5.3.3 “把”構文との比較
対象物に状態変化を引き起こすことを意味する構文には“把”構文がある。本節では、IOが人間ではない場合に、“给……V”構文がIOである物の一部が状態変化することを容認できるのに対し、“把”構文は物の全体が変化することを要求することについて論じる。
(47)a.路喜纯别过头去,给煮好的鹌鹑蛋剥皮。
[例文(24)を再掲]
b.路喜纯别过头去,把煮好的鹌鹑蛋剥皮。
路喜純は二人に背中を向けて、煮えたうずらの卵の皮を剥いていた。
(48)a.老两口有一对好棺材,柏木打的,远近闻名。老汉每年给它们上一遍漆,漆得很仔细很耐心。
(《插队的故事》)
b.老两口有一对好棺材,柏木打的,远近闻名。老汉每年把它们上一遍漆,漆得很仔细很耐心。
老夫婦は上等な棺桶を二つ用意していた。コノテガシワで作られていて、このあたりでは有名である。老人は毎年それに細心かつ辛抱強くペンキを塗った。
例文(47)でも(48)でも、“给”を“把”に入れ替えても構文の適格性に影響しない。これは、例文(47)であれば、「煮えたうずらの卵は皮が剥かれる」、例文(48)であれば、「棺桶がきれいにペンキで塗ってある」という、状態変化が含意されているからであると見られる。
しかしながら、IOが人間ではない場合、状態変化を意味する“给……V”構文はすべて“把”に入れ替えられるかというと、そうではないのである。“给”構文は物の一部の状態が変化すればいいが、“把”構文は物の全体が変化しなければならない。
(49)a.葛萍在他们说前几句话时,去厨房提开水壶去了,这时走回来给他们的茶杯添水。
(《钟鼓楼》)
二人が話しはじめた時、葛萍はポットを取りにお勝手へ立っていた。いまもどってきて、二人の湯呑みにお湯を足しているところだった。
b.*把他们的茶杯添水。
c.把他们的茶杯添满水。
二人の湯呑みにお湯をいっぱいに足した。
(50)a.倪萍对这位老师印象特别好,他一会儿给这位老师端水一会儿给她坐的椅子上加一个椅垫。吃饭的时候老是冲着这位老师笑。
[例文(23)を再掲]
倪萍はこの先生を酷く気にいって、お茶を出したり椅子の上にクッションを置いてあげたり、さかんにもてなした。食事の時も先生の顔を見ては笑いかける。
b.*他一会儿给这位老师端水一会儿把她坐的椅子上加一个椅垫。
例文(49)では、“给”を用いると、例文(49)aの示すように、湯呑みにお湯を少し足すだけでも構文としては成り立つ。一方、“把”を用いると、結果補語の“满(いっぱいになる)”がなければ、例文(49)bに示すように構文は成立しない。同様に、例文(50)の椅子にクッションが加わるというだけの変化では、“给”を使用することはできても、「処置式」としての“把”の成立条件である状態変化としては不十分である。