第一部 グローバル競争で勝てる技術力

第一部 グローバル競争で勝てる技術力

伊藤:話は変わりますが、少子化が進み、海外にどんどん投資せざるをえない状況において、今後日本の製造業は、技術力をどのように高め、継承していけばよいのでしょうか。

奥田:それはいちばん難しいところです。わが社をはじめ、さまざまな企業が直面している問題といえます。技術のマニュアル化自体は、比較的簡単にでき、わが社でも行なっている。しかし、マニュアルを一種の「形式知」とすると、技術にはカンやコツといった「暗黙知」といえる世界があります。これを海外の生産現場に伝えることは、たいへん難しい。

そうはいっても日本の技術者は真面目ですから、海外の工場にも頻繁に出向き、何とか伝えようと努力しつづけてきました。それによってようやく「暗黙知」が根付くようになった。さらに近ごろは、日本の各企業を退職した60 代、70 代の技術者が、韓国や中国に行って技術指導を行なうようになり、そこからも「暗黙知」が伝わるようになってきたのです。そのような状況になりましたから、日本企業は、これまでと同じようなかたちで技術を継承するだけでは、早晩韓国や中国企業に追いつかれてしまいます。絶えず技術革新や技術創造を行なうことが求められる時代になってきたのです。

伊藤:先日新聞で、韓国の自動車メーカー、ヒュンダイ(現代)のブランド評価が、アメリカにおいてトヨタ車のブランド評価を上回ったという記事を読みました。レクサス車のブランド評価はヒュンダイより高かったので、トヨタがヒュンダイに追い抜かれたということではありませんが、彼らの実力が上がってきたということは感じられますか。

奥田:感じます。日本企業が技術を教えていることもありますし、もう一つ、日本製の部品を買っているということもあります。同じ部品を使って、そこに技術が加われば、当然品質はよくなります。

伊藤:自動車のヒュンダイが、エレクトロニクスのサムスンのように日本企業を脅かす存在になってくることは、考えられますか。

奥田:「暗黙知」の細かいところまで伝わるようになれば、そうなるかもしれません。

伊藤:今後、日本がグローバル競争で勝てる技術力としては、自動車分野ではどのようなものがあるのでしょうか。

奥田:自動車でいえば、たとえば、情報通信技術等の活用によって交通問題の解決や安全で快適な移動の実現をめざすITSの分野があります。また燃料電池自動車をできるだけ早く完成させることです。そしてこれらについて、追いつかれないようにつねにレベルアップを図りつづけることですね。伊藤:ここで心配なのが、日本の自動車メーカーがクローズドな環境で技術開発を行なってしまうことです。かつて日本のコンピュータ業界は、クローズドに国内だけで開発を進めた結果、たしかに素晴らしい技術はできたけれど、海外の新たな標準には適合せず、世界競争で敗れました。日本の技術力を確保するには、グローバルな連携を行なうことも重要なカギとなる気がします。

奥田:国際的な連携はたしかに大切ですね。昔から自動車業界では、エンジンなどキーとなるコンポーネント(構成要素)について、まったく新しい要素を含んだ開発に迫られたときに世界的な再編が起こりました。

エンジンを一つ起こすのに、大ざっぱにいって200億~300億円ほど掛かるといわれます。これが燃料電池となれば、もっと莫大なカネが掛かる。それだけの投資をする資金的な余裕がない会社もありますから、他のメーカーがつくったエンジンを買うことになります。そこから何らかの技術的な連携が生まれ、やがて資本提携へとつながり、最終的に合併に至ることもありえます。今後もまったく新たな種類のエンジン開発などにともなって、そうしたことが起こる可能性はあるでしょう。

伊藤:液晶テレビで、ソニーがサムスンと組んで重要な部品の開発に当たるというようなことが、今後、自動車業界でも起こりえるということですね。

奥田:私は、家電ならエアコンのコンプレッサー、自動車ならエンジンというコアの部品こそが、自分たちの技術の粋であり、そこに他社の部品を使ったら、完成品も自社のブランドではなくなると考えてきました。コアの部品を他社から買うのは技術者の恥として、個人的には認めたくないのです。

しかしながら、自社開発に関して弱い部分にまで力を注ぎ込むだけの余裕がないなら仕方がない。経済性などを考えると、他社から購入することも考えざるをえない。

伊藤:逆にトヨタでは、独自技術のハイブリッドシステムを他社に供与しています。今後日本企業は、積極的に独自技術を開発し、それを知的財産として保護しながら、一方でパテントを世界に売って稼ぐということも考えられます。知的財産の問題は、これまで会長を務めていらした日本経団連でも大いに議論されたと思いますが、どのように考えたらよいと思われますか。

奥田:たとえマニュアル的な「形式知」の技術であっても、それが新しい知財として認められれば、保有して積極的に世界に売ることも必要でしょう。

しかし一方で、日本の自動車メーカーには、本当の意味での知財が存在しないのです。先日、小泉首相に「日本企業にはどのような知財がありますか?」と聞かれましたが、「じつはほとんどありません」と答えました。たとえば自動車のエアバッグにしてもブレーキにしても、核となる技術の特許はすべて欧米のものです。日本は周辺技術ではさまざまな特許を取っていますが、核となる技術についての特許は本当に少ない。燃料電池も、もともと潜水艦などで使っていたものを自動車用に改良して搭載しただけで、核となる技術は外国で生まれたものです。

今後は日本でも、核となる技術を創造していくことが重要で、そのための環境整備が求められます。

伊藤:そのためには日本の社会システムも変える必要がありそうです。発明・発見の宝庫であるアメリカには、新しいものを考えること自体を評価する風潮があります。まずは日本にも、そのような雰囲気をつくらなければなりません。

奥田:ところがアメリカ人は、発明・発見を製品化して、家庭で使えるようにすることは苦手です。逆に日本は製造国としてはいいのだけれど、エジソンのような天才はなかなか生まれてこなかった。