本文

本文

失われた10年

1990年代が失われた10年だったという見方は言論界や政策関係者の間でひろく流布し、いわば通説となっているといえよう。それまでの数十年間、いわゆる高度成長時代にめざましい発展を遂げた日本経済、あるいは1970年代の石油危機を克服しただけでなく、その後「バブル」とさえ言われた経済膨張を実現した日本とくらべ、1990年代は一転して成長はほとんどなく、日本経済は不良債権問題に象徴される金融システムの機能不全に呻吟した。それは「失われた10年」と評された。

また国際的に見ても、先進国から開発途上国まで含め、多くの国々が1970年代から1980年代にかけての金融・経済危機を克服し、1990年代には力強い回復を見せたのにくらべ、ゼロ成長近辺を低迷する日本はまさに失われた時代を漂流しているかに見えた。

1970年代の日本の激しい輸出攻勢に脅威を感じ、1980年代には貿易摩擦をめぐって容赦なき「日本叩き(Japan bashing)」を演じた米欧諸国は、沈滞する1990年代の日本には興味を失い、もっぱら興隆する中国に関心を注いだ。それは「日本素通り(Japan passing)」あるいは「日本無視(Japan nothing)」とさえ揶揄された。

たしかに日本経済に関する内外の関心は1990年代には著しく低下した。もし日本への関心があるとすれば、それは日本の躍進の脅威ではなく、金融危機から世界恐慌の引き金を惹くのではないかという負の脅威だったという見方もある。ところが、最近になって、日本をめぐる論調が大きく変わってきた。多くの構造問題をかかえながらも着実に景気回復が進む日本を見る世界の眼は明らかに変化しつつある。世界の関心は日本経済の問題点よりも新しい可能性に移りつつある。

日本経済の景気回復傾向が2003年春以来の株価の上昇に象徴されたことは多くが認めるところだろう。株価は企業利益の予測指標としての性質があるから、この動きは市場が日本の企業の増益傾向を織り込んだものと見ることができる。

ところがここに興味あるひとつの事実がある。日本経済は21世紀初頭から数年間、悪性のデフレスパイラルに悩まされたが、景気が回復しつつある現在も依然としてデフレ傾向はつづいており、日銀や政策当局の見通しでもあと1~2年はデフレは脱却し難いとされる。

デフレは企業の経営環境としてはやっかいな逆境である。なぜなら、これまでと同じ商品を同じように提供していれば、価格の値下がりによって確実に売り上げ額は減少する。原材料など投入財の値下がりによるコスト削減効果を差し引いても多くの企業は収益の低下が避けられず、やがて赤字に転落するおそれが大きい。

注目すべきは、このような逆境のなかで、昨年来、多くの日本企業が増益を実現し、なかには空前の利益をあげた企業も少なくないという事実である。リストラなどによるスリム化で利益を捻出した面もあるが、基本的には、これまでとは質的に異なる新しい製品やサービスを提供し、また新しい戦略で、新しい市場を開拓するなど、過去とは異なる「イノベーション」で収益性を高めた例が多い。

収益性を高める企業のそうした技術革新、商品開発、構造改革や戦略転換は、一朝一夕でできるものではない。相当な準備期間、懐妊期間、推進期間が必要だ。もしそうであるとすれば、2003年頃から多くの企業がめざましい増益に転じたということは、マクロ的な景気回復の波及効果もあるとはいえ、個々の企業のミクロの現場では、それに先行する何年間かの、体質改善や商品開発などの努力の期間があったと見なくてはならない。そしてもしそうであるとするならば、内外の多くの論者が「失われた10年」として切り捨ててきた1990年代は、企業の現場からみれば、実は、きわめて貴重な自己改革と仕込みの期間であった可能性が高い。

今日、世界の関心が、日本の景気回復と新たな可能性に向きはじめているとすれば、そうした関心はほどなく回復の原因に注がれることになるはずである。そして何よりも、回復をリードした企業の現場の実態に焦点が当てられるだろう。

世界の日本への関心のあり方を過去まで遡ってみると、そこには大きな消長の波があることに気づく。第2次大戦後、占領下の日本にはアメリカなど連合国の強い関心が注がれていた。占領日本の統治のためである。次に大きな関心が集中したのは日本が高度成長を達成した1970年代以降だった。その関心はほどなくなぜそれほどの成長が可能だったのかというより根本的な問いかけとなり、やがて1950~60年代の日本の経済・産業の重要な自己革新に多くの専門家が注目することになった。

いま、同様な現象が起きつつあるように思われる。現在の日本経済の回復の重要な原因を1990年代の日本企業の自己革新に求める見方である。環境条件の変化のなかで、日本の製造業の強い部門は、特に斬新な戦略転換をしたわけではなく、現場の自己革新をたゆまず続けていたという専門家の見方もある。しかし、同時に、流通や金融、建設や農業のような部門でも注目すべき革新が散見されることも事実である。

こうした企業、産業、経済の実態の変化を、とりわけ「失われた10年」とされる1990年代に注目して、今、謙虚に着実に観察しなおすことが有用ではないかと思う。なぜなら、そのことによって最近の日本経済の回復の実態と意味をより的確に理解しうると思うからであり、それはこれからの日本経済の可能性や、世界における役割を考えるうえでも有用な手掛かりになると思われるからである。