黄檗文化的内涵与流衍

三、黄檗文化的内涵与流衍

黄檗文化,孕育于历史悠久的精神文化和独特鲜明的闽地宗教传统,她的形成、发展、兴盛、流传,是一个长达千年的融合、变化、衍生的过程。那么,什么是黄檗文化呢?

早在昭和四十七年(1972),日本学者林雪光就最早提出了“黄檗文化”这一概念。不过,该书主要是黄檗禅僧的书法、绘画作品的展示,并没有明确描述究竟什么是黄檗文化。

到了2016年春,福清市民间学术组织——福清玉融文化研究会的内部刊物《玉融文化》,收录了地方文化研究者严家梅先生的文章《敢闯走天下,念祖不忘根——试谈“黄檗文化”之精髓及其现实意义》。这篇文章对什么是“黄檗文化”,第一次做了明确的界定。文章认为,所谓“黄檗文化”,狭义来说,是指以临济宗为核心内涵的禅宗文化,广义的“黄檗文化”,则是指深受禅宗佛教文化影响,以中华传统文化为核心内容的福清地方文化。

2017年,多年致力于隐元和黄檗文化的研究、传播的学者林观潮,在他的文章《隐元大师与黄檗文化刍议》中,提出了新的理解,认为“黄檗文化”是以日本黄檗宗为中心,在江户时代形成的一种影响社会生活方方面面的综合性文化。

2020年出版的有关“黄檗文化”的综合研究《黄檗文化研究》一书中,对什么是“黄檗文化”有了总结性的表达:“黄檗文化乃是发祥于以福清为中心的中国东南沿海地区,并兴盛于日本的一种综合性的文化形态,它以佛教文化为载体,同时涵盖了思想、文学、语言、建筑、雕塑、印刷、音乐、医学、茶道、饮食、绘画、书法、篆刻等诸多领域,全方位地影响了日本江户时代以来的社会生活,并拓展到整个东南亚地区。”(廖深基,2020年)

从中我们可以看出,黄檗文化是一种有着历史渊源,不断发展扩大,并且曾经东传日本,深深影响了日本社会文化生活方方面面的精神文化。因此,黄檗文化的早期形成,是以福清黄檗山万福寺为中心的禅宗文化,是中晚唐以来禅宗文化的重要组成部分。这一阶段黄檗文化的典型代表黄檗希运,他的师承脉络是六祖慧能、南岳怀让、马祖道一、百丈怀海,经过他和弟子的发扬光大,最终开创了中国禅宗绵延不绝的宗派——临济宗。

三、黄檗文化の内包と流衍

黄檗文化は長い歴史をもつ精神文化と独特で鮮明な福建の宗教伝統から育まれ、その形成、発展、興隆、伝承は千年に及ぶ融合、変化、派生の過程を経たものである。では、黄檗文化とは何だろうか。

早くも昭和47年(1972)年、日本の学者林雪光が編纂した『黄檗文化』(京都宇治黄檗山万福寺発行)の中で、「黄檗文化」という概念を最初に打ち出した。しかし、本書は主に黄檗禅僧の書道、絵画作品の展示であり、黄檗文化とは何かを明確に述べていない。

2016年春、福清市の民間学術組織——福清玉融文化研究会の内部刊行物『玉融文化』には、地方文化研究者の厳家梅氏の文章『天下を突破し、祖を念じ根を忘れない——「黄檗文化」の精髄とその現実的意義についての試談』が収録されている。この文章は「黄檗文化」とは何かについて、初めて明確に定義した。この文章では、狭義のいわゆる「黄檗文化」とは、臨済宗を中心とする禅宗文化を指し、広義の「黄檗文化」とは、禅宗仏教文化の影響を深く受け、中華伝統文化を中心とした福清地方文化を指すと主張して いる。

2017年、隠元禅師と黄檗文化の研究、普及に長年尽力してきた学者林観潮は、『隠元大師と黄檗文化についての卑見』との文章には、「黄檗文化」というのは日本黄檗宗を中心に、江戸時代に形成された社会生活の各方面に影響を与える総合的な文化であるという新たな理解を打ち出した。

2020年に出版された「黄檗文化」に関する総合研究書『黄檗文化の研究』では、「黄檗文化」とは何かについて、総括的に表現されている。「黄檗文化というのは福清を中心とする中国南東部の沿岸地域で発祥されて日本で隆盛された、仏教文化を媒体とし、同時に思想、文学、言語、建築、雕塑、印刷、音楽、医学、茶道、飲食、絵画、書道、篆刻など多くの分野にわたっており、日本の江戸時代以来の社会生活に全面的に影響を与え、東南アジア地域全体に拡大した総合的な文化形態である」。(廖深基、2020)

黄檗文化は深い歴史淵源を持ち、絶えず成長·拡大し、日本に東伝され、日本の社会·文化生活のあらゆる面に深い影響を与えた精神文化であることがここからわかるだろう。そのため、黄檗文化の初期形成は福清黄檗山万福寺を中心とした禅宗文化であり、中唐·晩唐以来の禅宗文化の重要な構成部分であった。この時期の黄檗文化の代表である黄檗希運は、彼の師承脈絡が六祖慧能、南岳懐譲、馬祖道一、百丈懐海であり、彼と弟子の発揚を通じて、やがて中国禅宗の延々と続く宗派——臨済宗を創始した。

可以说,黄檗文化发展的第一阶段,就是禅宗中影响范围最广的临济宗的核心部分。从唐代到宋代,乃至明代,禅宗临济派,深刻影响了宋代文人文化、理学文化,特别是直接启发了南宋陆九渊到明代王阳明的心学。从这个意义上说,黄檗文化与整个宋明中华文化的发展,都是息息相关的,她推动和构成了唐宋以后中华传统文化的发展。“黄檗文化”,从一开始就不是一个单纯的地方文化,其核心内涵,更不是以饮食、风俗、习惯为中心的地方性民俗文化传统,而是中华文化核心精神传统的一部分,从历史上看,“黄檗文化”是唐宋以来士大夫文人文化、闽地理学文化、禅宗佛教文化相互交织形成的产物。

“黄檗文化”在福建海洋文化系统中,更是深受海上丝绸之路共生文化的影响,她的中华文化精神内核,逐渐与海上丝路沿线各个国家和地区多元文明相结合,形成了一种独具特色的海洋文化和以福建旅居海外华人华侨为中心的华侨文化。从全球史的角度观察十七、十八世纪的人类文明,随着大航海时代的来临,不论是西欧的环球航行、发现新大陆,还是中国明朝的郑和下西洋,中外文化交流日益频繁,曾经令人类望而生畏的辽阔海洋,已经被征服,几乎每一片海洋上,都穿梭着不同国家、不同文化的航船,飘扬着多姿多彩的远洋风帆。大洋之上,承载的是日益频繁的东西方贸易,不同文化之间的交流与对话,背负中西文化、中日文化、中国与东南亚文化交流使命的那些文化巨匠们和使者们,都在这一时期,将自己光辉的名字,映照在了历史长河之上。这其中,就有黄檗文化交流使者们的名字!

福清侨乡博物馆馆内展示,温志拔摄

僑郷博物館館内展示 福清市 (温志抜撮影)

禅宗の中で最も広く影響を及ぼした臨済宗の中核的な部分は、黄檗文化の発展の第一段階であったと言える。唐代から宋代、ひいては明代まで、禅宗臨済派は、宋代の文人文化、理学文化に深刻な影響を与え、特に南宋陸九淵から明代の王陽明までの心学を直接啓発した。その意味で、黄檗文化は宋·明の中国文化全体の発展と密接に関係しており、唐·宋以降の中華伝統文化の発展を促進·構成してきたと言える。「黄檗文化」は、初めから単なる地方の文化ではなく、その核心内容は、飲食、風俗、習慣を中心とした地方性民俗文化の伝統でもなく、中華文化の核心的な精神伝統の一部であり、歴史上から見れば、「黄檗文化」は唐宋以来の士大夫文人文化、閩地理学文化、禅宗仏教文化がお互いに織り成した産物である。

「黄檗文化」は福建海洋文化系統の中で、さらに海上シルクロードの共生文化の影響を受けており、その中国文化精神の内核は次第に海上シルクロード沿線国や地域の多元的な文明と結合して、海洋文化の独自の特性と、単独的特徴を持った海洋文化と福建省から海外にわたった華人華僑を中心とする華僑文化で形成された。全世界史の角度から見ると、17世紀から18世紀にかけての人類の文明は、大航海時代の到来につれて、西ヨーロッパの世界をめぐる航海にしても、新大陸の発見にしても、中国の明朝の鄭和の西域航海にしても、中外の文化交流は日増しに頻繁になっていた。かつて人類を恐れさせた広大な海洋は、すでに征服され、ほとんどすべての海洋に、異なる国、異なる文化の船が行き交い、多彩な遠洋の帆がたなびいている。大洋の上では、日増しに頻繁になる東西貿易、異文化間の交流と対話が行われている。中西文化、中日文化、中国と東南アジア文化交流の使命を背負った文化巨匠たちと使者たちは、この時期に、自らの輝かしい名前を、長い歴史の星空の中に映した。その中に、黄檗文化交流の使者たちの名前が特に光を放っていた。

“黄檗文化”正是在这一开放、交流的历史过程中形成的文化形态,最初她是中华文化的典型代表,综合了禅宗文化、文人文化、理学文化,而与此同时,黄檗文化的相关历史人物,又与日本及东南亚国家和地区的人们有着密切的联系,当他们的文化成果,随着海上丝路被带入异国他乡之后,主动融入当地社会,将中华文化向外传播的同时,又与当地固有文化结合起来,形成新的文化成果,并成为当地民众和旅居华人华侨共同的生活方式。

从宋代林希逸的三教融合思想文化东传,再到隐元师徒东渡,都带去中华物质文明和精神文化,影响推动日本社会文化发展,并形成江户时代以后独特的文化生活方式,这些都说明,元明以后“黄檗文化”的发展,衍生出新的内涵,成为中外文化交流、融合、共生的新文化形态,她是千年海上丝绸之路及海洋文化的产物,是华侨文化的重要组成部分。

正是在这个意义上,如果说唐代中外文化交流的标志性事件,除玄奘西游天竺以外,便是鉴真和尚六次东渡和日本派出遣唐使进入长安,那么明清时期中外文化交流的标志性事件,除了基督教传教士入华和西学东渐之外,便是黄檗禅僧东渡日本,传播宋明以来的中华优秀文化成果,推动近世日本社会的进步。到了现当代时期,特别是1972年中日邦交正常化以来,“黄檗文化”已经日益成为中国两国文化交流新的友好桥梁。进入二十一世纪以来,“黄檗文化”更是继续发挥其桥梁和纽带作用,成为推进中日两国之间、中国与东南亚国家地区之间,新的海上丝绸之路建设、人类命运共同体建设的新载体。

中日两国邦交正常化五十年来,以日本临济黄檗宗协会为代表的佛学界,先后数十次派出友好访问团,前往中国福清黄檗山万福寺拜谒祖庭,并由此在福州、泉州、漳州等历史文化名城、海丝重要港口城市,寻访古迹旧地,开展多层次、全方位的文化交流活动。

「黄檗文化」はまさにこのような開放、交流の歴史の過程で形成された文化形態だったが、はじめは中国文化の代表的な存在で、禅宗文化、文人文化、理学文化を総合したものであった。一方で、黄檗文化関連の歴史人物は、また日本、東南アジアなどの国と地域の人々と密接な関係にあった。彼らの文化成果は、海上シルクロードが異国に持ち込まれた後、自発的に現地社会に溶け込み、中華文化を外部に伝播すると同時に、現地固有の文化と結合して、新しい文化成果を形成し、現地の民衆と在留華人華僑の共通の生活様式となった。

宋代の林希逸の三教融合思想文化の東伝から、隠元禅師師弟の東渡まで、いずれも中国の物質文明と精神文化を伝え、日本の社会文化の発展に影響を与え、江戸時代以降の独特な文化生活方式を形成した。これらのことから、元明以降の「黄檗文化」の発展が新たな内包を生みだし、中外文化の交流、融合、共生の新たな文化形態となり、千年の海上シルクロードと海洋文化の産物であり、華僑文化の重要な構成部分だったということが明らかになる。

福清竹溪寺,林希逸竹溪书院旧址,温志拔摄

林希逸竹渓書院跡地 福清市竹渓寺 (温志抜撮影)

以“黄檗文化”为主要载体的中日文化交流活动,不仅没有减弱,反而以更高层次、更大规模、更深入立体地展开,成为民间交流访问的场所平台、思想学术领域研究的共同对象和两国之间的友好象征。

福清黄檗文化促进会第一次会员大会,福清黄檗文化促进会供稿

福清黄檗文化促進会創立大会 (福清黄檗文化促進会提供)

2015年4月,福清黄檗文化促进会正式成立,同年5月,该促进会的林文清会长,就在中国佛教协会相关人员带领下,访问日本黄檗古迹遗存,广泛联系在日华人华侨代表,影印各种流传日本的汉籍文献。同年10月,日本黄檗促进会也在东京注册成立,并以此为平台,与中国福清逐渐建立更高层次、更宽领域的文化交流。日本黄檗促进会成立之后,得到了日本社会各界人士的高度重视,其中,日本七大日中友好团体之一的日中协会理事长白西绅一郎先生,亲自担任促进会名誉会长,日本黄檗宗宗务总长、著名旅日爱国华侨、在日各地福建同乡会负责人、旅日知名学者等分别担任促进会顾问,促进会有千余名会员,在促进中日民间友好往来方面,扮演了重要角色。此外,2016年12月6日至16日,时值中日邦交正常化45周年之际,旅日艺术家冯学敏,在日本东京中国文化中心举办个人摄影展,主题为《福建·乌龙茶的故乡暨福清黄檗印象》,用艺术展的活动,展示黄檗文化的魅力,为中日两国民间文化交流奏响华彩乐章。

この意味で、唐代の中外文化交流の象徴的な事件といえば、玄奘が天竺に西遊したことのほか、鑑真和尚が六回も日本に渡り、日本が遣唐使を長安に派遣したこともある。明清時代の中外文化交流の象徴的な事件は、キリスト教宣教師の中国への進出と西洋学問の東洋伝来のほかに、黄檗禅僧が日本に渡航し、宋明以来の中国の優れた文化成果を広め、近世の日本社会の進歩を推進したことである。現代の時期、特に1972年の中日国交正常化以来、「黄檗文化」は日増しに中国両国の文化交流の新たな友好の架け橋となっている。21世紀に入っても、「黄檗文化」は引き続きその架け橋と紐帯の役割を発揮し、中日両国間、中国と東南アジア諸国·地域間、新たな海上シルクロードの建設、人類運命共同体の建設を推進する新たな媒体となっている。

中日国交正常化から50年、日本臨済黄檗宗協会を代表とする仏教学界は、前後にして友好訪問団を数十回も派遣し、中国福清黄檗山萬福寺との間を往き来して祖庭を拝み、さらには福州、泉州、漳州等の歴史文化都市、海上シルクロードの重要港湾都市において旧跡を訪ね、重層的、全方位的な文化交流活動を展開している。

新世紀に入ってから、「黄檗文化」を主な媒体とする中日文化交流活動は、衰えることなく、より高いレベルで、より大規模に、より深く、立体的に展開されており、民間交流訪問の場となり、思想学術分野研究の共通対象と両国間の友好の象徴ともなっている。

2015年4月、福清黄檗文化促進会が設立され、5月には促進会会長林文清が、中国仏教会の代表法師を率い、日本黄檗の古跡を訪問し、在日華人·華僑の代表と広く連絡を取り、日本に伝わる様々な漢籍文献を影印した。同年10月に、日本黄檗促進会も東京で設立され、これを交流の場に、中国福清とより高いレベル、より広い分野の文化交流を徐々に進めている。設立後、日本黄檗促進会は、日本国内の各界から高く評価され、その中で、日本の七大日中友好団体の一つである中日協会理事長の白西紳一郎氏が自ら名誉会長を務め、日本黄檗宗の宗務総長、著名な在日愛国華僑、在日各地の福建同郷会会長、在日の有名な学者などがそれぞれ促進会の顧問を務め、すでに千人余りの会員がおり、中日民間友好往来の促進において、重要な役割を演じている。また、2016年12月6日から16日にかけて、中日国交正常化45周年にあたり、日本在住の芸術家馮学敏が、日本の東京中国文化センターで『福建·烏龍茶の故郷と福清の黄檗印象』をテーマとした個人写真展を開催し、芸術展の活動を通じて黄檗文化の魅力を紹介し、中日両国の民間文化交流のために華麗な楽章を奏でたのである。

学术研究方面,越来越多的专家学者,开始关注黄檗文化与中日关系研究,除长期研究的大陆学者林观潮、台湾学者廖肇亨、徐兴庆等人,大力整理隐元隆琦、独立性易等人的文集,出版研究专著,发表大量专题研究论文外,近十年以来,国内各著名高校,包括华东师范大学、东北师范大学、厦门大学、福建师范大学等,还发表了十余篇有关黄檗文化研究的硕士、博士学位论文,其领域广泛涉及隐元师徒的事迹、文学艺术成就,茶文化、医学成就等。

特别值得一提的是,在校长廖深基教授的大力倡导和积极推动下,作为坐落于福清的唯一一所本科高校,福建技术师范学院日益成为新时代“黄檗文化”研究的前沿阵地和学术重镇。早在2015年8月,福清黄檗文化促进会成立之初,学校就派有关领导前往洽谈,共商合作推进事宜。在学校上下齐心努力下,2017年7月,经福建省教育厅批准,成立了该校首个省级高校人文社会科学研究基地——“黄檗文化发展研究中心”,也是国内首个专门研究黄檗文化的省级学术平台。以此为契机,福建技术师范学院联系国内外有关专家学者,共同将“黄檗文化”研究,推向更高层次。

黄檗文化与海上丝绸之路研究院揭牌成立,谭俊摄

黄檗文化と海上シルクロード研究院が設立 (譚俊撮影)

学術研究の面では、ますます多くの専門家と学者が黄檗文化と中日関係の研究に関心を持つようになり、長期にわたって研究してきた大陸の学者林観潮、台湾の学者廖肇亨、徐興慶らが、力を尽くして隠元隆琦、独立性易などの文集を整理し、研究専門書を出版し、多くの研究論文を発表したほか、ここ10年、華東師範大学、東北師範大学、厦門大学、福建師範大学などの国内の各有名な大学では、黄檗文化研究に関する修士、博士号論文が十数編発表され、隠元師弟の事績、文学芸術の業績、茶文化、医学の業績など幅広い分野に及んでいる。

特筆すべきは、ここ数年、学長廖深基教授の強力な提唱と積極的な推進の下で、福清に創立された唯一の本科大学として、福建技術師範学院は日増しに新時代の「黄檗文化」研究において最前線の地となっていることである。2015年8月、福清黄檗文化促進会が設立された当初から、大学側は関係指導者を送り検討を重ね、協力の推進について話し合った。こうして一丸となって努力した結果、2017年7月、福建省教育庁の認可を得て、本学初の福建省内大学人文社会科学研究基地である「黄檗文化発展研究センター」の設立を迎えることができた。これは国内初の黄檗文化を専門に研究する省レベルの学術の場である。これを機に、福建技術師範学院は国内外の関係専門家、学者と連絡を取り合い、ともに「黄檗文化」についての研究をより高いレベルに推し進めようという決意を固めたのである。

その2 ヶ月後、学長の廖深基教授が自ら院長を兼任し、主要の文科学院院長が副院長を兼任する「黄檗文化と海上シルクロード研究院」が正式に設立され、学内外、国内外の関連研究力を統合し、国際学術会議の開催、研究専門書の出版、古文書·文献の整理、電子データバンクの建設、社会への奉仕などの方法を通じ、黄檗文化研究を学術化、専門化の新たな段階に進めることで、黄檗文化、海上シルクロード、中日友好などの各方面の建設に向け、新たな貢献をしようとする。研究センターと研究院の専門家、学者の協力の下、学校は中国社会科学院世界宗教研究所、中国宗教学会、台湾中華宗教哲学研究社などの科学研究機関と共同で数多くのシンポジウム、フォーラムを主催した。

两个月后,由校长廖深基教授亲自兼任院长、主要文科学院院长兼任副院长的“黄檗文化与海上丝绸之路研究院”,正式揭牌成立,整合校内外、国内外相关研究力量,通过召开国际学术会议、出版研究专著、整理古籍文献、建设电子数据库、服务社会等方式,深入推进黄檗文化研究迈向学术化、专业化的新台阶,为黄檗文化、海上丝绸之路、中日友好等各方面建设,做出新的贡献。在研究中心和研究院相关专家、学者的通力配合下,学校与中国社会科学院世界宗教研究所、中国宗教学会、台湾中华宗教哲学研究社等科研学术机构联合主办了多场学术研讨会、论坛。

2020黄檗文化与海上丝绸之路国际学术研讨会,谭俊摄

2020年黄檗文化国際シンポジウム (譚俊撮影)

各国、地域各界の人士の努力の下、千年の「黄檗文化」は発展し、これにより本格的に学術研究の殿堂に入り、新時代における新たな内包が与えら れた。

国と政治の面でも、「黄檗文化」を絆として、中日両国、福建省と長崎の交流·相互訪問活動が非常に頻繁且つ盛んになっている。早くも1980年、中国の福州市と日本の長崎市は、黄檗文化の興隆·発展過程における最も重要な2つの地区として、正式に友好都市関係を締結し、長崎は福州市の改革開放後の最初の国際友好都市となった。1982年、中日国交正常化十周年にあたり、福建省と長崎県は、さらに正式に友好省県関係樹立の協議を正式に結んだ。2013年、当時の長崎県知事であった中村法道氏が「日本新華僑報」のインタビューで語ったように、「長崎市は日本が鎖国していた期間、唯一の対外開放の窓口であり、多くの中国人がここに滞在していた。その大部分は福建省籍の各界の人々で、長崎県と福建省は友好省県として、中日両国の友好往来の架け橋となるのである」。(仲偉東、2013)

その30年後の2012年10月、中日国交正常化40周年を記念するため、福建省博物院と長崎歴史文化博物館はそれぞれ相手の博物館で一連のテーマ展示を開催していた。その中の重要な展示品は、いずれも黄檗文化と長崎華僑文化に関連する文化財の珍品であった。

2015年5月23日、中日友好交流大会が北京人民大会堂で盛大に行われた。会議に出席した習近平国家主席はさらに、中国の名僧、隠元大師が、「仏教の教義だけでなく、進んだ文化と科学技術も伝え、日本の江戸時代における経済社会の発展に重要な影響を与えた」と明確に指摘し、中日文化交流史における黄檗文化の重要な意義を十分に認めた。2019年6月、日本の長崎で隠元東渡三百六十五周年の祈祷法会と「隠元禅師と黄檗文化」シンポジウムが開催された。習近平主席はわざわざ祝賀の手紙を送り、黄檗文化が中日両国の文化交流と相互参考の中で行った歴史的な貢献を称賛した。

在各国家地区各界人士的努力下,千年“黄檗文化”发展,真正步入了学术研究的殿堂,这也赋予其新的时代内涵。

在国家和政治层面,以“黄檗文化”为纽带,中日两国、福建与长崎的交流互访活动,也十分频繁兴盛。早在1980年,中国福州市和日本长崎市,作为黄檗文化兴起、发展过程中最重要的两个地区,就正式缔结成为友好城市关系,长崎成为福州市改革开放后的第一个国际友好城市。1982年,时值中日邦交正常化十周年之际,中国福建省与日本长崎县,再次正式签署了成为友好省县关系的协议。正如2013年时任日本长崎县知事的中村法道在接受《日本新华侨报》采访时所说,长崎是日本闭关锁国期间唯一的对外开放窗口,大量中国人到此旅居,其中大部分是福建省籍的各界人士,长崎县和福建省作为友好省县,将成为中日两国友好往来的桥梁。(仲伟东,2013)

30年后的2012年10月,为纪念两国邦交正常化四十周年,中国福建省博物院和日本长崎历史文化博物馆,分别在对方博物馆举办系列主题展览,其中很重要的一部分展品,就是黄檗文化、长崎华侨文化相关文物珍品。

2015年5月23日,中日友好交流大会在北京人民大会堂隆重举行,出席会议的中国国家主席习近平,更是明确指出,中国名僧隐元大师“不仅传播了佛学经义,还带去了先进文化和科学技术,对日本江户时期经济社会发展产生了重要影响”,对黄檗文化在中日文化交流史上的重要意义,给予了充分肯定。2019年6月,日本长崎举办隐元东渡三百六十五周年祈福法会暨“隐元禅师与黄檗文化”论坛,赞扬黄檗文化在中日两国文化交流互鉴中做出的历史性贡献。

2017年10月,正当两国邦交正常化四十五周年之际,又逢中国福建省与日本长崎县建立友好省县关系三十五周年,为此,福建省在福州市专门举办了“中日黄檗文化交流大会”,长崎县知事中村法道,再次率领日本友好访问团和黄檗文化交流团一行,访问福建福州,并在大会上做了热情洋溢的致辞。正如福建省政协副主席在大会上发言所指出的,“黄檗文化”已经成为中日两国人民友好交往共同拥有的符号。

2019年日本隐元东渡三百六十五周年祈福法会,福清黄檗文化促进会供稿

2019年日本隠元禅師東渡365週年祈福法会 (福清黄檗文化促進会提供)

2017年10月は中日国交正常化45周年であり、福建省と長崎県の友好省·県締結35周年であり、このため、福建省は「中日黄檗文化交流大会」を開催し、長崎県の中村法道知事は再び友好訪問団と黄檗文化交流団を率いて福建省を訪問し、大会で熱意あふれる挨拶をした。福建省政治協商会議の副主席が大会で発言して指摘したように、黄檗文化はすでに中日両国人民の友好交流の共通のシンボルとなっている。

1972年から2022年にかけて、中日国交友好の船は丸五十年の輝かしく、そして平凡ではない歩みを経てきた。歴史を振り返り、未来を展望すると、黄檗文化は、千年を超えて結実した中日文化交流の種も、再び海上シルクロードの新たな航路に沿って、両国のより広い土地に根を下ろし、芽を出し、枝を広げ、葉を散らすことになるのだろう。黄檗文化、この海上シルクロードの真珠は、両国人民の共同の努力の下で、いっそう輝かしい光を放つであろう。

从1972年到2022年,中日邦交友好的航船,驶过了整整五十年光辉而不平凡的航程。回顾历史,展望未来,黄檗文化,跨越千年结出的中日文化交流的种子,也将再次沿着海丝新航路,在两国更广阔的土地上,生根发芽、开枝散叶。黄檗文化,这颗海上丝绸之路上的明珠,也将在两国人民的共同努力下,放射出更加辉煌灿烂的光芒!