4.3 「授与」の意味を持たない動詞の“V给”構文

4.3 「授与」の意味を持たない動詞の“V给”構文

第4.2節で触れたように、朱(1979)では、「授与」の意味を有する動詞は“V给”構文をとる。「取得」「製作」の意味を有する動詞はもともと「授与」の意味が含意されないため、“V给”構文に出現することができず、“给……V”構文と“V……给”構文が用いられるとされている。これらの構文は、「授与」とそれに先立つ「取得」「製作」をそれぞれの動詞句構造に分離して表す二動詞構文であると考えられる。

この分類は、「授与動詞」をめぐる言語の類型論的研究でもしばしば参照されており、中国語の「V+授与動詞」の構造として“V给”構文を取り上げる場合、前項動詞の意味的特徴に関して、「製作動詞」や「取得動詞」がこの構文に生起しにくいと主張する研究は多い。

例えば、井上(2011:38-48)は、日本語、韓国語、中国語の三つの言語を比較し、Vが他者へのモノの移動を引き起こす動作を表す場合、日本語、韓国語、中国語のいずれも「V+授与動詞」という複合動詞が作られるが、Vがモノの作成、モノの入手を表す場合、日本語と韓国語では「授与動詞」相当の複合動詞が作られるのに対し、中国語では複合動詞の“V给”が成立しにくいと指摘する。

また、澤田(2014)は、まず日本語の「授与動詞」構文の構文パターンを分類し、その分類をもとに、韓国語、マラーティー語及び中国語というアジアの諸言語を対象に、「V+授与動詞」構文の前項動詞の対照を行っている。前項動詞のクラスに関して、中国語の“V给”の基本的な使用範囲は、所有変化動詞、位置変化動詞(本書は「使役移動動詞」という)を表す動詞のみで、「製作動詞」や「取得動詞」が生起しにくく、その他の意志動詞及び無意志動詞が使えないとされる(澤田2014:52-55)。

これらの日本語との対照研究には、「V+授与動詞」という語順のみに着目した分析となっており、中国語の他の“给”構文を参照していない、という点で問題がある。「取得」「製作」の意味の動詞でも“给……V”構文への拡張は可能である。日本語と中国語の「授与動詞」構文の大きな違いは、少なくとも“V给”構文と“V……给”構文に関する限り、中国語の“给”を用いる構文では「事物の授与」に終わるような行為でなければ用いることができないのに対し、日本語の受益構文である「~てやる」や「~てくれる」は事物の移動がない場合でも使用できる、という点である。

(16)美しいピンクのミニシクラメンの花が咲いてくれた。

(『朝日新聞』2003年)

(17)北海道から久しぶりに娘が孫を連れて里帰りした。長いこと来なかった孫のため、年のことも忘れて張り切り、毎日、孫の喜ぶ所へ連れて行ってやった。

(『朝日新聞』1999年)

(18)2人の世話をした児童相談所の元職員(63)は「幸せになってくれていると信じています」。

(『朝日新聞』2001年)

(19)7歳だった拓優君のそばにいてあげたかった。アルバイトの経験を生かし、自宅のそばに喫茶店を開こうと決めた。

(『朝日新聞』2014年)

例文(16)―(19)では、事物の授与が観察されないため、“给”を用いる構文で中国語に訳すことができない。“V给”構文と“V……给”構文では、Vが他動詞でなければならず、自動詞や状態動詞はVを構成することができない。しかも、Vの目的語は“给”が要求する授与行為のDOとして、IOに対して授与される対象であると解釈される。

朱(1979)は、“V给”構文のVは、その構文的意味として「授与」を含意しなければならないとしている。“写(書く)”は動詞であるが、“信(手紙)”のような、本来「授与」を含意するようなDOをもつ場合には“V给”構文が成立する。そうではない「取得動詞」は、目的語が表す対象物が授与される場合には、連動文となり、「授与」を表す“给”がVとは分離した構文となる。

(20)a.我母亲买了一件毛衣给父亲。

b.*我母亲买给了父亲一件毛衣。

私の母は父にセーターを一枚買った。

しかし、DOが動詞の前に置かれる構文では、“给”がVの直後に現れるのことは、「取得動詞」を例に第4.2節で述べたとおりである(例文(13)―(15))。現代語コーパスにはほかの動詞の例も現れている。

(21)陕西省5年内3.7万户教工迁新居顺义县将最大块“蛋糕”切给教育。

(《人民日报》1995年)

陜西省は5年以内に3.7万世代の教職員を新築に引っ越しさせた。順義県がケーキの最大の分け前を教育に切ってやった(切り与えた)。

例文(21)は「動作動詞」の例であるが、特定指示をもつDOが介詞“将”を伴って動詞に前置される「処置式」の例である。「処置式」という名称は、行為によるDOの変化に焦点を当てる機能をもつ構文であり、動詞が補語を伴うなど、DOの変化が明示されていなければならないが、この例文では“给”に導かれた受け手への到達が「処置」の内容となっており、“给”及び“给”に導かれる受け手が必須の要素であると言える。

(22)a.*顺义县将最大块“蛋糕”切。

b.*顺义县将最大块“蛋糕”切给。

c.顺义县将最大块“蛋糕”切给教育。

順義県がケーキの最大の分け前を教育に切ってやった(切り与えた)。

しかし、「製作動詞」は、上記のように、“将”や“把”を用い、IOを動詞の前に置いても、“V给”構文が成り立たない。

(23)a.*我母亲织给了父亲一件毛衣。

b.*我母亲把那件毛衣织给了父亲。

c.我母亲给父亲织了一件毛衣。

私の母は父にセーターを一枚編んであげた。

前述のように、「製作動詞」は「授与」の意味をもたないため、例文(23)aのような“V给”構文が構成できない。例文(23)bのような“把”を用いるDO前置の“V给”構文も構成できない理由は、「製作動詞」が「材料を使い、何かを作り出すこと」を表し、構文のDOは結果として作り出されるものを表す「結果目的語」名詞句であり、「処置対象」ではないからである。

このように、「製作動詞」は例文(23)cの“给……V”構文しか使用できない。“给……V”構文の意味的特徴は第5章で詳しく分析する。

次に、上記のようなDO前置構文は“V给”構文であり、“V……给”構文の目的語がない場合ではないことを説明する。

(24)最大块“蛋糕”切给了教育。

ケーキの最大の分け前が教育に切られた(切り与えられた)。

(25)a.我母亲买了一件毛衣给父亲。

[例文(20)aを再掲]

私の母は父にセーターを一枚買った。

b.*那件毛衣买了给父亲。

DOの前置によって行為者が背景化される受動文においても、例文(24)のように“V给”の語順が成立する。この場合には、“V给”構文の受動文と同じ語順となる。連動文は通常は受動文にならないので、例文(25)aのような連動文としての解釈はもはや成り立たない。

関(2001)が指摘するように、DO前置構文(「P前置型構文」)では、単一の授与行為を表す「授与動詞」構文でも“V给”構文が選択されやすい。この種の「P前置型構文」は、行為の結果としての事物の受け手への移動に認知的な際立ちを与える構文として、「授与」の意味を示す動詞だけでなく、特定の対象への働きかけを含意する動詞一般に拡張していると考える。