给……V”構文を選択するとする。ただし、「服務」の受け手を導く場合は「授与」を意味する動詞も“给……V”構文に現れるとしている。

確かに、「授与」を意味する“卖类(「売る」類)”は授与構文としては“给……V”構文で表現できず、“给……V”構文で表せるのは「服務」の意味だけであるため、二義性が生じない。

(11)我给图书馆卖了几本书。

[作例:自然度1.00]

a.私は図書館の代わりに本を何冊か売ってあげた。

b.*私は図書館に本を何冊か売った。

(12)我给他还了100元钱。

[作例:自然度1.00]

a.私は彼の代わりに100元を返してあげた。

b.*私は彼に100元を返した。

しかし、動詞によっては授与構文における事物の受け手を表すことができて二義性が生じるものもある。

(13)我给他送了一份礼物。

[作例:自然度1.00]

a.私は彼の代わりに(誰かに)プレゼントを贈った。

b.私は彼にプレゼントを贈った。

“送”は二重目的語構文をとる“卖类(「売る」類)”の動詞であり、受け手は“V给”構文で表されるので、例文(13)aでは“他(彼)”が「プレゼント」ではなく、「代わりに贈る」というような行為の受け手と解釈されることになる。この場合、プレゼント自体の受け手は背景化されて現れることができない。しかし、例文(13)bに示すように、「プレゼントを贈る」という行為の受益者ではなく、物の受け手が現れ、次の例文(14)のような“V给”構文とほぼ同じ意味となる場合もある。

(14)我送给了他一份礼物。

[作例:自然度1.00]

私は彼にプレゼントを一つ贈った。

“给……V”構文のIOが事物(NP2)の受け手であるのか行為(VP)の受け手であるのかによると見られる二義性は、“寄类(「差し出す」類)”と“写类(「書く」類)”のような動詞にも見られる。

(15)我给老师寄了五本书。

[作例:自然度1.00]

a.私は先生に本を五冊送った。

b.私は先生のかわりに本を五冊送ってあげた。

(16)小李给小张写了一封信。

[作例:自然度1.00]

a.李さんは張さんに一通の手紙を書いた。

b.李さんは張さんのかわりに一通の手紙を書いてやった。

上の例文は日常生活の中でよく使われている文であるが、以上に示したようにどちらも二通りの意味をもつ。例文(15)では「先生のところに本を五冊送った」ともとれるし、「先生が忙しいから、私は先生のかわりに本を五冊送ってあげた」というようにも解釈できる。例文(16)では「張さん宛に手紙を一通書いた」と理解してもいいが、また「張さんが手紙を書くことができない時に李さんは張さんの代わりに手紙を書いてやった」と理解してもいい。

この種の二義性に関して最初に指摘したのは太田(1956)である。太田(1956:189)では、次の例文(17)が二通りの意味を有すると指摘する。

(17)我给你写信。

a.君の代りに手紙をかく。

b.君に対して手紙をかく。

(太田1956:189)

太田(1956:189)によれば、「もともとこの句は、『僕が手紙を書くということ』を君にあたえるという意味、つまり、僕が君のために手紙をかくという意味にすぎない。だから誰に当てた手紙をかいてもよいのである。もし、手紙の宛名を考慮すると(イ)僕が君の為に『彼に当てた』手紙をかく(ロ)僕が君の為に『君に当てた』手紙をかくの二つの場合が生ずる」と解釈している。どちらの意味も「行為の授与」にあたるとする解釈である。

興味深いのは、例文(15)bの「本の送り先」、例文(16)bと例文(17)aの「手紙のあて先」が存在することは間違いないが、どちらも背景化されてこの文では表現できないという点である。

例文(15)bの“老师”は、ただ“我寄书”の理由あるいは動機であり、“寄书”という動作行為と直接関与しないため、“寄书”という出来事の間接的な参加者であることが分かる。ここの“老师”は“五本书”という物の受け手ではなく、“我寄书”という動作行為の受け手である。このような間接的な参与者がIOとして認知的な際立ちを与えられ、存在していなければならないはずの、物の受け手が背景化されている。

以上の分析から分かるように、例文(15)―(17)のような二義性が生じる例文は、文の中の物に注目し、“给”の後のIOが物の受け手と認識されると、物の授与が観察できる単純な授与構文となる。それに対し、構文の中の行為を示す部分に注目し、“给”の後のIOが行為の受益者と理解されると、例文は受益構文となる。

以上では、「授与」の意味を表す動詞について述べたが、次では、「取得」と「製作」の意味を表す動詞について考察を行う。

施(1981:33)は、「取得動詞」の“给……V”構文に関して二義性を論じている。次の例文(18)は「私はお金を出して車を買って妹にあげた」と「妹がお金を出して、私はただ妹の代わりに車を買ってやった」と二通りの解釈がある。

(18)我给妹妹买了一辆车。

(施1981:33)

a.私は妹に車を一台買った。

b.私は妹の代りに車を一台買ってやった。

これについて、施(1981:33)は次のように解釈している。

当这个句子理解为“帮她代买”义时,句中的“给”可以用介词“替”来替换;当理解为“买了给妹妹”义时,句中的“给”难以用别的介词来替换,而只能用“给”——作为介词的“给”,它的作用仅仅是把给予的对象介绍给其后的“买了一辆车”。

[この文は、「妹の代わりに買ってあげた」という意味に理解する場合、文中の“给”を介詞の“替”に取り換えることができる。一方、文を「車を買って妹にあげた」という意味に解釈する場合は、“给”を他の介詞に取り換えることは難しく、“给”しか使えない。介詞としての“给”の役割はただ授与対象をその後の“买了一辆车(一台の車を買った)”に割り当てる働きしか認めない。]

例文(18)aは、動詞“买”本来の参与者ではない受け手が“给妹妹”により追加され、“一辆车”の受け手と解釈される。例文(18)bは追加される“妹妹”は、“一辆车”の受け手ではなく、“买一辆车”という行為の受益者である。どちらの構文も、動詞単独ではIOとしてプロファイルされうる「買い先」が、背景化されて出現することができない。例文(18)bは“给”に後続する“妹妹”は、行為の受益者であるため、事物の“一辆车”の受け手はさらに背景化されて構文に現れない。

前述の「取得」の意味を示す動詞“借(借りる)”も同様な振る舞いが見られる。

(19)我给他借了100元钱。

[作例:自然度1.00]

a.私は彼のために100元を借りた。

b.私は彼の代わりに100元を借りた。例文(19)aも例文(19)bも、動詞単独ではプロファイルされうる「貸し手」が、背景化されて構文に現れることができない。そして、例文(19)bでは追加されるのは事物の受け手ではなく、行為の受益者のため、事物の受け手はさらに背景化される。

「製作動詞」の“给……V”構文も二義性が生じる。

(20)我画画儿。

[作例:自然度1.00]

私は絵を描く。

(21)我给他画画儿。

[作例:自然度1.00]

a.私は彼に絵を描く。

b.私は彼の代わりに絵を描いてあげる。本来「授与」の意味をもたない「製作動詞」は、例文(20)に示すように、参与者が主語の“我”と事物の“画”の二項である。“给他”が加わることによって、例文(21)aに示すように、本来参与者ではない受け手が追加され、認知的な際立ちを与えられ、「授与」の意味をもつようになる。

例文(21)bは、追加された“给他”は行為の受益者であり、この行為の受益者が認知的な際立ちとなり、存在していなければならないはずの、事物の受け手が背景化されて構文に現れることができない。