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日本式ビジネス交渉

日本人との交渉には時間がかかる。ビジネスの場でも本題に入るまでが一山。本題に入ってからも結論が出るまでに、また時間がかかる。こうした日本式の決裁方法はなれない外国人には苛立ちの対象になる。

しかし、その反面、一度決まると動きは早いというメリットもある。

ここに、アメリカの世界銀行で働いている日本人ビジネスマンの意見を紹介する。

アメリカの組織における個人主義的な仕事振りは、世界銀行内での打ち合わせとか、銀行外部の人(たとえば、借入国の政府の役人)と折衝する場合の態度にも現れる。日本だったら、たとえばA社の社員とB社の社員が、営業上の打ち合わせをする場合、A社としての公式の立場と、B社としての公式の立場とを踏まえて打ち合わせが行われるはずであり、「我が社の意見は、右なのだが、僕個人は左なのだ」というような発言をすることは考えられない。このような場合「右である」と主張したら、それは当然に自分の属する組織の公式の立場が「右である」という意味であり、上司の許可を得て発言しているか、あるいは、許可が得られることを見越して発言しているに決まっているのである。しかし、アメリカ人の場合「右である」とテーブルを叩いて力説していても、それは担当者の意見であって、上司の意見や会社としての意見は、まだ、確かめていないか、全く別の意見であるということもありうるのである。私の同僚のアメリカ人なども、借入国との交渉で大勢の同僚が聞いているにもかかわらず「これが世界銀行の公式ポジションなのだが、私は全く馬鹿げた話だと思う。あなた達も、このようなことに反対した方がいい」などとけしかけて平然としている人もいたくらいである。もっともこのアメリカ人もまだ余り出世していないところをみると、ここまで行くと行き過ぎなのかもしれないが、こういう職員がいることも事実である。

また、私が、東部アメリカ局を代表したつもりで、ある別の局の担当者と議論をしたとき、念のため「これは、君の局の公式のポジションと解釈してよいのか」と聞くと「いや、君が私の意見を求めたから、それを述べたのが。局長の意見は全く違っているようだから、君が局長に電話して聞いてみてくれよ」という答えが返ってきて、随分戸惑った経験がある。日本の感覚からすれば、彼の局の局長の意見は、彼がまず確かめてから私と交渉すべきなのに、まるで他人事のようなことを平然と言っているわけである。つまり、「組織」という感覚が非常に薄く、局や部や課といえども、単に個人の集まりに過ぎない。結局は、個人のほうがはるかに重要なのである。

「日本人のビジネスマンと交渉していると「イエス」なのか、「ノー」なのか、さっぱりわからない。しかし、アメリカ人と交渉すれば「イエス」か「ノー」かすぐにわかるので仕事が早い」ということがよく言われる。このことはある程度正しい意見であるが、若干の注釈も必要である。

まず、アメリカ的組織は、職務権限が細かく専門分化しているから、1人の担当者の独断で即座に「イエス」「ノー」が言えるのは、問題がちょうど、空の担当分野に狭い範囲内にとどまっているときだけである。自分の格が下がって見えるから、知った振りをして、偉そうに意見を言うことがあるが、どんなに歯切れのよい意見であっても、そのような「個人的意見」は相手を惑わすだけの効果しかない。

一方、かなり広い範囲に跨る問題について、即座に「イエス」「ノー」を言えるのは、管理職、それもミドルの管理職クラスではだめで、トップに近い管理職でなければ無理である。しかし、日本では、トップといえども、部下に相談しなければ、「イエス」「ノー」が言えないのが普通だから、トップが関与するような重要な問題について交渉するときには、確かに、アメリカ人のトップの方が決断が早いはずである。一方、日本人はどんなに詳細な問題であっても、組織全体の意向や組織全体としての決定の向かっている方向を、多少とも反映しているはずであるから、そのニュアンスを解釈すれば、相手方は参考になるわけである。しかも、いったん「イエス」の結論が出たときは、関係者全員が納得したときであるから、実行段階は、スムーズでスピーディに進むことになるのは当然である。