第一部 リスク=「危険」は間違い

第一部 リスク=「危険」は間違い

竹中:金融というと、まず「リスク」といわれますね。日本経済新聞から以前ピーター・バーンスタインの『リスク』という本が翻訳出版されたのですが、その中で、「リスク」という言葉ができたのは、宗教改革のときだったと書かれています。人間は神の束縛から自由になったその時から「リスク」という概念ができてきたというわけです。金融というものは、非常に強く今までコントロールされてきたのが、より有効な資産の活用のために自由化されたわけです。それで自由になったから初めて「リスク」という概念が出てきたわけです。リスクを恐れるということは、私たちが不慣れであるからという理由に尽きるのではないでしょうか。しかし、やはりリスクときちんと向き合っていかないと、私たちの生活もよくなりません。そういう意味で、いま試練のときだと思います。

勝間:「リスクをとらなければいけない」のではなくて、「リスクをとる自由ができた」と思うべきなんですね。

竹中:ええ、そうだと思いますね。

勝間:「リスク」は私も読んで、いろいろなところで勧めている本です。リスクの計量ができるようになって、私たちは「神頼み」とか「運」から離れられたと書かれていたと思います。

竹中:その通りです。もう一つ問題だと思うのは、リスクという言葉は、日本では「危険」とか「危険度」と説明されることが多いということです。これは非常に大きな間違いだと思います。リスクとは、確率の問題としてとらえられるのが本来の形です。

もちろん、「ナイトの不確実性」といわれるような、非常に不確実で何が起こるかわからず、最悪の事態を想定しなければならないケースもあり得ます。金融危機というのは、まさにそういう「ナイトの不確実性」のような出来事であるわけですが、そういうものとリスクが「危険なこと」と一括りされて混同されているということは不幸だと思います。