3.2 本書の考え方
しかし、従来の先行研究の多くのように“给”を動詞、介詞、助詞との三つに分類することには、問題がある。まず、例文(15)のような動詞の直後の“给”(“V给”)は、アスペクトの“了”や“过”が“给”の直後に現れるため、“给”と名詞句が分断されることがある。
(15)a.留给你钥匙。
[例文(6)を再掲]
鍵をあなたに残す。
b.我留给了你两把钥匙。
私はあなたに鍵を二つ残した。
c.我留给过你两把钥匙。
私はあなたに鍵を二つ残したことがある。
通常の介詞は名詞句を導くため、次の例文(16)に示すように、名詞句を直後に伴わなければならない。
(16)a.爸爸到这里走走。
[作例:自然度1.00]
父はここにきて散歩する。
b.*爸爸到了这里走走。
c.*爸爸到过这里走走。
名詞句を導くことを根拠として介詞とする分析には、さらに大きな問題がある。第2章の第2.5節で、本動詞“给”のIOは、了解されている場合には省かれることがあると述べた。介詞と分類される“给”でも、多くの場合、了解されている後続の名詞が省略されても、構文の意味には影響を与えない。
例えば、“给……V”構造を用いる受益用法(第5章)では、次の例文(17)に示すように、IOが了解される場合、省略されても構文の適格性に影響しない。
(17)a.老元下乡检查回来,背了一大堆东西,元二嫂高兴地给老元开门。
(《人民日报》1993年)
元さんが田舎から検査して戻って、たくさんの物を背負ってきた。元二姉ちゃんはニコニコしながら、元さんにドアを開けてあげた。
b.老元下乡检查回来,背了一大堆东西,元二嫂高兴地给开门。
元さんが田舎から検査して戻って、たくさんの物を背負ってきた。元二姉ちゃんはニコニコしながらドアを開けてあげた。
また、授与構文(第4章)と受動構文(第6章)では、次の例文(18)bと例文(19)bのように、後続する名詞句が現れない“给”が助詞とされる場合があるが、a文のように、“给”に後続する名詞句が現れる場合もある。
(18)a.张三给李四寄了一本书。
張三が李四に本を一冊送った。
b.张三给寄了一本书。
張三が本を一冊送った。
[作例:自然度1.00]
(19)a.小王给小李打了。
王さんは李さんに殴られた。
b.小王给打了。
王さんは殴られた。
[作例:自然度1.00]
辞書なども含め、従来の先行研究によれば、上の例文(17)―(19)のa文は、“给”の直後に名詞句があるため、“给”は介詞とされる。そしてb文は、直後に動詞句が後続するため、“给”は助詞とされる。このように、名詞句の有無を基準にし、“给”の品詞を決めると、例文(17)―(19)のそれぞれの共通性が捉えられない。
また、上の例文(17)―(19)のa文のように、“给”の目的語を省略しても、b文に示すように、“给”は構文に残る。しかし、中国語の介詞は、“给”と同様に動詞に由来するものが多いが、一般に、補部となる名詞句が省かれて介詞だけが残ることはない。省略される場合は、介詞と名詞句の全体が省略される。
(20)a.他对毛泽东的决定感到震惊。
(陈2001:2)
彼は毛沢東の決定に驚いた。
b.*他对感到震惊。
「彼はに驚いた」の意
c.他感到震惊。
彼は驚いた。
(21)a.姑娘每日都要到这里走走。
(陈2001:67)
女の子は毎日ここにきて散歩する。
b.*姑娘每日都要到走走。
「女の子は毎日にきて散歩する」の意
c.姑娘每日都要走走。
女の子は毎日散歩する。
(22)a.她用双臂搂着他的脖子,真的笑了起来。
(陈2001:83)
彼女は両腕で彼の首を抱きしめて、本当に笑い始めた。
b.*她用搂着他的脖子,真的笑了起来。
「彼女はで彼の首を抱きしめて、本当に笑い始めた」の意
c.她搂着他的脖子,真的笑了起来。
彼女は彼の首を抱きしめて、本当に笑い始めた。
例文(20)―(22)に示すように、a文の介詞の目的語名詞句が省略され、介詞だけが構文に現れるとb文のように、いずれも非文である。c文のような介詞も共に省略される構文は適格となる。
このことから、上記の例文(17)―(19)に示すような“给”を含む構文では、名詞句が後続する“给”が介詞と判断するのは妥当ではないと考える。むしろ、動詞としての性質を引き継いでいると考えたほうがいい。
第2章の第2.5節では、“给”を含む構文には「反復の制約」があり、次の例文(23)に示すように、“给”を介詞的に使い本動詞の“给”の前にIOをおくことが容認されないことを述べた。
(23)a.我给老师送了一本书。
[作例:自然度1.00]
b.*我给老师给了一本书。
私は先生に本を一冊贈った。
「反復の制約」は、“给”を示す介詞と動詞だけでなく、介詞と介詞、介詞と助詞の組み合わせにも適用される。
(24)a.我替小李给小张当翻译。
[作例:自然度1.00]
b.*我给小李给小张当翻译。
私は李さんの代りに張さんに通訳をしてやった。
(25)a.那辆车被我买给了妹妹。
[作例:自然度1.00]
b.*那辆车给我买给了妹妹。
あの車は私によって妹に買い与えられた。
しかし、このような制約は、同じく動詞に由来する介詞の“在”に観察されない。
(26)他在晚上八点以后在。
[作例:自然度1.00]
彼は夜の八時以後に居る。
例文(23)―(25)の“给”構文では、介詞の“给”、動詞の“给”及び助詞の“给”は、共に一つの構文に現れることができない。この「反復の制約」は、まさに“给”が、それぞれ動詞、介詞、助詞として存在して異なっている“给”ではなく、同一語の“给”であることを反映していると考える。
ただし、この制約には例外がある。“给”の中には、「処置式」、つまりDO前置の“把”構文の“把”と置き換えが可能なものがある。これを、「処置式」の“给”と呼ぶ。
(27)玻璃给我划破了=玻璃把我划破了。
私はガラスでひっかかれた。
このような“给”は、「反復の制約」の例外となっており、“把”と同義の別の単語が派生している、と見られる。
(28)你看给他给气得=你看把他给气得。
ほら見て、彼はどれだけ怒ったのか。
従って、本書では、「処置式」を除く他の用法の“给”を、文法化による機能辞の派生による同音異義ではなく、本動詞のプロトタイプからさまざまな構文への拡張による多義の関係にあるとみなす。
また、本書では、動詞句に後続する次のような“给”については、連動文と分析し、構文の拡張とはみなさない。
(29)我买了一辆车给妹妹。
(朱1979:84)
私は車を一台買って妹にやった。
(30)农场拨出一块地来给他们做试验。
(例文(10)を再掲)
彼らが試験できるように、農場は土地を支出した。
例文(29)は、中国語においては、典型的な連動文の後の動詞として“给”が現れているという解釈しかもたない。前の動詞と共通の主語とDOが省かれてはいるが、動詞としての意味は“给”単独の場合と変わらない。
例文(30)も連動文であるが、“给”の後にさらに動詞がある。この動詞の主語は“给”の目的語であり、兼語構造の使役構文となる。ただし、例文(30)の使役は、連動文の後の要素としてしか成立しない。
第2章の第2.4節では、“给”のDOの後に動詞が後続する構文を取り上げたが、中国語においては、共通の主語や目的語をもつ二つの動詞が構成する構文が多い。介詞とされる“给”も、そのような動詞構文であると考える。
品詞論を離れて“给”の多義の間の関係を論じる立場としては、太田(1956)のように、“给”の「授与動詞」としての性質に正面から着目する先行研究もあるが、多くは介詞としての用法の多義の間の派生関係に限定されたものとなっている(袁1997など)。中国語の他動詞が連動式において前置詞的に機能するという赵(1968:297)の指摘をはじめ、動詞に由来する介詞が動詞の特徴を残しており、二つの間が分かちがたいことは中国語学の常識となっている。このことを踏まえ、“给”を動詞とするか介詞とするかには踏み込まず、介詞としてのさまざまな用法を多義とみなす立場である。この場合、受動用法の場合を含め、“给”に後続する名詞句がどのような意味役割をもつかを中心に調べ、その間の派生関係を考える。しかし、本書では、“给”を動詞と考え、これが第2章で述べたような異なる構文をもつため、介詞としての用法も“给”の動詞としての用法のうちどれであるかを考慮して分析すべきであると考える。
“给”のプロトタイプとしては、第2章において、DOとIOをもち、IOの状態変化に認知的な際立ちがあるスキーマ(第2.3節)と、補語を伴い、IOが背景化され、DOの状態変化に認知的な際立ちがあるスキーマ(第2.5節)があることを述べた。第4章と第5章では、この二つの構文の拡張と見られる構文について詳しく論じる。
第4章では、動詞の直後に“给”が現れるIO後置の“V给”構文について論じる。この構文は、本動詞の“给”と同じく、“V给”の直後にIOを伴う二重他動詞構文である。
第5章では、“给……V”構文のうち、IOを前置する二重他動詞構文と見られるさまざまなタイプ(授与構文・位置移動構文・再帰的行為を表す動詞の脱再帰構文・受益構文)について論じる。これらの構文は、すべて“给”と他動詞が形成する二動詞構文(拡張連動文)であるが、二重他動詞としてのスキーマは維持している。構文ごとに、IOとDOの意味役割が特定され、これらがネットワークを成していると考える。
第6章では、受動構文や“把……给”構文を、補語を伴い、IOが背景化され、DOの状態変化に認知的な際立ちがある構文からの拡張としてまとめ、その成立条件を記述する。
これらの構文において、“给”が介詞ではなく動詞であると考えるのは、“给”に後続するIOだけでなく、常に文のどこかにDOが存在しなければいけないからである。このことは、「介詞」とされる“给”が共起する動詞が、“V给”構文でも“给……V”構文でも、ほぼ他動詞か二重他動詞に限られていることに反映されている。受動構文やDO前置構文である“把……给”構文では、IOが背景化されているが、動詞は他動詞であり、この目的語の変化を含意するような構文でなければならない。これらの、二重他動詞あるいは他動詞としてのスキーマを保って拡張した構文が、これらの目的語がどのような意味フレームをもつかに応じてネットワークを構成していると考える。