木庵渡日前后的诗歌
木庵禅师秉承隐元禅师家法,尤其精于诗道。他对诗歌和禅学之间关系有过精彩论述,如“诗即文字,文字显真常,大哉止之义也”(《紫云止草自序》),“止”指的是灵明清澈的本体,是面对外界剧烈的变化而不为所动的定力。木庵禅师主张诗歌是开显真理的关键,诗歌虽然不是唯一的真理,却是接近真理最重要的门户。
渡日前作品。木庵禅师的诗歌创作以东渡日本为界分前后期,前期作品继承中国禅林风气,以自然山林常见事物为主要描写题材,表达了隔绝俗世的纷扰与欲望。如《山居十首》之一:“云林深处野僧家,毳衲饱餐万壑霞。竟日不知浮世态,长年只见落天花。一池秋水一池月,五亩篱笆五亩茶。这种生涯无限趣,如何分我复分他。”云林深处的野僧即木庵禅师自拟,万壑霞、落天花、秋水、月、篱笆、茶,这大自然馈赠的一切美好带给诗人无限乐趣,个体早就融入天地间,没有分别没有差异,获得了禅悟。
又如:“翠云每日出山中,与鹤绕园无事翁。禅室从来尘不到,香台岂是俗能同。此中坐卧花频雨,物外逍遥骨露风。日用偶谐无别事,偏怜宇宙逐憨蒙。”(《山居闲咏》)诗中营造了一处世外桃源,没有世俗纷扰,一个逍遥自在的无事翁坐卧看花开花落,去体悟宇宙的真谛。
渡日后作品。木庵禅师44岁东渡日本后,眼界胸次大不同于旧时,所题写的风物也多与日本有关。关于日本富士山的描写,木庵禅师有十几首作品存世。如《富士山》:“通身雪玉削昆仑,格外文明独个尊。四海人窥风下立,那知顶上有乾坤。”木庵禅师写作此诗时根本没有目睹过富士山的盛景,此刻他想象富士山是一座通体覆雪的千仞大山,接着把富士山直接比拟为日本,夸赞日本文明在我们中华文明外独成一格。第三句写四海瞻仰之意,第四句说明木庵禅师从相关的谈论中得知富士山顶景观殊胜,可惜无法亲历感受。诗歌充满了对日本的好奇与敬意,态度十分谦虚。(廖肇亨,2004)木庵55岁那年亲睹富士山后,又写下一首《富士山》:“纵观无有最高巅,大者不过小子拳。独此一峰堪瞩目,突撑东海欲连天。有时雾敛开鬟鬓,顷刻风生接地烟。半吐半吞空里走,岿岿凛若白头仙。”富士山巅终年不化的积雪宛若仙人之白头,仙人般的富士山充满宇宙神圣的智慧,沉默地注视守护着日本人民。凝视山顶雪景的变化,诗人不由得赞叹富士山的独立不群,这也是中国禅师的传统,借特立突出的意象拟托自我本性。《咏富士山赠有马左卫门佐居士》:“长空澄碧杳风阴,崛起群峰峻莫禁。鹤翅难过孤顶上,云飞不碍最高嵚。轩昂大座乾坤小,壁立巍嶷世界钦。富贵无骄何与比,非增非减玉奇珍。”借富士山拟写地位、人格的崇高,结尾“非增非减玉奇珍”即为佛教之真意。富士山也成为佛性不增不减的具体譬喻,至此,富士山成了木庵禅师胸中的禅法家珍之一,象征佛教与禅法的光明与久远,坚毅与高迈,收纳众人的仰望,以及无限的赞叹。
遙隔海涯徒慨嘆、夜闌反復不成眠。
(『夜懷』)
明王朝はすでに歴史の長い川へと消え、日本に渡ったらもう二度と故郷に帰れないかもしれないという詩である。故国の人々の苦しみが、まるで夜の幽霊のように自分の夢の中に何度も何度も現れるのである。隠元から見れば、故国に対する思い出と懐かしさは、永遠に紛らわすことができないのである。
快適な生活情緒。隠元禅師は黄檗宗を設立して以降、引退して平和な生活を送っていた。晩年はまだ故国とふるさとを思い出すが、彼の生活は比較的快適で、ゆったりした生活を送っていた。この生活ぶりが隠元の晩年の詩歌の重要な内容になっている。
故国繁華一掃休、不妨島外恣優遊。
萬放下空諸相、茎草拈来成般舟。
度尽含霊到彼岸、平生弘願已全周。
而今老邁渾無用、贏得皤皤雪滿頭。
(『安樂窩雑詠』)
遨遊蓬島等閑閑、十九星霜頃刻間。
勾出神京新檗苑、儼然無二古家山。
(『閑中述意八首』)
故国の繁栄とにぎやかさがなくなり、あらゆる煩わしい絆がだんだん遠ざかっていった。自分はまるで海上の蓬莱仙島の中に身を置いているようで、自由気ままに暮らし、現実の苦しみと痛みも忘れているようだ、と詩の中には余暇と安らぎに満ちている。これは現実の苦痛を解消するための一種の想像力と自己慰めであり、隠元が日本で尊重され認められた後の生活状況の変化と、時間が経つにつれ、新しい文化的使命を引き受ける新しい人生の悟りをある程度反映している。その中から、晩年の隠元は絶えず新しい文化環境
关于对东渡禅宗祖师的礼赞。从黄檗僧人进入日本开始,就对历史上由中国东渡的祖师倍感亲切。隐元禅师如此,木庵禅师也是如此。如《访招提寺鉴真律师古迹》:“八百年来定里身,招提始祖别天津。清澂律范今何在?舍利粲然五彩新。”八百年来,将佛法自中土带往扶桑的高僧络绎不绝,鉴真的精神与高节如同舍利的光辉历久不衰。戒律正是佛法根本,那精进的修持与崇高的人格造就舍利夺目灿烂的光芒,在历史上留下不可磨灭的身影。还有如《建长寺兰溪禅师古迹》一诗:“日国又唐山,分身两处看。眼空傲世界,口海涨波澜。镰上成嘉会,镜中露丑颜。休嫌多点检,尽把家私摊。”兰溪禅师,宋代高僧,把临济禅法传入日本。诗歌前半部分是咏赞兰溪禅师,也是木庵禅师的自道。最后两句说的是在日本国土无所私藏,手段尽出,敷演本领,将过去的传承于现在的土地上播种、耕耘,进而观看幼苗茁壮成为天地道法的栋梁。