华侨文化与黄檗精神
海外华侨文化,体现了传统与现代的碰撞交流,本身就是一种多元共生、交流融合的文化形态。这一文化形态,包括以儒家思想文化为中心的中国传统文化,即以伦理道德修养为基础的人文精神传统;包括理性主义为特征的现代工业文明,强调理性精神、科学态度、规则意识、平等尊重、契约共赢、个体创造等新文化精神;也包括源于中国传统民间信仰和旅居国民间信仰文化,影响海外华人华侨信仰、风俗、习惯的大众文化。
从源流上看,华侨文化根源于中华传统文化,又是多元文化交流的新形态。在长期的发展过程中,华侨文化始终保持着与其母体——中华文化的血肉联系,始终体现着重视伦理道德、亲情价值的精神传统。从地域上看,华侨文化是中华文化整体的一个部分,既具有共性,又具有地方特色。福清的华侨文化,既具有中华文化的精神内核,又具有地方的、海外和现代文化的多样元素,是具体的历史和社会发展的产物。
第六章 黄檗文化と海上シルクロード
黄檗文化が栄え、日本に伝えられたのは、中国文化の開放的かつ包容的で、活力にあふれた特性の表れであり、福清ないしは福建省の文化が広く深く、多様に交流が行われていることの表れでもある。また同時に、黄檗文化の形成と発展は、唐宋時代以来海上シルクロード沿線各国や地域間の経済往来、文化交流の結果でもある。海上シルクロードで活躍する福清出身の華僑たちは、黄檗文化を代表とする文化交流の主体であり、黄檗文化は、言い換えれば華僑文化の重要な構成部分であり、海上シルクロードを通しての貿易往来とともに共生し発展する文化である。
一、華僑文化と黄檗精神
海外の華僑文化は、伝統と現代文化が衝突しながらの交流を表現しており、それ自体が多元的共生、そして交流融合した文化形態である。この文化形態には、以下の3つの側面の内容が含まれている。
一つは、儒教思想文化を中心とした中国の伝統文化、すなわち倫理道徳教養をもとにした人文的伝統である。もう一つは、合理主義を特徴とする現代工業文明も含まれており、理性的精神、科学的態度、規則意識、平等と尊重、契約互恵、個人創造などの新しい文化精神が強調される。三つ目は、伝統的な中国民間信仰と在留国民間信仰文化に由来し、海外の華人華僑の信仰、風俗、習慣に影響を与える大衆文化だと言えよう。
渔溪镇陈白村林氏侨厝,林秋明摄
林氏僑厝 福清市漁渓鎮陳白村 (林秋明撮影)
福清的华侨文化,其渊源可追溯至南宋时期,据港头镇西庐王氏《三槐家谱》记载,三槐王氏于南宋绍熙(1190—1194)至嘉定(1208—1224)年间,即侨居安南(今越南),成为有文字记载的海外华侨第一人。近百年之后的宋末元初,海口镇里美村的俞定则,也远赴交趾(今越南北部)经商并侨居于那里(曹于恩,1994)。此后,元明至清前期,福清人远下南洋、东渡日本经商逐渐形成规模,侨居海外的华侨也越来越多。清道光年间,随着福州成为首批五口通商口岸之一,福清出现了首次出国经商浪潮,后又于晚清民国时期、抗战时期以及改革开放初期,多次出现大规模出国经商务工潮流。至二十世纪末,福清市海外华人华侨,已超过200万人,广泛分布于亚洲、欧美、澳洲和非洲的100多个国家和地区。数量众多的华人华侨和频繁的商贸往来与交流,不仅为以福清为中心的闽东南地区经济社会发展提供了便利,构成了连接古代中国海上丝绸之路与现代福建地区海外经济贸易往来的重要力量,也为富有特色的福清华侨文化的形成,奠定了基础。
源流から見ると、華僑文化は中国の伝統文化に根源があり、多文化交流の新しい形態でもある。長期的な発展の過程で、華僑文化は終始その母体である中国文化と緊密なつながりを保ち、常に倫理道徳や家族愛の価値を重視する精神伝統を表している。地域から見ると、華僑文化は中国文化全体の一部であり、共通性もあれば、地方の特色も持っている。福清の華僑文化は、中国文化の精神的核心を持っているだけでなく、地方文化、海外文化や現代文化等の多様な要素も持っており、具体的な歴史と社会発展の過程でできた結果である。
福清の華僑文化のルーツは南宋時代にまで遡ることができ、港頭鎮西廬王氏の『三槐家譜』によると、三槐王氏は南宋の光宗紹熙(1190—1194)から寧宗嘉定(1208—1224)までの間に安南(現在のベトナム)に居留し、文字で記録された海外華僑の第一人者となった。百年後の宋末元初頃に、海口鎮里美村の兪定則も、交趾(現在のベトナム北部)に渡り、商売をしてやがてそこに居留した(曹于恩、1994)。その後、元明王朝から清王朝前期にかけて、福清人が南洋諸島や日本に渡って商売を行い次第に規模をなし、海外に居留する華僑もますます多くなった。清王朝の道光年間、福州が最初に設立された5つの通商港の一つになるにつれて、福清に初めての外国へ商売に行く波が現れた。その後、清王朝の終わり頃、民国時代、抗戦の時期や改革開放の初期以来、また何度も大規模な海外ビジネスの時代的な潮流が現れた。20世紀末以来、福清市の海外華人華僑はすでに200万人を超え、アジア、欧米、オーストラリア、アフリカなど100余りの国と地域に広く分布している。大勢の華人華僑と頻繁な商業貿易の往来と交流は、福清を中心とする福建省東南地域の経済社会発展に便宜を与えただけでなく、古代中国海上シルクロードと現代福建の海外経済貿易往来を結ぶ重要な力を構成し、特色のある福清華僑文化の形成にも、基礎を打ち立てた。
福清东瀚古渡口,林秋明摄
古い渡船場 福清市東瀚鎮 (林秋明撮影)
福清是全国著名侨乡,长期以来,民间就流传着“有华人的地方就有福清人”的说法,正是福清华人华侨开拓创新、开放包容精神的最好诠释。
福清悠久深厚的文化传统,是不断开拓创新、与时俱进的中华文化的一部分,福清文化传统中重要的一点是开放的胸怀,始终保持对于新事物学习交流的兴趣,秉持“敢为天下先”的热情,对各种文化采取兼容并包、学习接纳的态度。早在晚明时期,福清籍宰相叶向高,与意大利耶稣会传教士利玛窦及艾儒略之间的交游往来、相互学习,便是这一文化精神的典型代表。当时福清士人对西方传教士,基本能以平等对话的姿态,加以认识和理解,这也表现出福清人的博大胸襟和广阔视野。
远居海外的华人华侨,正是将福清这种文化精神、将中华优秀传统文化带到旅居国和地区,将其与当地本土文化相融合,服务于地方社会文化发展,从而形成了广泛而深远的影响。
二十世纪以来,不论是在东南亚,还是在日本,福清华人华侨,都在旅居国家和地区,定期举办传统民俗节庆活动,包括春节、元宵节、端午节、中秋节等,浓郁的节日民俗氛围,深刻影响了当地文化和民俗生活。印尼著名学者杜尔认为:“元宵节、端午节等节日,不仅是华人,而且也是当地人民的喜庆节日。这种世代相传的风俗习惯,被印尼人民接受下来。”(中共福清市委党史研究室,2011)除此以外,融侨[1]还在旅居地创办报纸杂志,出版书籍,传播中华文化,刊载华人新闻和华文文学,报道中国和旅居国家地区的友好往来、文化交流信息等。
此外,华人华侨还定期排演富有传统特色的各类戏剧剧目,包括京剧《伍子胥》、闽剧《秦香莲》、歌剧《白蛇传》、话剧《屈原》《木兰从军》等,既传播了传统戏剧文化,又丰富了当地民众文化娱乐生活。
福清市は全国的に有名な華僑の郷で、長い間、民間に「華人のいるところに福清人がいる」という言い方が伝わっており、まさに福清華人華僑の開拓革新、開放包容精神の最も相応しい解釈である。
福清の悠久なる文化伝統は、絶えず開拓し、革新し、時代とともに進んできた中国文化の一部である。福清の文化伝統ではもっとも重要なのは開放的な心である。それは、常に新しいことを学習し交流することに関心を持ち、「天下の先に立つ」という情熱を持って、様々な文化に対して包容的で、積極的に受け入れる態度を示すことである。この文化精神の代表としては、晩明期に福清出身の宰相葉向高がイタリアのイエズス会宣教師であったリッチやアイユリウスと交遊し、学び合ったことである。当時の福清の知識人たちは西洋の宣教師に対して、基本的には対等な姿勢で接し、理解することができたのは、福清人の広い度量と視野の現れでもあろう。
海外に住む華人華僑は、まさに福清のこの文化精神や中国の優れた伝統文化を自発的に居留国と地域に持ち込み、そのうえ現地の本土文化と融合させ、それぞれの地域における社会文化の発展に貢献し、広範的かつ深遠なる影響をもたらしたのである。
20世紀以来、東南アジアであれ、日本であれ、福清華人華僑は、居留国や地域で、春節、元宵節、端午節、中秋節などの伝統的な祝日を定期的に開催してきた。濃厚なる民俗祝日の雰囲気は、現地の文化と民俗生活に深い影響を与えてきた。インドネシアの著名な学者であるドゥール氏は、「元宵節や端午節などの祝日は、華人だけでなく、現地の人々のめでたい祝日でもある。このような時代に伝わる風俗習慣が、インドネシアの人々に受け入れられている」との見方を示した。(中国共産党福清市委員会党史研究室、2011)このほかにも、福清出身の華僑たちは居留先で新聞·雑誌や書籍を刊行し、中国文化を広め、華人新聞と中国文学を掲載し、中国と居留国や地域との友好往来、文化交流情報などを報道している。
除了民间民俗文化的传播,旅居海外的福清华人华侨,还积极传播以儒学为中心的中华传统核心精神价值。在融侨聚集地日本长崎,明治二十六年(1893)即修建了孔庙,二战期间因原子弹炸毁后,二十世纪六十年代,福清华侨陈扬春号召九州岛全体华人华侨出资两亿日元,重新兴建完成。长崎孔庙不仅成为当地旅游观光的重要场所,也是日本传播儒家文化的重要场所。不少旅居日本的福清华人华侨,如祖籍福清沙埔镇赤礁村的中华孔子学会副会长林其根,热爱中华文化艺术,崇尚儒学,发表孔子研究论著,大力推动中华优秀文化在日本的传播与研究。
福清华人华侨还积极推动旅居地区的社会事业发展,积极捐资建设各级各类中小学校,发展当地的教育事业,为推动当地文教发展做出了积极贡献。他们还积极创办“养生院”等各类医疗机构,为社会医疗卫生事业,特别是为贫困弱势民众、妇女儿童的健康事业发展发挥了重要作用。
出生于印尼的福清籍华人柯全寿,从二十世纪二十年代开始,即在印尼首都雅加达开办诊所,后不断扩建发展成大型医院,医院热心服务病患,救治了大批华人华侨和当地印尼民众,特别是挽救了大量孕妇婴幼儿的生命。
旅居日本的福清华人林同春,从二十世纪五十年代起至九十年代末,长达近半个世纪里,多次为所在的神户市社会福利协议会捐款,总数达5亿日元,并捐资创办各类中文学校,其三十年代捐资创办的神户华侨中文学校,后来发展成为日本最大的华侨中文学校。为此,日本政府和民间机构从七十年代至九十年代二十余年间,多次表彰林同春对日本公益事业的贡献。(福清市市志编纂委员会,2009)
上述融侨的突出事迹,是千千万万旅居海外的福清华人华侨之生活和贡献的代表。众多华人华侨始终秉承着中华民族深厚的文化精神和高尚的道德操守,推己及人、关心贫弱,表现出仁爱天下、拼搏有为的博大胸怀,受到旅居国家和地区社会各界的普遍认同和广泛赞誉。
宋元以来,旅居海外的一代又一代闽籍华人华侨,充分发扬厚德载物、自强不息、博施济众的中华文化精神,努力拼搏、无私奉献,形成了仁爱、兼容、开放、创新的福清华侨文化,为中国和海上丝绸之路沿线各国家地区的经济、社会、文教、医疗等的交流发展做出了重要贡献。源远流长的华侨文化,正是黄檗文化发展兴盛的历史背景和文化语境,黄檗文化在中日两国之间多层次、全方位的交流中扮演的重要角色,也正是福清华人华侨文化交流的一个典型代表和完整缩影。与此同时,晚清民国以来远赴东南亚、日本等地经商的福清华人华侨,也继承了以隐元为代表的黄檗文化和海丝精神,进一步发扬、推动开放包容的华侨文化精神,在商贸往来的同时,积极推动传统文化、民俗生活交流和社会救济、文教、医疗等事业发展。
このほか、華人華僑は定期的に、京劇『伍子胥』、福建劇『秦香蓮』、歌劇『白蛇伝』、新劇『屈原』、『木蘭従軍』など、伝統的な特色に富んだ演目を上演させ、古くからの演劇文化を伝えるとともに、現地の人々の文化的娯楽生活を豊かにしている。
民間民俗文化を伝えるだけでなく、海外に居留する福清の華人華僑は、儒学を中心とした中国の伝統的な核心精神的価値を積極的に広めている。彼らが大勢集まる長崎では、明治二十六年(1893)に孔廟が建設され、第二次世界大戦中に原爆で破壊された後、1960年代に福清華僑の陳揚春は再び九州に住む全ての華僑に出資するよう呼びかけた結果、2億円を集め再び建て直した。長崎の孔子廟は、地域の重要な観光名所になっただけでなく、日本の儒教文化を広める重要な場所でもあった。福清市沙埔鎮赤礁村の原籍を持つ中華孔子学会の林其根副会長のように、日本に滞在する多くの福清華人華僑は、伝統文化芸術を熱愛し、儒学を尊び、孔子研究の論著を発表し、優れた中国文化の日本での宣伝と研究を大いに推進している。
また一方で、福清の華僑たちは滞在地域の社会事業の発展も積極的に推し進め、各種各レベルの小中学校の建設に積極的に寄付し、現地の教育事業を発展させ、自ら進んで現地の文教発展のために貢献した。また、「養生院」をはじめとする各種医療機関を意欲的に創設し、社会医療衛生事業、特に貧困者や弱者、女性や児童の健康事業の発展に重要な役割を果たした。
インドネシア生まれの福清籍の柯全寿は1920年代から、インドネシアの首都ジャカルタで診療所を始め、その後、大型病院まで規模を拡大した。彼らは患者に熱心にサービスを提供して、多くの華人華僑と現地のインドネシア人を緊急治療し、特に多くの妊婦と乳幼児の命を救った。
福建福清华侨公园,林秋明摄
華僑公園 福清市 (林秋明撮影)
源远流长的福清华侨文化与同样悠久的黄檗文化,互为表里,从不同侧面,构成和展现了福清文化精神的内核:开放,敢闯敢拼,始终面向全世界;创新,敢为天下先,创造新机遇;坚韧,勤勉吃苦,快速适应新环境;包容,对不同的文化、风俗兼容吸收,关心贫弱,奉献社会;热爱,爱国爱乡,造福桑梓,积极投身旅居国社会文化建设。黄檗文化,并不仅仅是一种地方文化,更是富有地方特色、具体而微的中华优秀文化的一个缩影,同时,它也代表着融侨为中心的开放、创新、奋进、奉献的华侨文化精神。
福清出身の林同春は、1950年代から1990年代末までの半世紀の間に、滞在する神戸市の社会福祉協議会に何度も寄付を行い、総額は5億円に達し、またさまざまな中国語学校の設立にも寄付した。1930年代に彼によって設立された神戸華僑中国語学校は、その後、日本最大の華僑中国語学校となった。そのため、日本政府や民間機関は70年代から90年代までの20数年の間に、林同春が日本の公益事業に貢献したことを何度も表彰した。(福清市市誌編纂委員会、2009)
以上のような際立った事績は、海外に滞在している数多くの福清華人華僑の生活と貢献における代表的なものである。多くの華人華僑は一貫して中華民族の深い文化精神を受け継ぎ、貧弱層に対して関心を示しており、仁愛天下、奮闘有為の広い度量を見せ、滞在国や地域社会の各方面から広く認められ、称賛されている。
宋元王朝以来、海外に居留した代々の福清籍華人華僑は、徳を重んじ、弛まず努力して、多くの人々に貢献するという中華文化の精神を十分に発揚した。奮闘し、私心のない奉仕を行い、仁愛的、包容的、開放的、かつ革新的な福清華僑文化を成し遂げ、中国と海上シルクロード沿線国や地域の経済、社会、文教、医療などにおける交流と発展に重要な貢献をしてきた。長い歴史を持つ華僑文化は、まさに黄檗文化の発展と隆盛の歴史的背景と文化的原因だと言えよう。黄檗文化が中日両国間の多層的、全方位的な交流において果たした重要な役割は、まさに福清華人華僑文化交流の一つの典型的な代表と完全な縮図である。それと同時に、晩清民国時代以来、東南アジア、日本などの地域に遠く出向いて商売をした福清華人華僑も、隠元を代表とする黄檗文化と海上シルクロード精神を継承し、開放的で包容的な華僑文化精神をさらに発揚、推進し、商業貿易往来と同時に、伝統文化、民俗生活交流と社会救済、文教、医療などの事業の発展を積極的に推進してきた。
福清華僑文化とそれと同様に悠久たる歴史を持つ黄檗文化は、補完し合い、異なる側面から、福清文化精神の以下のような核心的内容をなし、表現した。まずは、開放的で、勇敢に突き進み、常に全世界に向けていること。次は、革新的で、率先する勇気を持ち、新しいきっかけを作り出せること。
福清林绍良纪念馆展厅,温志拔摄
林紹良記念館展示ホール (温志抜撮影)