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日米の貿易摩擦問題

最近の貿易摩擦を象徴する言葉「日本たたき」という言葉がある。日本は相手に物を売りつけることばかり考え、ちっとも相手から物を買おうとしない、不当なやり方により、自国の利益ばかりを優先させているというわけだ。この課では、こういった非難に対する識者の反論を読んでみよう。

戦後の一時期のアメリカは、全世界のGNPの約四割という数字を残し、軍事力、経済力で正真正銘の強さを見せていた。それはまさに、「世界の覇者」、「覇権国」というにふさわしいものだった。

だが、現在のアメリカは依然として世界一の経済大国だが、世界のGNPに占める割合は2割程度にまで後退し、相対的な地位は低下している。それでも、アメリカの一般国民の記憶には、「アメリカは世界でもずば抜けて強い国」という残像があるから、かつての実力と比較して「世界居人」でなくなったことに対して苛立ちと幻滅の感情を持っている。私はそれがアメリカによる他国への「経済バッシング」との根底にあると思う。

その最たる例が「市場開放問題」であろう。アメリカの市場は決しって100%開放されているとはいえないのだが、国民は自国のマーケットは世界一開放的だと思い込んでいる。だから、アメリカ製品が売れないのは相手国の市場開放が不十分なせいだとして、「他国も開放しなければならない」という論理を振りかざし、まともな商売人なら「買ってください」 というべきところを「買うべきである」という前代未聞な言い方をしている。なぜそうなるかというと、アメリカ国民はかつて「覇権国アメリカ」の時代に抱いてイメージをいまだに引きずっているためである。これは非常に不幸なことで、いつかは消えるが、それまでにはかなりの時間がかかることだろう。

冷戦の崩壊によって、アメリカの外交政策を動かす基本的な枠組みは失われてしまった。かつては「ソ連は敵、日本は味方」で割り切れたが、冷戦の枠組みがなくなると、誰が敵で誰が味方なのかわからなくなった。ほとんどのアメリカ国民は日本を脅威とは感じていないのに、味方かどうかはっきりしないから、ごく少数の人間が「日本が脅威だ」と言い出すと、それがアメリカ国民全体の意思であるかのように動く場面も出てくる。それが「ジャパンバッシング」の成り立ちの背景にある。

私は、アメリカ国民が「アメリカ経済の相対的地位は低下しており、世界のGNPの約2割にすぎない」という事実をちゃんと認めるまで、「ジャパンバッシング」は続くと思う。

強硬論がもっとむき出しの形で噴き出したのが、84年12月10日ホワイトハウスで行われた貿易政策委員会(TPC、議長=ブロックUSTR代表)と通商問題閣僚協議会(CCCT、議長ボルドリッジ代表)は、日本が米国の間だけでなく開発途上国を含む全世界との間で黒字を貯め込んでいることを指摘した上で、日本興業銀行が作成した「日本経済の中期的展望83-90年」というレポートの一部を引用した。

今後、貿易構造が大きく変わらない場合には、石油価格が安定した下で、経常収支が累積していくのは必然的である。この前題に立った場合の経常収支は83-90年を累計すると4000億ドルに達する。これは74年から81年までの石油輸出機構(OPEC)の数字に匹敵する。