5.3.4 主語が人間ではない場合
中国語の“给……V”構文の中には、主語が人間ではなく、出来事の場合が存在する。このような構文の“给”の後のVには“带来,留下,增加,减轻”のように、人間ではないIOをとりうる「使役移動動詞」がよく現れる。構文の意味は、IOで表された人間に、何かをもたらしたり、取り去ったりして、人間が何らかの影響を受けることによって、精神的な状態変化が含意されるということである。
(51)“现在,我每月能拿到奖金,给家庭也减轻了负担。”
(《人民日报》1995年)
「今、私は毎月賞金がもらえるから、家族にも負担を減らすことができた。」
(52)一张张充满期待神色的面孔,一声声出自肺腑的殷切嘱咐,给他鼓了劲,也在他的肩头上增加了无形的,又是巨大的压力。
(《金光大道》)
期待に輝くみんなの顔、腹の底からの切実な頼みごとが、かれを力づけ、また、かれの肩にかかる無形の巨大な圧力を一層強めもした。
(53)这一切一切,都给背井离乡的大泉娘增添着悲伤和烦恼。
(《金光大道》)
故郷を離れにする大泉の母親にとって、これらすべては悲しみと悩みの種だった。
(54)“大泉这孩子,半年没见着,变得心气这么高,眼光这么远,嘴巴这么能说会道,字字句句都给人提精神。”
(《金光大道》)
「この子はまあ半年見ないうちにすっかり偉くなっちまって、目さきがきいて、弁が立つようになったよ。聞いてるとこっちまで元気になるわ。」
(55)土地给庄稼人添了多少劲头哇。
(《金光大道》)
土地が百姓を張りきらせたんだ。
(56)这一切都给我唤起许多痛苦的回忆。
(《家》)
何もかも私には苦しい思い出の種なのよ。
(57)自己空着手回去倒是小事,妹妹妹夫知道了底细,想帮帮不了,不帮又心疼,这不是给人家添心病吗?
(《金光大道》)
おれが手ぶらで帰るのはたいしたことじゃねえが、ひと肌ぬぎたくてもどうにもならない妹夫婦に心配のタネを一つふやしてしまったではないか。
例文(51)では、“我每月能拿到奖金(私は毎月賞金がもらえる)”という出来事が“家庭(家族)”にとって、“负担减轻(負担が減る)”といういい影響を与えている。この場合のIOは、移動の起点として表現されている。例文(53)でも、“这一切一切(これらすべて)”は“大泉娘(大泉の母親)”に悲しみと悩みをもたらすことにより、大泉の母親の精神的な状態変化がある。ほかの例文でも、同様に、移動のメタファーによりIOの状態変化を際立たせている。