BRICs(金砖四国)

16、BRICs(金砖四国)

BRICs(ブリックス)とは経済発展が著しいブラジル(Brazil)、ロシア (Russia)、インド (India)、中華人民共和国|中国 (China)の頭文字を合わせた4ヶ国の総称。本来BRICsのsは英語の複数形を表すが、BRICSとしてSが南アフリカ共和国|南アフリカ (South Africa)を表す場合もあり、さらにインドネシア (Indonesia)を加えた6か国の総称として「BRIICS」と表記することもある。

アメリカ合衆国|アメリカの証券会社の20代の女性元社員、ルーパ・プルショサーマン(Roopa Purushothaman)が2003年10月に書いた投資家向けのレポート「BRICsとともに見る2050年への道」(Dreaming with BRICs: The Path to 2050)[http://www.fxprime.com/excite/bn_ykk/ykk_bn20.html exciteの解説記事]で初めて用いられて以降、広く使われるようになった。

本 文

小国化する日本と国民の目標

このところ景気後退の懸念が強まっている。昨年から広がりを見せていたサブプライム問題や原油価格の高騰など外的ショックが大きいが、ゆるやかながら6年以上もつづいて来た景気拡大に急ブレーキがかかっている。日本株の落ち込みはとりわけ大幅で、いわゆる日本売り現象が定着しつつあることを示している。

一時、抜本的な構造改革に邁進するかに見えた日本経済に改革の展望が開けず、日本の将来にあまり期待できそうもないという世界の評価がその底流にある。それを裏付けるかのように、「ねじれ国会」で政策の策定がおくれ改革が頓挫している。いわば政治不況である。更に経済活動を抑制する政策がそれに輪をかけている。建築基準法の改正で建築着工が激減し、貸金業法の改正でノンバンクが縮小し、金融商品取引法で取引コストが膨張するなど、政策が不況を増幅している。そして何よりも、「改革疲れ」といわれる社会的風潮が日本の将来をとりわけ不透明にしている。

景気後退は循環的現象だが、今回の景気後退の背後にあるこうした政治、政策、社会状況は、日本の将来にとって深刻な問題を示唆しているように思われる。

日本の停滞とは対照的に、世界は激しいダイナミズムで進んでいる。欧米先進諸国に対して中国、インド、ロシアなどいわゆるBRICsに代表される新興諸国が逞しく成長し、世界経済の活力源は次第にこれらの地域に移行しつつある。最近訪ねたモスクワの風景は大衆消費に沸き返る元気だった往年のアメリカを彷彿とさせた。ロシアはたしかに資源価格の高騰で大いにうるおっているが、この経済活力はその資金が人々の所得を高め、消費を刺激し、投資から技術開発へと、本格的な経済成長への好循環が始まっていることを示している。

私はこの十数年、韓国、中国の大学と連携してアジア学生会議を主催し、また現在、学長を務めている千葉商科大学では中国の学生を多数受け入れているが、国の発展と自らの生活の向上を求める彼らの意欲には目を見張るものがある。

日本にもかつて成長への願望が人々を駆り立て、発展への希求が国民共通の目標だった時代がある。しかし、1980年代に一度、アメリカを抜いて1人当たり所得の世界最高水準を達成してから成熟過程に入った日本にはもはやこうした成長志向はなじまないだろう。それはわかるが、それにしても最近の風潮には成熟社会の必然と言って済まされない頽廃を感ずるのは筆者だけだろうか。

改革はまだ端緒についたばかりで、企図された効果もまだほとんど実現していないのに、「格差社会」を言い募って改革を阻害する風潮が広がりつつある。格差を言うなら、改革スピードの世界各国との格差こそ心配すべきだろう。

国会の「ねじれ現象」は選挙の結果としてはあり得ることで、欧州では珍しくない。ところが今回の日本では、党利党略が優先して肝心の国民の利益が忘れられている。精査すれば実現可能性のないような政策案が平然と政党のマニフェストとして提案され、またこの春のいわゆる「石油国会」では国民生活を混乱に陥れる危険を知りながら税制改革法案を頓挫させる政争に明け暮れたことは記憶に新しい。

安倍首相の退陣劇は政治の軽さを見せつけてしまった。相次ぐ産業界の欺瞞と事故の多発は指導層と現場力双方の劣化を物語る。学生の留学意欲はアジア諸国の後塵を拝し、全入時代の大学生はますますものを考えなくなっている。言うなれば気力の砂状化現象が蔓延している。

なぜこうなってしまったのだろうか。職責を全うする。仕事に白熱するなくなったのか。かつては先進国へのキャッチアッチアップの願望が国民を鼓舞した。成熟国になった日本にはもはや国民が白熱す、夢に挑戦する、かつては当たり前だったことがなぜ目標はあり得ないのだろうか。国民が真剣に取り組む価値ある課題があるのではないか。

景気の低迷がつづいている間に日本経済の世界での比重は縮小した。1986年には24%の比重を占めたが、長引いた不況の結果、20年後の2006年には9%に縮小した。これからは人口が減少していくので、今から20年後にはおそらく5%程度に縮小するだろう。

世界経済の中で日本の比重が小さくなることはある意味で仕方のないことでもあり、それ自体は問題ではない。問題は、小さくなる日本が豊かで安心してやって行けるかどうか、である。それを実現するためには日本は国内と世界で2つのことをしっかりとやりとげなくてはならない。

まず、国内では、人口減少がもたらす多くのしかも大きな構造問題を克服もしくは解決しなくてはならない。年金や医療など基金をもとに運営されるシステムが機能不全に陥るおそれが大きいからである。年金では、拠出と給付のバランスを大幅に変え基礎年金を全額税金でまかなうなど抜本的な改革が必要になる。医療では国民ミニマムとしての皆医療を維持しながらいわゆる混合医療を一般化して自由診療を大いに発展させるべきだろう。

対日直接投資を積極的に受け入れて成熟経済を活性化する。健康の必要条件を備えた地方に人々が移り住めるよう企業を巻き込んだ大規模な交流・移住プログラムを推進して地方を活性化し人々の生活の質の向上をはかる。

一方、対外的には、日本企業の世界展開は不可欠であり、その安全が保障され歓迎されるためには日本は知恵ある同盟関係を確保するとともに、環境や健康など人類共通の課題に傑出した貢献をする必要がある。

成熟化し小国化する日本にとってこれらの課題はキャッチアップ時代の発展目標以上に重要な課題であり、また多くの人々にとってやり甲斐のある目標のはずである。そうした目標を明確に国民に提示する政治家と、それを促し受けとめる国民の気概が今ほど求められている時はない。