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松下電器産業と働くということ~現在・過去・未来~
01年度、多額の赤字を計上し、苦境にあえいだ松下電器産業。しかし、その後のV字回復には目覚しいものがあり、引き続き04年度も好業績を残すことが予想される。このV字回復の裏側には、数々の「変化」があった。漫画家・弘兼憲史氏が過ごした70年代の松下電器、弘兼氏が生み出したスーパーサラリーマン・島耕作が過ごした初芝電器(主要モデルは松下電器)、そしてキャリアコンシェルジュの萬田弘樹社長。彼らの目を通して、松下電器の過去・現在・未来を探る。
弘兼:僕が松下に入った時代は、就職活動なんか楽なもんでね(笑)。大学時代は漫画研究会に所属していて、将来は漫画家を目指していたわけなんですが、漫画家は雲の上の存在で、おいそれとなれる職業じゃない。それで、当時から宣伝部が有名だった資生堂、サントリー、松下に的を絞った。松下には、一番最初に決まったから入社したんです。僕の同期は800人で、一年後輩は1000人を超えた大量採用時代ですね。
萬田:その時代から約20年後、私が入社したわけですね。私は92年入社ですが、バブルの余韻で大量採用が続いていたため、同期は2000人もいます。弘兼さんは、松下に入社して宣伝部に配属されたんですよね。いきなり宣伝部にいくのは、珍しいと思いますけど。
弘兼:そうなんです。やっぱり、入社して工場研修をしているときも、宣伝部にいけるかどうか不安でしょうがなかったですね。でも、当時は自分の希望部署に1週間に1回レポートを提出してアピールする機会があったので、販売店におけるPOPのあり方を提言したり、看板を勝手に作ったり(笑)。で、結果としてそれが認められたんでしょうね。萬田さんは、人事畑が長いんですね。
萬田:そうですね。そういう意味では、私も稀有なキャリアかもしれませんが、中国の人事戦略や、松下グループ全体のキャリア採用などを担当してきました。
弘兼:とすると、僕の同期でいうと、倉繁(現松下エクセルスタッフ代表取締役社長・倉繁俊逸氏)とか。
萬田:はい。倉繁さんは本社人事部時代の上司です。いまは、子会社の松下エクセルスタッフという人材派遣会社の社長をやっておられます。
弘兼:倉繁はね、同期の中では非常に優秀な男なんですが、麻雀が異様に強い。大学時代は寮で一人勝ちしていたんですが、松下に入ったら倉繁がいるからどうしても勝てなかった(笑)。
萬田:倉繁さんは、『課長 島耕作』にも出てきますね。『島耕作シリーズ』は基本、松下がモデルになっていると思いますが、弘兼さんが過ごした当時の松下は、やはり家族主義的な色彩が強い会社だったんですか。
弘兼:まさに僕らの頃は終身雇用が当たり前。それこそ、ゆりかごから墓場まで面倒見てくれるという安心感がありました。これは良い面も、悪い面も両方あると思いますが、いまほどシビアな感じはなかったですね。逆にいまは新卒で入って定年まで勤め上げる人はそんなにいないんじゃないですか。
萬田:日本全体としては、3年で3割の新卒社員が辞めると言われています。でも松下ではまだそこまでいっていなくて、実感値として10分の1くらいでしょうか。
弘兼:全体で見ると、やはり定年まで勤め上げる人は少ないんですね。僕はそれこそ松下に3年しかいませんでしたけど、いまの人に通じるものがあるんですかね(笑)。おまけに僕の場合、宣伝部での3年間のサラリーマン経験が、『島耕作シリーズ』に生きている。すごくコストパフォーマンスがいい3年間でした(笑)。でも、私は入った当時は独立志向なんてなかったですから、3年間で創業者の松下幸之助さんが生み出した松下イズムをきっちり叩き込まれましたね。最初入ったときは、「綱領」(※1)や「7精神」(※2)を皆で唱和するのを見て、「変な精神主義だな」と思いましたが。
萬田:いまでもやっていますよ。
弘兼:そうですか。僕は最初、唱和しないで下向いていたんですけど、根性の曲がった課長なんかも下向いている人いましたね(笑)。でも、毎日やっているうちに、松下イズムはいまで言うマインドコントロールみたいにスッと体に入りました。「ただ利益を追求するのではなく、まず社会奉仕を念頭に置く。結果として、報酬は後からついてくる」というビジネスの基本発想や、水道哲学(※3)などですね。水道哲学はいまの時代に合わないかもしれないけど、私は今でも、最初にマーケティングリサーチをして、こういうことをやれば売れるとか考えるよりも、いま自分が書きたいと思ったテーマを全力で追求して、その結果として良い作品ができ、周囲の評価や報酬が付いてくるという考え方で仕事をしています。
萬田:そういった価値観は、いまでも受け継がれていますね。ただ、弘兼さんの時代と、現在の松下では、事業環境の変化とともに確実に変わってきています。恐らく『島耕作シリーズ』でも、そのあたりの時代背景は踏まえていらっしゃると思いますが。
弘兼:島耕作は、実は私と同じ歳で誕生日も一緒。私は漫画家としての人生と、サラリーマンとしての人生を両方歩いているような感覚を持っていますが、島耕作が課長、部長、取締役、そして現在は常務取締役に出世してくる過程で、やはりそれぞれの時代背景を描いています。たとえば、課長時代はバブル経済真っ只中のサクセスストーリー、部長時代は日本経済が停滞していく中での奮戦記です。この時代のサラリーマンが経験してきた関連会社への出向や、地方勤務、不慣れな分野で苦闘する姿を描いたつもりです。
萬田:リアルな世界での、松下のここ最近の動きでいえば、「破壊と創造」をテーマに掲げている中村邦夫社長の改革によって、多くの変化が生まれています。戦後から続く事業部制が廃止になり、「松下通信工業」や「九州松下電器」など5社を完全子会社化。「松下電工」も連結対象の子会社化しました。また人事面でも退職金の前払い制度、成果主義賃金制度の導入、各種手当ての削減など、あらゆる「聖域」を壊しています。
弘兼:社宅などもなくなってきているんでしょうね。私は山口県の岩国市出身。あそこは瀬戸内海工業地帯の一画なので、あらゆる企業の社宅がズラーとあるような環境で育ったんです。でも、そこにいた人たちは、いま考えれば一生「会社漬け」の人生。家に帰っても会社の人間関係に縛られる。昔の企業はどこでもそうでしたよね。
萬田:そうですね。まだ一部残っていますが、なくなっていく方向にあるかもしれませんね。
弘兼:いまの時代にはあっていないんでしょう。社宅にいると、いい意味ですべての人を囲い込んでしまう。ついでに怠け者も囲い込んでしまうからバツが悪い。暮らしが安定していて危機感がないものだから、才能のある奴でもダメになる可能性が高い。こうしたムダを省くというか、短期でやるべきことをバタバタと断行するといった面で、中村改革はうまくいっているようですね。最初は、「壊し屋」とか言われて、壊すだけ壊して辞めるのかなと思っていたら、そうでもない。
萬田:中村社長の改革は、資源の「選択と集中」が抜群にうまいんだと思います。いままで「(事業を)リストラクチャーしてしまえ」の一言が誰もいえなかったのに、それを毅然と言葉にし、実行できるところがすごい。その中村社長の改革の一つが、私も関わっていた社内ベンチャーの育成を行うパナソニック・スピンナップファンドなんです。企業を強くするためには、コスト削減のほかに、儲かる事業を育てなければいけません。これまで松下では、儲かる商品は作ってきましたが、儲かる事業の種(シーズ)をどう作るかが課題だったんです。そこで中村社長の肝いりでパナソニック・スピンナップファンドが立ち上がり、私も3度の事業提案を経て、現在のキャリアコンシェルジュを立ち上げました。いまは、同じように20社くらいの社内ベンチャーが立ち上がっています。
弘兼:自分で手を上げて、事業を興したんですね。そういう意味では、いまは会社側の変化も激しいけど、それに合わせて個人も変化していくことを求められているのかもしれないですね。ステップアップするステージを自分で見つけていく。僕らの時代は、あんまり転職とかすると「何か問題があるんじゃないか」と疑われたんです(笑)。ところが、いまは転職することが一つのキャリアとして認められる時代。そして、社内でも自ら手を上げることが求められる時代です。会社にとってはマイナス面もありますが、会社のためというより、自分のためという形に変わってきているのかも知れませんね。実力のある人間は上にいけるし、実力のない人間は上にいけない。私はどちらも否定しませんが、漫画家の世界はどちらかというと後者。自然とそちらを選んできたのかもしれません。
萬田:個人と会社の関係はこの5年ぐらいでものすごく変わりましたね。いままでの大企業みたいに、会社の言う通りにやっていたら何となく上にいけるという時代から、個人が会社を夢を実現させる場として利用する時代になっています。それは、松下でも例外ではありません。
弘兼:自分の自己実現を会社というステージを使うことで達成する。これはやる気のある人しかできないから、結果としてそういう個人が増えれば、会社側もOKということですね。
萬田:結局、目指す方向は、会社と個人も一緒だと思うんです。お互いが了解できる範囲の中で、働く個人は自由に自己実現を図ればいい。私なんかその典型です。自分の行きたいステージにあわせて、自分で変化していく。幸い現在の松下はそういう環境を整えてくれています。私はやりたいことが山ほどあるので、自分でどんどん目標を作って、ステージを変えていくこともできます。いま松下で働くということが、非常に面白くなってきていると思いますね。
※1 綱領
1929年に制定された松下電器の「経営基本方針」。
産業人タルノ本分ニ徹シ社会生活ノ改善ト向上ヲ図リ世界文化ノ進展ニ寄与センコトヲ期ス
※2 7精神
1933年に「松下電器の遵奉すべき5精神」が制定され、その後2精神が追加され全従業員の行動指針とされている。「産業報国の精神」「公明正大の精神」「和親一致の精神」「力闘向上の精神」「礼節を尽す精神」「順応同化の精神」「感謝報恩の精神」の7つ。朝会で唱和される。
※3 水道哲学
創業者・松下幸之助氏の経営哲学。いわく「産業人の使命は貧乏の克服である。そのためには物資の生産に次ぐ生産をもって、富を増大しなければならない。水道の水は、通行人がこれを飲んでもとがめられない。それは量が多く、価格があまりにも安いからである。産業人の使命も、水道の水のごとく、物資を安価無尽蔵たらしめ、楽土を建設することである」。