2.3.2 主語が人間ではない場合
プロトタイプの本動詞の“给”構文では、トラジェクターとしての参与者が人間であることが一般的である。これに対し、このタイプの“给”構文は、次の例文(24)―(27)に示すように、トラジェクターとしての主語が人間ではないのが特徴である。
(24)这部框架大体上是五十年前构造起来的书,却给了我一种新鲜的感觉。
(《读书》)
このフレームの構造が大体五十年前に出来た本だが、かえって一種の新鮮な感覚をくれた。
(25)这小小的成功给了他更多的信心。
(《世界100位富豪发迹史》)
この小さな成功は彼に多大な自信を与えた。
(26)我忽然想起,我应该向她说说我的故事,这会给她一点启发吧!
(《人啊,人》)
私はふと思いついた。私の話をすべきなのだ。彼女に少しは参考になるはずだ。
(27)货架一定要装满,这样可以给顾客一个商品丰富、品种齐全的直观印象。
(CWAC)
食品棚は満ちていなければならない。そうであれば顧客に商品が豊富で、品種がそろっているという直観的な印象を与えることができる。
例文(24)と例文(25)では、主語に当たるものは“书(本)”と“成功(成功)”という物であるのに対し、例文(26)と例文(27)の主語は文章の意味する出来事であり、いずれも非情物である。このため、授与される物も具体物ではなく、“感觉(感覚)”や“信心(自信)”“启发(啓発)”“印象(印象)”といった抽象物である。
これは、第2.3.1節で述べたことに似ている。即ち、DOが抽象物であるため、物の位置変化が観察されない。一方、主語である非情物が原因で、IOである人物が自ら“感觉(感覚)”や“信心(自信)”などを生み出し、自分の中に“感觉(感覚)”や“信心(自信)”などがない状態から、それをもつようになったという状態に変化したことが含意される。
従って、拡張した“给”構文では、主語が非情物の場合、DOが抽象物であるのがほとんどであるため、DOの位置変化が見られないが、IOの状態変化が含意されるということになる。
(28)主語が人間ではない場合の“给”構文:
S给NP1(IO)NP2(DO)
[非情物][人間][抽象物]
意味フレーム:Sが原因で、IOがDOを獲得する。これもIOは状態変化するが、DOは位置変化しない。